この筆をとる理由
多くの人が小説を楽しむこの時代にあって、僕は作品を単なる娯楽として扱う事に若干の戸惑いを感じている。
世に小説は数あれど、その多くは娯楽として消化され、余暇の楽しみを与えてくれるのである。しかし、同じように作られた作品であっても、過去の作品は芸術として親しまれ、おそらく僕らの時代の作品群もいずれそうした中に組み込まれるのであろう。
多くの作品に触れたわけでは無い僕が識者の如く自慢げに学をひけらかす事はやや憚られるが、作品の中に眠る価値を見出した時、果たして語らずに居られるだろうか。僕のこの欲望は収まることを知らず、多くの人々が娯楽として消化していく作品群の中に見出された価値を掘り起こしてみたい衝動に従い、実に独りよがりで、こじつけばかりの作品を書いてしまう。
いずれ彼らの物語が芸術と呼ばれる日が来るのであれば、僕の作品はきっと未来の彼らに対するギフトとなってくれるだろう。失われた時間のために、芸術とに昇華された娯楽達は、僕達以上に彼らを楽しませるかも知れない。
だからこそ、僕の作品が意義深いものであってほしいと思う。自己満足の解釈に筆を委ね、時に埋もれてしまっていく様々な人の思いを汲み取る事……これこそが、僕がこの筆をとる理由だ。




