「出版」の発明
印刷と聞いて真っ先に思いつく人物と言えば、恐らくグーテンベルクだろう。ヨハネス・グーテンベルクは活版印刷技術を発明し、世界に出版ブームを巻き起こした人物……として知られている。活版印刷の発明によって、聖書が手の届くところまで降りていき、印刷装置はマルティン・ルターの『95か条の論題』を印字して宗教改革にも影響を与え、かの悪名高い『魔女に与える鉄槌』が広まり、魔女狩りへの目覚めを呼び起こした。多くの影響を与えたヨハネス・グーテンベルクだが、意外にも『出版業』の始まりと言う現代まで続く巨大なブレイクスルーを生み出した人物の事は、あまり語られない。
それが、イタリアはヴェネツィアの出版業者アルドゥス・マヌティウスである。
アルドゥスの影響だけではないであろうが(宗教的な寛容さや潤沢な資金、ルネサンスの興隆など、雑多な要因が考えられる)、ヴェネツィアは出版業においても重要な位置につくことが出来た。
グーテンベルクは活版印刷を発明し、それを用いて印刷業を開き、商業的にはある程度成功したが、出資者との裁判によってその立場を奪われ、マインツ司教の権力争いに遭い、最後には自宅や印刷所も失ってしまった。
そんなグーテンベルクの本には、アルドゥス・マヌティウスの本とは異なる大きな欠点が存在した。それは、「持ち運びにくいこと」と、「探しにくいこと」である。
現在『グーテンベルク聖書』などと呼ばれる、彼の印刷した聖書には、頁番号、即ちノンブルが確認できないという。このノンブルを最初に付けたとされている人物が、アルドゥス・マヌティウスなのである。
そして、アルドゥスの本は一枚に対し16頁となる八つ折判の本であり、グーテンベルクの1枚に対し4頁となる二つ折り判の本と比べて小さく、携行に便利であった。この違いは現代で言えばパソコンとスマートデバイスの違いとでもいうべきだろうか。いずれにせよ、利便性において大きく異なっていたのである。
また、書籍の後に「奥付」と呼ばれる、出版社や作者、版数などが記されたページが存在する事は周知の事実だが、これについてもグーテンベルクの書籍には認められない。これを最初に付けたのが、グーテンベルクの出資者でもあったヨハン・フストらであったようだ。
グーテンベルクの発明が現代に与えた影響は計り知れず、また、彼の発明なくして現在の科学の進歩も成り立ちえない事は明らかであるが、彼の発明に加えてそれを実用化する様々な技術‐奥付やノンブルという非常に小規模かつ些細な発明-もまた、必要であったように思う。まして、論文や考察、書評などを書くような人であれば、これなくして出典を示すことは非常に難しいだろう。権利表記の必要性がその当時にどれ程重要であったかは判然としないが、現代にはやはり必要不可欠である。
いわば、グーテンベルクは簡便さ、利便性に敗北したのである。それはちょうど、読みやすさに敗北した多くの恵まれない書物達に近しい。商業的成功と、偉大なる発明との間の大きな溝は、ほんの些細な技術のすれ違いだったのである。そして、私達は改めて、「印刷」という技術から「出版」という技術へと至る、一つの転換点について考える必要がある。即ち、私達の世界は偉大な発明に満ちているものの、その多くは巨大な発明を凌駕する、ほんの些細な発明に過ぎないのだという事を。
働く人は皆偉大なんですよ。




