エルドへ。
最近、筆を執ると、心が死んでいることに気付くようになった。僕の作品はどこまで行っても金切り声を上げながら叫ぶような汚物で、創作はいつまでも排泄に近いような行為なのだが、どうも最近はそれすらも出来なくなっているらしい。
思い当たる原因はそれこそいくらでもあげられるのだが、それを誰かに向けて発する事は憚られるし、それはたぶん僕自身の不甲斐なさから来る問題なのだ。
物書きには往々にしてそうした時期があり、それをスランプと言うのだが、僕達はそれに対抗する手段を持ち合わせていない。例えば、資料を搔き集めて読み耽った後に残るのは、寂寞に満ちた空虚な心ばかり立ったりする。その後に記した成果は当然の如く評価など得られよう筈も無く、一万円払えば読んでくれるなどと言われれば、言わずもがな。
凍える部屋で布団にくるまり、顔も知らない誰かの事を待つ日々は余りにも虚しく、誰かの心無い言葉よりもずっと、心の籠った無関心の方が傷付けられる。そこにある光に手を伸ばせるならばまだ恵まれている、なりたい自分の為に活動する輝かしい同胞の後姿をじっと眺め、臍を噛み、心を痛め、ひた隠してその背中を押す。そうすることでしか自分が他者の視線に堪えうる者となれない。人間は社会性を持つ生き物なので、他者失くして存在しえないというのに。心を抉り取る心の籠った陽気な応援が、澱むヘドロに満ち足りた、底なし沼に背中を押すのだ。
振り返ってみると、僕と彼らの出会いは余りにも短絡的で、彼らに合わせることでしか、僕の青春は成り立ちえなかったように思う。傍から見るのと同じ目でそれを振り返る今となっては、輝かしい青き春の日が、本当に輝かしかったかどうかは、はなはだ疑問であるが。
そして、僕は「君たち」と出会ってしまった。物言わぬ抜け殻となってしまった君たちと。
例えば、よちよちと愛らしく歩き、海を飛ぶつぶらな瞳の君。よく似た別人を愛らしいと感じる僕にとって、君との出会いは余りにも苦しかった。目の前で絞殺される伴侶と、叩き割られる子供と、悔しくて上げる意味のない悲鳴とを思うと、胸が締め付けられた。そして、君を痛めつけた同胞である僕が、こんな気持ちになること自体にさえ、罪の意識を感じた。元々肉は余り好きではなかったが、君を前にして肉を美味しいと笑顔で食べられる自信が無くなってしまった。元から無い自信が、日課からすら排除されてしまった。
そして、同時に、この心を残さなければと思ってしまった。それが君達を愚弄する、反吐が出るような、醜悪な何かになってしまう原因になるなんて、その時は思ってもいなかったけれど。
積みあがった神学の解説書や、魔女狩りの参考書や、かつて確かにこの大地を踏んでいた君達の記録を無駄にしてしまった。お金よりも、彼らが向ける非難の目の方がずっと怖くなってしまった。後に残るのは、自分を苛む劣等感と、うまくいかない日常に対する煩悶と、そして最後にどうしようもない罪悪感だけで、筆を執るたびに、僕の心が軋む。それはちょうど、錆びた歯車が悲鳴を上げるのによく似ていた。
それでも、書き足りないと感じるこの心は、生きる屍と形容する方がきっと近いのだろう。僕には彼らを終わりへと導く義務がある。彼らは僕の子供と同じで、育児放棄をするのは、余程の事情がない限りは許されるべきではない。そして、存在価値のない僕の、無価値で、無様で、無教養で無遠慮な心など、余程の理由にはなりえない。彼らは確かにこの大地に足をついていた。君達と出会いたかった。僕はその一心で、君達を選んだのに。全部僕のせいだから、責めてくれ。不甲斐ない僕を、責めてくれ。
君たちは水底に沈んだ宝石本の輝きに似ている。それを汚してしまった僕を、僕自身が許せないんだ。だから、「終わる命を待っている」のに、世界は「存在しないことを許さない」。
君達には、僕を責める権利があるよ。代わりに、もう少しだけ、僕の下らない、卑賎な、偽善的な試みに付き合ってほしいんだ。止まってしまった筆をもう一度動かす勇気を下さい、そっと僕の背中を押してください。君達の為にじゃなく、僕の為に書く勇気を。
生きていてごめんなさい。




