火葬場のファウスト あるいは、望まない世界について
僕らの時代、僕らの命、僕らのあり方について考えると、僕らはいかに矮小で歪かがわかって来るだろう。奴隷制は無くならず、インテリゲンツィアは衆愚に呑まれる。金玉は家系が継ぎ、七宝は国家に帰属する。アナーキーな国際関係を解決するには、巨大な国家が必要なんて皮肉もある。一つ二つ取り上げても、議論は平行線を辿るから、結局は僕たちも諦めてしまっているわけだ。
この世で最も崇高で、高い場所にあるところがあるとすれば、それは多分……ないだろうが、恐らくは、火葬場だろう。それはこの世の終わりを肌で初めて感じる場所であり、肌で感じた後にはなにも残らないからだ。
僕はこの場所から見下ろす時に、必ず火葬場を思う。火葬場には、えもいわれぬ魅力があって、どうしても、それを思わずにはいられないからだ。
物語を語る者達は誰しも、この葛藤を抱えていることだろう。現実が満たされていれば、物語る必要などなく、道の先に物語があるのだから。
ベッドの上で、鼻にさしこまれたチューブと、純白の天井を見上げる。ネットの繋がっていないノートパソコンには、青と赤と緑のアイコン。青のアイコンをダブルクリックして、また純白の世界が広がる。しかしそこは無限の理想郷だ。純白の中を黒くつぶせば、そこには光が差し込み、あるいは闇が生まれる。あらゆるものを手に入れ、そして「失う」こともできる。
それはささやかな物語。誰かのために描かれた、理想郷、夢想郷、失楽園。
僕は語ろう、満たされぬ心の叫びを。
僕は紡ごう、あらゆる苦痛を吐露するために。
あるいは、物語る者として。
火葬場には、グレートヒェンが待っている。