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欠けたココロ

作者: 千月華音



 街灯の明かりに浮かびあがる『えにしの家』を一度だけ振り返り、瑚太朗は顔面を元の自分に戻した。

 その途端、腕の痛みが再燃し、熱さと激痛が再びぶり返す。

「……っ」

 痛みが思い出させてくれた。

 篝に……会わないと。

 正直会いたくはないが、そうも言っていられない。

 篝に詰問されても、言い返すことなどできないが。

(でも……言わないと……)

 このままでは篝に対して小さな裏切りを抱えたままになってしまう。

 そんな気持ちのまま動くことなど出来るわけがなかった。

 腕を手で押さえる。

 血液癒着が間に合っていなかった。本来なら病院に行かねばならない怪我だ。

 数日はまともに動かすことができないだろう。

(容赦ねえな……)

 こんな鋭利なものを朱音が受けたら一瞬で首が落ちる。

 実際、リボンは朱音の首に向けられていた。

 苦しまずに死ぬだけ慈悲があるとはとても思えない。

 慈悲……。

 そんなものを篝が知ることなどあるのだろうか。

 人間について学ぼうとしているのに、何か大事なものが欠落している気がする。

 人の憎しみや闘争など、辛い記憶ばかりを吸収して。

 思いやりや慈悲深さ、いたわる心、愛する心。

 それらをどこかに置き忘れているかのようだ。

 それとも。

 篝が求める『良い記憶』には、その感情は必要ないということなのか。

 確かに、犠牲を伴わないと何も事態は進まないけれど。

 間違ったものであるとは思えない。

 それを捨ててしまえば、もう人間ではないと思うから。

「篝は……人間じゃねえよ……」

 知らず、嗤いがこみ上げた。






 結界に戻った瑚太朗は一瞬我が目を疑った。

 辺りはめちゃくちゃになっていた。

「瑚太朗くんっ!」

 小鳥が半泣きで駆け寄ってきた。……服のあちこちが裂けている。

「篝がやったのか?」

 小鳥は泣きべそをかきながら森の奥を指でさした。結界から離れたらしい。

 小鳥の体をよく見てみる。

 小さな切り傷があちこちにあるが、それほど深い傷はないようでホッとした。

(あいつ……小鳥まで傷つけようとしたのか)

 殺さなかっただけマシとは思えなかった。

 これじゃただの癇癪を起こした子供だ。

「……篝はあっちか」

「瑚太朗くん! ダメ! いま近寄ったら……!」

「おまえはいったん家に戻ってろ。ここにいたら危険だ」

「瑚太朗くん、……顔、……こわい……」

 小鳥の怯えた声に気がついた。

 知らずに怒りが顔に出ていたか。

 落ち着け。

 冷静にならないと。

「心配すんな。ちょっと注意してくるだけだ」

 懐から携帯していた鳥型魔物を取り出し、偵察用に契約して飛ばした。

 篝の様子を上空から見てみる。

 ……いた。

 今は落ち着いているのか、リボンが垂れ下がっている。

 だが篝の周りの木々はことごとく伐採されていた。

 おかげで篝の周辺はよく見渡せている。

 だがこれでは。

 ガイアに見つけてくださいと言ってるようなものだ。

 あそこは洲崎派の勢力圏に近い。

(ちっ……!)

 篝をまずあそこから避難させないといけない。

 不自然な森の空間がいつ察知されるとも限らない。

 だが大人しく動いてくれるだろうか?

 引きずってでも連れていかないと。……最悪殺される可能性も。

「…………」

 瑚太朗は工房の近くにある木の上に隠しておいた武器弾薬と防刃ベストを取り出した。

 怪我をした腕だけは今はどうすることもできなかった。

「瑚太朗くん……」

「篝を連れ戻してくる。おまえは家に帰るんだ、いいな?」

 小鳥の肩に手を置いて頷かせた。手当してやりたいが今はその時間もない。

 小鳥が結界の外に出るのを見送ってから、篝のいる方向へ走った。

 偵察用魔物の目では、幸いまだ発見された様子はないが……。

(急がないと……!)

 篝がいる場所に近づくほど、移動した痕跡があちこちに残っていた。

 早くこの場から離れないと危険度が増す。

 なりふり構わず走り続けた。

「篝っ!」

 姿を捉えて声をかけると、篝は瑚太朗を見た途端、リボンで攻撃をしかけてきた。

「……っ!」

 予想していたとはいえ、頬を切る感触を無視して両手で庇いながら近づく。

 瑚太朗の急接近に驚いたような顔をしている篝の腕を掴み、頬を引っ叩いた。

「この、バカッ!」

「……っ」

「暴れるのもいい加減にしろ! こんなところにいたら敵に見つかることもわからないのかっ!」

「な……!」

「来い、早く! 戻るんだっ!」

「なっ……、篝に狼藉は……!」

「文句なら後できいてやる、いいから早く!」

 篝の手のリボンの動きがやんだ。

 その隙を狙って篝を抱き上げる。

 早く離れるには抱えて逃げるしかない。

 だが篝は暴れて離れようともがいた。

「はっ、離しなさい!」

 もがく篝に構わず肩に乗せて左手で両足を押さえつける。

 篝は瑚太朗の背中を叩いたが、構わずそのまま駆け抜けた。

 リボンの動きが気になったが、瑚太朗が抱いて走っているためなのか、攻撃しようとしてこない。

 とりあえずホッとして、そのまま結界の方角へと向かった。

 肩の上の篝がしきりと何か叫んでいる。

 今はとりあえず無視することにした。






 結界に戻って篝を降ろした途端、瑚太朗の頬に乾いた音が響いた。

 痛くもなんともなかった。

「篝に狼藉は許しませんっ!」

 篝を引っ叩いた場所と同じ右頬。

 てっきりリボンで切り刻まれるかと思っていた瑚太朗は、唖然として篝を見た。

「なんですか、その顔は!」

「いや……。その……。殴って悪かった」

 篝の顔を見る。

 瑚太朗が殴った頬は、うっすらと赤くなっていた。

 弾みとはいえ、酷いことをしてしまった。

 ……だが。

 篝のしたことに比べれば。

「……篝。なんで小鳥を傷つけた?」

 瑚太朗の低く抑えた声に、篝は不愉快だとばかりに言い放った。

「コトリが瑚太朗を庇い立てしたからです」

「たったそれだけのことで?」

「そもそもあなたがあの個体を庇うような真似をしたから」

「小鳥はまだ子供なんだぞ! 朱音だってまだ子供だ!」

「子供だからなんだというのですか。ヒトの個体でしょう」

「……っ」

 ダメだ。価値観が違う。

 篝にとって人間は子供でも大人でも老人でも関係ないのだ。

 だが……。

「俺も個体か」

 答えによっては篝についていけなくなるかもしれない。

 だが聞かずにはいられなかった。

「あんたにとって、俺もヒトの個体に過ぎないのか?」

「どういう意味ですか、それは」

「俺をどう捉えているのかと聞いている」

「ホモ・サピエンスです」

「それは生物学的な捉え方という意味か」

「いいえ。あなたと篝との間には絆があります。ヒトではありますが、一個体として捉えています」

「……? どういう……意味だ?」

「あなたは天王寺瑚太朗です」

 瑚太朗は目を見開いた。

 篝が瑚太朗を名前を持つ一個人として捉えている。

 予想もしていない答えだった。

「篝……。小鳥だって名前を持ってる」

 人間には名前がある。

 それは個人として尊重されるべきものだ。

 自分だけ特別扱いされても意味はなかった。

「神戸小鳥って名前がある。一個体として見てやることはできないのか」

「コトリには助力を要請していません」

「あんたを守ろうとしてるんだ、小鳥は!」

「あなたは先ほどといい、今といい、個体に入れ込みすぎではないのですか」

「……」

 瑚太朗は目を瞑って俯いた。

 朱音を庇ったときとまるで同じセリフに笑いがこみあげてくる。

 わかってた。

 篝に人の情というものがないことくらい。

 わかっていた。

「篝……」

 このままでは何を拠り所にしていけばいいのかわからなくなる。

 自分で信じて彼女に尊さを見出したはずなのに、その自分が信じられなくなる。

 それだけは嫌だった。

「俺はあんたに惹かれている」

「知っています」

「あんたの力になりたいと思っている」

「わかっています」

「そのためにはあんたの協力が必要なんだ」

「協力?」

「人を無闇に傷つけないと約束してくれ」

 篝は眉をしかめて納得できないとでもいうかのように瑚太朗の頬を再び叩いた。

 先ほどより少しだけ強めに。

「……あなたは! ヒトに見つかれば篝の身が危うくなると言っていたではありませんか!」

「ああ、そうだ。だが攻撃手段を持たない無力な人間を傷つける理由がどこにある?」

「巡り巡ってどのような形で篝が危険に晒されるか、それを危惧するのは当たり前です!」

「自分の身さえ安全であればそれでいいのか」

「それのどこがいけないのですか!」

「篝。あんたは確かにこの地球でたったひとつの存在だ。星の意志だ。大切なのはわかってる。だけど」

 篝の腕をぐいっと引き寄せて顔を覗きこむようにして言った。

「俺だって一人しかいない」

「……? 何を当たり前なことを……」

「人間はみなそうなんだ。人は一人しか存在しない。殺してしまったらもうその人間はいなくなってしまうんだ」

「殺しても、他にたくさん人間はいます」

「違う。それは種としての群体だ。ヒトという種族だ。俺が言っているのは」

 篝の頬を両手で包み込んで、目を見つめる。

「俺は、俺しかいないんだ。俺もたったひとつの存在だ。篝を守るという存在だ。だから俺を尊重して欲しい。篝を大切に思っている。同じように俺のことも大切に思って欲しいんだ」

「……」

 篝の瞳が揺れていた。

 彼女の中でいま激しく価値観のせめぎ合いが起きている。

 言葉が届いたのだと思いたかった。

「人を無闇に殺すなというのは、人は一人だということをわかって欲しいからだ。そのリボンは身を守るための手段であって、攻撃するためのものじゃない。そういうものなんだろう?」

「……はい」

「襲いかかってくる者には容赦しなくていい。だが過剰な攻撃は必要ない。……篝。俺があんたを大切に思っているように、小鳥にだって大切に思っているものがある。小鳥に謝って欲しい。傷つけてしまったことを」

「……わかりました」

 篝は素直に頷いた。

(言葉が届いた……)

 かけはなれすぎていると思っていた。篝と自分は、とても相容れない存在だと。

 だけど歩み寄ることも可能だった。

 瑚太朗はこみあげる熱いものを押し殺して、篝の頬から手を離した。

 無我夢中だったとはいえ……。

(篝に説教なんてしてしまった……)

 穴があったら入りたい気持ちだった。

「…瑚太朗」

 篝はしばらく俯いたままだったが、やがて瑚太朗の顔に手を伸ばしてきた。

「痛く……ないですか?」

 叩いた箇所にそっと触れた。

 瑚太朗は目を見開いたが、慌てて離れた。

「かっ、蚊に刺されたほども痛くねーから気にすんな! ……それより篝のほうこそ」

「大丈夫です。……驚きはしましたが。瑚太朗に殴られたの、……初めてです」

「す、すいませんでした。ちょっとイラついてたもので。……その、もう二度としないから」

「……篝のせいです。瑚太朗は悪くありません」

「…………」

「どうしました?」

「いや、なんか……そう殊勝にされると……」

 可愛いな、と思ってしまった。

 思わず頭を撫でたくなるような。

 そうするとまた篝の機嫌が悪くなりそうなのでやめておく。

「とりあえず、この辺片付けるか」

「手伝います」

「いや、俺一人で出来るから」

 篝と二人で散らばった木材や魔物の残骸を集めていく。

 その後姿を見て、まだ彼女を信じてついていけるような気がした。



篝は少しずつでも変化していったのだと思います。

というか瑚太朗に感情を教えられたんじゃないかなと。

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