第6話 喜べない解放
「もう心配はいらない、君達の村はドワーフから解放された。もう縛り付けられることはない、これで自由だ」
フレデリックのその言葉を聞いた村の広場に集められた炭鉱で働く村の男達の眼に生気が宿り始めるのに数分程は費やしたであろうか?
始めは言葉の意味を理解できずにいたようだが、村の皆はフレデリックの表情を見ていく内にやがてその言葉が嘘偽りのない真実だということを知り、広場中が、集まった百名近い村人の狂喜の渦に包まれた。反抗心を散々に打ち砕かれ、単なる動く屍同然だった筈の村人達の顔色が良くなってくるのがオリヴィエ自身も分かった。生気の欠片もない幽鬼と呼んでも差し支えなかった者達が「生きている人間」に戻っていくのだ。
芸術的とすら思える程の鮮やかな解放劇だった。フレデリックの部下達十数名は、炭鉱に殴り込みをかけ、働かされている村の男達全員を保護、解放したのだ。監視員であるドワーフ達は何が起こったのかまったく理解できなかったらしく、気が動転してパニックに陥った。そんなドワーフ達を鎖で縛り上げ、村の広場の片隅に集めた。その中にはドルフと、村の支配者だったアンドレの姿もある。縛られているドワーフ連中の顔は動揺を隠せていない。今日突然国の騎士達が自分達ドワーフを捕え、村を解放したのだ。自分達は亜人法に守られているという安心感に縋っていたので無理もない。
最早このドワーフ達の命運は決まったといってもいいだろう。四年にも渡る村の人間に対する搾取と惨い仕打ちの数々は確かな憎悪と怨嗟を村民に植え付けた筈だ。
当然だ。オリヴィエ自身も受けた仕打ちを忘れようとて忘れられない。自分の抱くドワーフ達への憎悪憤怒をあらん限りぶつけなければ気が済まなかった。いや、そもそもそんな生易しい表現で足りるわけがない。長年に渡る村との信頼関係を裏切り、踏みにじった悪魔達に対する報いは筆舌に尽くしがたいモノでなければならない。それは村の男達も同じ意見の筈だ。生気が戻った村の男達の鋭い眼光は縛られたドワーフ達を真っ直ぐ射抜いていた。村の男達の眼は度し難い程の憤激と憎しみの炎で輝いていた。そういう自分自身も同じような目でドワーフ達を見ているのだろう。
「お前達、屋敷に囚われている村の女達は無事なんだろうな?」
その時フレデリックが唐突にドワーフにそう言った。その言葉で沸騰しかけていたオリヴィエは我に返る。そう、自分の母親は無事なのだろうか?
「も、勿論だとも。屋敷の地下にある牢屋に女共を閉じ込めてある。死んじゃいねぇよ」
ドルフの言葉を聞いたフレデリックは信じられない程の足の早さで屋敷まで駆け抜けていく。オリヴィエは自分の眼が信じられなかった。
今のフレデリックの早さは馬をも追い越せる程だっただろう。到底人間に出せる速度ではないのは誰の目から見ても明らかだ。
現に走り去っていくフレデリックを見た村の若者が信じられないと口々に言う。先程見せた屈強なドワーフを子供扱いするレベルの怪力、馬をも上回るであろう健脚、及びその速度。本当にフレデリックは自分達と同じ人間なのかとオリヴィエは疑いたくなった。
只の人間がこれほどまでに超人的な力を発揮できるわけがない。
所謂、「魔法」の類でも使わなければ……。
それから暫く時間が経過して、屋敷の入口からフレデリックが出てきた。外に出たフレデリックは屋敷の中に顔を向けて、手招きしている。すると中から女達が出てきた。
ドワーフ達の慰み物にされていた村の女達。十代から四十代までの年齢の女達を欲望の捌け口にしていたドワーフ族。出てきた女達はおぼつかない足取りでこちらに来る。
出てきた女は数十名前後だった。幾らなんでも数が少ないのではないか?これまでに屋敷の中に連れて行った女の数は百人に近い筈だ。それなのにここまで激減しているとはどういうことだろうか?
オリヴィエは嫌な予感がした。
「ロ、ローラ!!」
「エリシア!!」
村の男達が自分の妻や娘の名前を叫びながら駆け寄る。
しかし様子がおかしかった。村の女達は家族との再会という喜びに何の反応も示さなかった。いや、男達の問いかけにすらも全く応じていない。
よく見れば目の焦点が合っていない者が多くいた。中にはだらしなく涎を垂れ流しながら泣きわめいている女もいた。グレゴー爺さんの孫娘のエリーだ。
グレゴー爺さんは高齢者であったのでドワーフ達に「間引き」された。今ではこの村には老人など残ってはいない。
エリーや他の女達の様子は傍目から見れば精神に異常をきたしているとしか思えなかった。
屈強なドワーフ達の慰み者となったのならば人間の女ではまず無事ではいられない。精力も体力の人間のそれとは比較にならない程に強いドワーフ達の相手を毎日していたのではこうなるのは目に見えている。
「俺を覚えているか!? マイクだ! 分かるか!」
「あ……、あぁ……、ドワーフさん達の……あいて……しな……きゃ」
必死の呼びかけにも応じず、上の空で独り言をぶつぶつと呟くのはマイクの妹のエイミーだ。
まだ十一歳の時に屋敷に連れていかれたエイミー。兄のマイクは妹が帰ってくるのを願いひたすらに働き続けた。しかしその結末がこれだった。
涙を流しながら何度も何度も自分の名前を言うマイクの姿は見ていられなかった。
自分の妹、姉、妻、母親がもうあの頃とは違うことを察した村の男達は号泣し始める。自分達の家族が帰ってきたのは事実だ。だがこんな状態で素直に喜べるわけがない。ドワーフ連中が約束を守るとは思ってはいなかったが、仮に再会できたとしても今の彼女達の姿は到底直視できない。
「くそ……」
オリヴィエは自然と流れてくる自分の涙を腕で拭う。
女達の中に自分の母親の姿はなかった。もう理解できている。察しはつく。生き残った女達は今日までに生きていた幸運な部類なのだ。
いや、生きていた所で今の姿は再会を待ちわびた家族が喜べるようなものではないだろう。目の前にいる家族の姿も理解できずに精神を病んだ女達。
「……バッカじゃねぇか?」
オリヴィエには今の声がハッキリと聞こえた。誰が喋ったのかは直ぐに理解できた。精神に異常をきたした女達の姿に泣き崩れる男達を冷笑的な表情で見つめるドワーフ族達……。それも今の言葉の声の主はそう、あのドルフだ。
「何て言った?」
「あん?」
オリヴィエは無言で縛られているドルフの所まで行き、問いかけた。
「何て言ったかって聞いているんだよ……!」
「お~、怖ぇ顔すんなよオリヴィエ。無事に女共は帰ってきたじゃねぇか。帰ってた女共があんな風になっているからってピーピー泣き喚きやがって。あいつら女々しってモンじゃねぇよな」
何たる侮辱、何たる暴言。どこまで自分達人間の尊厳と誇りを踏みにじれば気が済むのか? 今のドルフの言葉はオリヴィエの中の理性を破壊するには十分な一言だった。
踏み越えてはならない一線を踏み越えた瞬間だった。