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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

猫背の犬

作者: ひとぽん

彼は、僕の好きな獣人だった。

世間からは獣人という種族は蔑まれる傾向にあったけれど、少なくとも僕は獣人が好きだった。

そんな獣人の中でも、彼は、犬と人が混ざりあった、犬獣人と呼ばれる種族に当たる人だった。


校庭の緑が眩しい、初夏のこと。

僕は、彼を意識するようになった。

特に理由があったわけではないけれど、いつしか彼を眺めるようになっていた。


彼は、休み時間になると教室からいなくなる。

代わりに、校庭の、あるいはそれ以外の場所、つまりは校舎の外にいて、いつも読書をしていた。

ある日は校庭の隅で。ある日は校舎の影で。ある日は裏庭の煉瓦の上で。

それに合わせて、僕も校舎の中を転々としていた。

何故決まったところに行かないのかは知らなかったけれど、彼なりに理由があるのだろうと深くは考えなかった。


そんな彼は、犬獣人なのに、猫背だった。

授業中の教室で見たときはそうではないのだけれど、休み時間になると、決まって彼の背中は丸まっていた。

しばらく経ってから、どうやら読書をするときだけ猫背になるらしいことを知った。


しばらく彼を見るうちに、もう一つわかったことがあった。

彼に寄り付く人間が、いないのだ。

寄り付くどころか、僕のように彼を視界に入れる者さえいない。

その理由を、彼を眺めながら少しだけ考えてみた。

そうしてたどり着いた結論は、彼の転々とする場所にあった。

校庭の隅、校舎の影、裏庭の煉瓦の上。

彼は、極力人気のないところに行っていたのだ。

それに気づくと、彼の丸まった背中に孤独が滲んだように見えて、不意と胸が苦しくなった。


夏が本格的になっても、彼は変わらず校舎を転々としながら、背を丸めて読書をしていた。

何の本を読んでいるのか気になったりもしたけれど、彼の纏う孤独な空気がそれをさせなかった。

結果として、僕も変わらずに、彼の丸まった背中を見つめるだけに留まっていた。


ただ、少しだけ、変化があった。

時折、彼の視線が、ちらりと、本当にほんの少しだけ、僕に向けられるような気がするようになったのだ。

でも、それはごくごく僅かな、ダンボールに錐で開けた穴のように小さすぎる変化で、夏休みになる頃には勘違いだと思い直していた。


蝉と陽炎が騒がしい夏休みが過ぎて、秋になった。

今日も背を丸め本を読む彼に、また少しの変化があった。

今まで校舎を転々としていたのが、決まって裏庭の煉瓦の上にいるようになったのだ。

一本の大木が植えられ木陰になっているそこが、静かで一番心地良いと思ったのかもしれない。

あくまで、未だに彼と話せていない僕の推測にすぎないが。


それはともかくとして、彼が一点に留まったことで、僕も一点に留まることになった。

校舎の二階、誰もいない空き教室。

何故か施錠されずに放置された埃っぽい箱の中が、僕の定位置だ。

そこにあるのは、薄暗く空虚な壁や床だけ。

誰も来ず、何もない。

喧騒が満ちる休み時間の学校の中で、何にも邪魔されることのない、静謐な空間。

それが彼が身を置いている状況と同じだと気づいたとき、不意と不思議な感情に出会った。

校舎の内と外。

相反する空間で。

ただ吹き行く風と、優しく注がれる陽射し。

相似する状況で。

僕は、彼を見ている。

その距離が、どこか遠く、どこか近い。

そんな、曖昧な感情に。

去来するそれの中で、僕はやはり、ただ彼を眺めていた。


紅に燃える葉が落ちて、冬になっても、彼はいつものように猫背で本に耽っていた。

僕も相変わらず、そんな彼を眺めている。


今日も僕らは、そんなある日の、日常的な光景の中にいるはずだった。

けれど。

「……!」

不意と、"視線が合った"。

彼が本から顔を持ち上げ、確かな動作でこちらを見たのだ。

僕は突然のことに狼狽え、ただ彼と視線を合わせていた。

彼が僕に気づいているなどとは、一切思ったことがなかった。

僕が一方的に彼を見つめるだけで、僕らは全く交わることなどないと思っていた。

けれど。

「……」

彼は今、確かに、僕を見ている。


いつから気づいていたのだろうか。

たった今?一点に留まり始めた秋からだろうか?それとも、最初から?

それ以外にも様々な考えが頭をぐるぐると巡って、それでもやはり僕は彼と視線を合わせることしか出来ずにいた。

「……」

そうして何秒か経った頃、彼は僕を見上げたときと同じように、何気ない動作で本に視線を戻した。

「……」

対して、僕は未だに混乱していた。

彼が僕に気づいていたことに。

二人が交わったことに。

彼と見つめ合ったことに。


結局混乱したまま空き教室を出たきり、その日は足を踏み入れなかった。


次の日。

何とか感情の整理をつけた僕は、努めていつものように振る舞うことを心がけながら、空き教室に入った。

いつもの場所に椅子を置き、そっと彼を覗いてみる。

「……」

すると、彼はまた、ゆっくりと顔を持ち上げた。

再び交わる、僕と彼の視線。

でも、今度は狼狽えない。

奇妙に思われないように、静かに視線を合わせ続ける。

「……」

数秒そうしてから、ふと思いたって、僕は彼に笑いかけてみた。

「……」

しかし、なけなしの勇気を振り絞ったのも虚しく、彼は眉ひとつ動かさなかった。

変わらない静かな視線で暫し僕を見つめてから、また何気ない動作で顔を下げたのだった。

「……」

もしかしたら、彼も笑ってくれるかもしれない。

そんな淡い期待は叶わなかったけれど、不思議と、それでいい気がした。


それからは、休み時間の度、彼が僕を見上げるようになった。

僕が彼を覗いてからの数秒。

たったそれだけの間、ただ視線を交わらせるだけ。

それでも、それは僕にとって莫大な変化だった。

少しでも彼と関係を持てたことが、何より嬉しかった。

それに、もう一つ変化があった。

今までは意識しないように努めてきた授業中も、時折、彼の姿を眺められるようになったのだ。

丸まっていない彼の背中は、とても広く見えた。


また、休み時間がやってくる。

いつもの空き教室で、いつもの場所で、僕は彼をそっと覗く。

彼はやはり、静かに僕と視線を合わせてくれる。

「また来たのか」。

時々、彼の視線がそう言っているように見えた。


そうした関係を一ヶ月ほど続けた頃。

僕は、再びなけなしの勇気を振り絞った。

彼に、話しかけることにしたのだ。

この関係に満足していなかったわけではないけれど、どうせなら、もう一歩踏み込みたい。

彼に近づきたい。

そう思うようになったからだった。


そっと、いつもの空き教室で彼を覗く。

「……」

彼はまた、静かに視線を合わせてくれる。

けれど、今日はこれだけでは終わらない。

「ちょっと、待ってて」

喉の奥からそう絞り出し、僕は彼の場所へ小走りに向かった。


彼のところへたどり着く頃、僕の鼓動はいやに速まっていた。

肩も緊張してしまって、力が抜けない。

「……?」

そんな風体でぎこちなく近づく僕を見て、彼は不思議そうに首を傾げた。

彼の目に、今の僕は相当奇妙に映っているのだろう。

そこまで考えて、「ちょっと待ってて」と言っておきながら、これといった話題を思いついていない自分に気づく。

沈黙の時間を持て余した僕の視線は、我知らず彼の全身へ向けられていた。


いつもとは違う、至近距離の彼。

背を丸め、片手で本を持ちながら、今は僕の方へ顔を持ち上げている。

体毛がそよ風に靡き、ぴんと頭から突き出た耳が微かに動いている。

その静閑な表情には、穏やかな金色の眼差しが湛えられていた。

近くで見る彼の全てが、僕の目に新鮮だった。

「……」

そこでようやく、彼を眺め回している自分に気づく。

「あ、あの、えっと」

慌てて話題を絞り出そうとするが、そう都合よく話題は浮かばない。

しかし、言葉を詰まらせる僕を、彼は変わらずその金色の眼差しで捉えていた。

「……」

そんな彼の表情に、肩から力が抜けていく。

些か気を張り詰めすぎていたようだ。

「えっと……は、初めまして」

ひとまず、直接的に会うのは初めてだったので、そう挨拶をした。

「……」

が、彼は答えない。

暫し待ってみたが、やはり彼は何も喋らない。

ただ、その静かな眼差しで僕を見るだけだ。

「な……何の本を、読んでるんですか?」

このままでは、ここで会話が途絶えてしまう。

それは避けたいことだったので、僕は話題を転換する。

「……」

すると、彼はやはり何も言わないまま、片手に持った本をそっと差し出してきた。

「これは……、英語の本……ですか?」

開かれたページを見た僕は、思わずそう訊ねていた。

そこにはびっしりとアルファベットが綴られていて、難解な文法を形作っていた。

字も、走り書いたようなくねくねとした形をしている。

明らかに僕には縁のない本だ。

「……」

彼は僕の質問に静かに頷いてから、本を手元に戻す。

そして、それで僕の用は済んだと認識したのか、視線を本に戻してしまった。

それきり僕の方を見ないまま、彼の目は文字を追いかけ始める。

「……」

そうされてしまうと、おいそれと話しかけるわけにもいかなくなる。

仕方なく、僕も煉瓦の上に腰を下ろした。

冷たい石の感触が、やけに身に滲みる。

「……」

文字を追いかける彼を時折覗きながら、何気なく今までの会話を反芻する。

そこで、無意識のうちに敬語を使っていた自分に気づいた。

彼の独特な雰囲気がそうさせたのだが、考えてみれば、同じ学年で同じクラスなのだから、それほど気を遣わなくても良いのかもしれない。

緊張しすぎていた自分を改めて思い返し、少し恥ずかしくなった。


「……読める、の?」

数分黙り込み、そろそろ沈黙が寂しくなった僕は、無粋だと思いつつそんな質問をした。

読めないなら、読むはずはないのだ。

「……」

しかし彼は、そんな質問にも嫌な顔一つせず、いつもの表情のままでこくりと頷く。

「そう、なんだ。……すごいね」

今ひとつ慣れない砕けた口調でそう言って、僕はまた黙り込む。

自分から話題を投げかけておいて、自分で会話を完結させてどうするのか。

胸の内で小さく自責した。

「っていうことは……アメリカに留学とか、してたの?」

何とか会話を繋ごうと、僕は再び口を開く。

「……」

すると、彼は静かに首を振った。

「……そっか」

反応はそれだけで、質問の明確な答えは分からなかった。


結局その日の会話らしい会話はそれだけで、彼の口が開くことはなかった。


次の朝。

「おはよう」

僕は教室で、猫背ではない彼に挨拶を試みてみた。

さすがに挨拶くらいは返してくれるだろうと思ったのだ。

「……」

しかし、彼は僕をちらりと見ただけで、頷いてくれさえしなかった。

頬杖をつき、窓の外を眺め始めてしまう。

「……」

話しかける余地もない僕は、少し気まずくなりながら大人しく自分の席に戻った。

彼はよほど口が堅いらしい。

盗み見ると、彼は僕のことなど気にした様子もなく窓の外を眺め続けている。

どうしてそんなに口が堅いのかは分からないけれど、そんな不愛想な彼にも、僕はどこか魅力を感じているような気がした。


結局その冬の間、接着剤でくっつけたような彼の口が開くことはなかった。

僕はフル回転させた脳で彼の頷きと首を振る動作に含まれた意味を推測しながら、何とか彼との会話を続けていた。


季節が巡って、また春が来た。

今日も相変わらず、あの裏庭の煉瓦の上で、僕と彼は会話をしていた。

会話といっても、やはり僕が一方的に話しかける形のままだったけれど。

「……」

彼は今日も背を丸めて、小難しそうな英語の本を読みながら、僕の言葉に頷いてくれていた。

「……」

僕も、今日とて話題をどうにか練ろうとしていた。

けれど、今日は何だか上手く思いつけない。

木漏れ日に照らされた葉がひらひらと僕と彼の間を落ちていくだけで、ただ時間が過ぎていく。

「……」

彼はそんな沈黙を気にした風もなく、静かに文字を追っている。

「ね、ねえ、聞きたいことが、あるんだけど」

完全に会話に詰まった僕は、悩んだ末に、ずっと心に絡んでいた疑問を吐き出すことにした。

「?」

彼は本から顔を上げると、続いて首を傾げ、僕の言葉を待つ。

「ぼ……、僕の、こと……どう思ってるの?」

「……」

切り出すと、彼は少し驚いたように目を開いて、それから困ったように視線を泳がせた。

「……」

「……」

待っても、彼から言葉は返ってこない。

それはそうだ。彼が喋らないことは僕が一番知っていて、そんな彼が答えられない訊ね方をしたのだから。

「僕、は……僕は……」

だから、

「……?」

「……僕は、好き、だよ」

自分から言ってしまうことにした。

ほとんど呟くような掠れた声だった。

「……!」

「……」

咄嗟に俯く。

煉瓦を眺める余裕もなく、激しく脈打つ鼓動を自覚した。

息が詰まって、呼吸が急速に乱れていく。

心拍は急上昇の一途を辿って、余計に僕の心をかき乱す。

ちゃんと聞こえただろうか?

聞こえていたとして、今どんな顔をしているだろう?

「……」

「!」

胸の中がぐちゃぐちゃになった僕の肩に、ぽんと手が置かれた。

ゆっくりと見上げると、そこにはいつも通りの彼の視線。

木漏れ日のような、金色の、穏やかな光。

「……」

それが、そっと上下に揺れた。

「……!」

彼が首を縦に動かしたのだ。

それは、つまり。

「……」

彼は、僕を安心させるようにもう一度頷く。

「……ほんとに?」

彼も、僕と同じ気持ちだったのだ。

「……」

そして、彼がそっと、口元を緩めた。

初めて見る彼の微笑み。

獣毛が、風に優しく靡いていた。

「……ありがとう!」

様々な想いが重なって、僕のぐちゃぐちゃだった胸は嬉しさの一色で彩られていく。

そんな勢いのままで、僕は思いきり彼に抱きついた。

「……」

彼は、そんな僕を困ったような顔で見つめていた。

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