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『被告人に質問する。きみの氏名は?』
『……レバス・ラスイール』
名乗る前に、レバスは微笑んだのかもしれない。
なんとなく、そんな気がした。
我が妹、法典イザベルによる『法廷中継』は、ノイズ混じりではあったけれど、名前を聞かなくても声の主が誰かわかるくらいには明瞭だった。
『年齢は?』
と、質問しているこの声はアルフレッドだ。
『肉体年齢のことかい?
それとも僕の魂がこの世に生まれ出てから過ぎた時間の総量のことかな?』
と、もってまわった言い方で聞き返したのはレバス。
『二つ目のほうだよ』
『なら、68年と177日だ』
『職業は?』
『それは生活の糧を得る手段のことかな?
それとも、僕が何をするために生きているかについて、かな?』
『……両方、答えてみて』
『前者なら、ラスイール島の島主。
後者ならば、魔法の研究だね』
『住所は?』
『決まった場所で暮らしたことはないんだ。
昨夜、夜を過ごした場所のことなら、このお城ってことになる』
『きみはラスイール島の島主なんだろ。
島に自分の城を持ってるんじゃないのかい?』
『先祖が建てさせた城ならあるし、いちおう僕の所有になってはいるけど、この頃はあんまり帰っていないな』
『帰る場所、それが住所だよ』
『なるほど。
なら、あの城がきっとそうだ』
聞いていて、イライラしてきた。
レバス。
どうしてアンタは、そう面倒くさい答え方をするのか。
悪意からそうしているわけではなさそうなのが、余計に性質が悪かった。
レバス本人は、誠実に答えているつもりみたいなのだ。
『……起訴状を朗読する』
アルフレッドもイライラしていた。
とげとげしい早口になる。
『被告レバス・ラスイールは、以下に述べる7つの罪に問われている。
1つ。王国暦512年7月8日、王都西南区23、ガルガ家の屋内において、当家の飼い犬を殺害し、また再生させた器物損壊罪。
1つ。右と同日、同所在地において、再生魔法を行使した禁呪行使罪。
1つ。右と同日、同所在地において、37人が殺害されたことへの殺人幇助罪。
1つ。右と同日、同所在地において、37人の死者を再生させようとした再生罪。
1つ。右と同日、同所在地において、被告を取り押さえようとした捜査官に抵抗した王務執行妨害罪。
および、もう1つ。その際にガルガ家の建物を半壊させた器物損壊罪。
そして最後。最も重大なものが1つ。王国暦504年7月7日。王家に反逆し、国内に騒乱を起こした、内乱罪』
一度もつっかえることなく、アルフレッドは起訴状を朗読してのけた。
私だったら、こうはいくまい。
つづけて黙秘権やらなんやら被告人の権利について読み上げるのも実にスラスラ、立て板に水だった。
きっと陰で練習したに違いない。
アルフレッドの努力に対して失礼なのは承知だが、私は眠くなってきた。
部屋は暖かいし、パン生地のいい匂いがするし、難しい単語の羅列は聞かされるし。
眠くならないほうが異常である。
ひょっとすると、イザベルは私を居眠りさせようとしているのかもしれない。
パン作りを失敗させようと企んでいるのだ。
私を『お姉さま』と呼ぶこの紙の束は、隙あらば私の揚げ足をとろうと狙っている。
困っている私を眺めるのが大好きらしいのだ。
お姉さまは悲しいぞ。
私の記憶にあるイザベルは、お母さまのスカートの後ろにしがみついていた、目を合わせるのを嫌がる控えめな女の子だった。
6歳くらいだったと思う。
くるくるの巻き毛がよく似合っていたっけ。
あんなにかわいかったイザベルが、どこをどう間違ったら、こんな陰険な書物に成り下がってしまうのだろう。
人生は神秘の連続である。
それとも、生き返る前の私はそんなにもヒドイ姉だったのだろうか。
妹の性格をこんなにも歪めてしまうほど、どうしようもない人非人だったのか。
ありえる話だ。
なんてったって、懲役9998年である。
私は、再生される以前の私のことを、よく知らない。
どんな研究をしていたとか、何歳のときに何をしていたとか、そういう表面的なことなら、ある程度まで教えられているが、何を考えてそれをやったのかとかいう内面的な部分は藪の中である。
そりゃそうだ。
人の心の中なんて、本人にしかわかるはずもない。
囚人の身分では好き勝手に資料を漁る権限もなく、詳細な記録からそのときの心情を推測する、なんて芸当もできなかった。
イザベルは何かにつけては以前の私のことを説明してくるけれど、それは悪口以外のなにものでもなく、とても信頼に足る情報とは呼べない。
正直、ちょっとホッとしてもいた。
再生以前の自分のことを知りたくないわけじゃないけれど、偽りなく白状すれば、知るのはちょっと怖かった。
いや、かなり怖かった。
なんてったって、懲役9998年なのである。
せめて998年だったら受け止められたかもしれないが、4桁は無理だ。
ほぼ5桁だし。
どんな人生を送れば、そんなに罪を重ねられるのか。
奇跡だ。
とてつもなく悪い意味で奇跡だ。
いやだ。
奇跡レベルで凶悪犯な自分なんかと直面したくない。
『これらの罪について、まずは被告に発言の機会を与えよう』
私の懊悩なんておかまいなしに、裁判はすすんでいた。
『いま挙げた罪状は事実かな、ラスイールくん?』
アルフレッドの口調はなれなれしかった。
いくらか嘲りも含んでいるみたいだ。
『結果だけを見れば、事実といえなくもないかもしれないね』
『これは驚いた。
全面降伏かい?』
『降伏?
僕は誰とも争ってはいないよ』
『王家に反逆したじゃないか』
『距離をとっただけさ。
僕は戦争をしたかったわけじゃないし、いまもしているつもりはないよ』
『ぬけぬけと言ったね。
じゃ、何をしたかったというんだい?』
『僕は魔法使いだ。
魔法の発展を願っている。
そのために自分でも研究しているし、研究がしたいという人にはその環境を整えてあげたい』
『再生魔法の研究であってもかい?』
『オルテガの破壊魔法であってもね。
残念ながら、それは失われてしまったけれど』
『王国の平和を乱すことを、なんとも思わないのかい?』
『魔法の発展は、かならず王国の人々に幸せをもたらすよ。
僕は魔法の可能性を信じている』
『すばらしい。
きみは魔法使いの鑑ってわけだ』
『魔法使いなら、みんな同じ気持ちのはずさ』
『法に反することを、なんとも思わないのかい?』
『イザベルが決めたことに違反したくはないけれど、やむをえない場合もあると思っているよ。
悲しいけどね』
被告が貴族などの社会的に重要な人物である場合、裁判は『女王の間』で開かれることになっていた。
城のほぼ中央に位置する、玉座が据えられた広間だ。
レバスの裁判の舞台も『女王の間』である。
まだ3回しか入ったことはないが、女王の間の間取りを私は正確に思い描くことができた。
私の記憶力がすぐれているからではなく、単純に憶えるべきものが少ないせいだ。
入り口の大扉をくぐると、まっすぐに奥まで赤い絨毯が敷かれているのがまず目に入る。
両脇には太い柱の列。
天井は高いが窓は少なく、室内は薄暗くてひんやりとしている。
絨毯の上を進んでいくとやがて五段だけの階段があって、その頂上に鎮座しているのが玉座。
王さまだけが座ることのできる豪華絢爛な『お椅子さま』だ。
目が痛くなるくらいピカピカのギラギラな椅子なのだが、しかし女王の間においてはたいした存在感を発揮できずにいた。
女王の間の主役は、玉座の後ろにいるのだ。
『女王の書』
玉座の後ろの壁に飾られた、巨大な書物だ。
縦4メートル、横2・5メートルという本のバケモノであり、我が妹イザベルの『本体』である。
私の胸でいつもやかましくしているほうは、数冊ある分身のうちの一冊にすぎない。
女王の書は、またの名を『絶対法典』という。
我が妹イザベルが編纂した、王国の法律を記した書である。
イザベルはこの大法典の作成に生涯をささげたらしい。
生きていた間だけでは飽き足らず、死後みずからの魂までその書に定着させてしまったという熱の入れようだった。
文字通り『魂をこめた』のである。
魂を無機物に定着させる魔法は、再生魔法が完成されるまでは、死後もこの世にとどまり続けることを可能とする唯一の魔法だった。
定着先の物体が破壊されないかぎり、魂は半永久的にこの世にとどまる。
使い方によっては死後も相手を苦しめることができる恐ろしい魔法だが、愛着を抱いていた物に自らを宿したいと願う好事家もあとをたたない。
女王の書の本体の表紙には、鋼鉄の鋲が打たれている。
もちろんただの鋲ではなく、魔法で強化されているので、どんな力持ちがひっぱっても壊れない。
鋲には鎖がくくりつけられていて、その鎖は2メートルほど床を這いずった先で、霧に隠されたみたいに消失していた。
魔法によって空間を飛び越えているのだ。
飛び越えた先でつながっているのが、私の首の枷である。
私は首の鎖を通じて、女王の書――イザベルにつながれているのだ。
鎖はスパイの役割も担っていた。
私の言動は逐一、鎖を通じてイザベルの魂に筒抜けである。
そうか妹よ、そんなに私と離れたくないのか。
『起訴状にあった7つの罪を認めるのかい?
認めないのかい?』
アルフレッドが結論を催促した。
『認めてもいいよ。
それで君が幸せになれるなら』
僕はね、とレバスはつづけた。
『みんなを幸せにしてあげたいんだ』