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p3

 私は高所恐怖症じゃないけれど、地上10メートルからの飛び降りは、さすがに勇気がいる。

 もう慣れたけど。


 ヘブンが窓ガラスを割るが早いか、私はホールの上空に身を躍らせた。

 キラキラ舞い散るガラスのカケラと一緒に自由落下――していたのは、最初の2メートルくらいまでだった。

 私の周囲だけ時の流れが緩やかになったかのように、私が落ちる速度はゆっくりになった。

 ガラスのカケラが地上でさらに細かく砕けたとき、私はまだ5メートル以上も上空にいた。

 頬などの露出した肌に、羽根でくすぐられるみたいなコソコソした感触があった。

 魔法の防御。

 その感触である。

『鎖たち』がこの飛び降りは危険だと察知し、自動的に防衛機能をはたらかせたのだ。


 私の全身には、13個の鉄の輪――枷が嵌められている。

 両の足首に1つずつ。

 膝の下に1つずつ。

 太ももにも1つずつ。

 腰にX型に2つ。

 右腕・左腕に2つずつ。

 最後の一つは首。

 極太のやつで、鉄のマフラーみたいだ。


 枷には鎖がつながっている。

 鎖はそれぞれ1メートルくらいの長さしかなく、それより先は、スーっと霧に隠されたみたいに見えなくなっていた。


 鎖は物理的な距離をとびこえて、はるか彼方の牢獄につながっている。

 私を守っているのは、牢獄の囚人たちだ。

 鎖を通じて、彼らの魔力が私を保護しているのである。

 なんでも、私が傷つくことは彼らの『職業的プライド』が許さないのだそうだ。

 ばかばかしいったらありゃしない。

 ありゃしないけど、おかげで私は平然と10メートルの高さから飛び降りれるわけだ。

 時の鐘が3つ目を打ったときに落ち始めた私が地上に着いたとき、鐘は6つ目を打った直後だった。

 ちなみに、鐘は5秒間隔で鳴ることになっている。


「刑法第265条、再生禁止法の違反により、あなたを逮捕します」

 凛とした声で宣言したのは、私の胸にへばりついた法典だ。

「あなたには黙秘権があります。

 また弁護人をつける権利が……」


『妹』が被疑者の権利について暗誦している間に、鐘は8つ目が鳴り終わった。

 私は肩に提げていたバッグから、竹で編んだ箱をとりだした。

 箱の中身はサンドイッチ。

 楕円形のパンを真っ二つにして、チーズとトマトとレタスが挟んである。

 形がちょっと崩れているのを直しながら、私はそれを口に運ぼうとした。


「何をしておいでなの、お姉さまっ!?」


『妹』が素っ頓狂な声を上げた。


 サンドイッチを食べようとしてるに決まってんじゃない。

 だがそんなに長い言葉を吐くのは面倒くさいので、


「8時よ」


 私は言った。

 夕食の時間である。

 血まみれの死体で埋め尽くされたホールで、私はサンドイッチにパクつきはじめた。


「お姉さまは、どうかしていらっしゃるわ!」


 アンタにだけは言われたくない。


「おまえが言うな!」


 ヘブンの声。

 珍しく気が合ってしまった。

 気持ち悪い。


「どっちもどっちだろぉがっ!」


 失敬な。


 私は声がしたほう――ホールの天井をにらんだ。

 私とほぼ同時に窓からとびこんだ彼は、だが落下せずに、壁を走って反対側に回りこんでいた。

 ブーツの先端にトラバサミみたいな鉄の牙が付いているとはいえ、鍛えぬいた脚力があればこその芸当だ。

 ドーム形になっている天井を蹴って、ヘブンはステージ上の魔法使いに襲いかかった。

 速すぎて、その姿が黒い線と化す。

 背中の長剣を、抜き打ちざまに一閃させた。


 空気が、破裂した。


 ヘブンがふきとばされた。

 一拍遅れて、ホールの窓という窓のガラスがふきとぶ。

 魔法使いを中心に、猛烈な『魔法風』が発生していた。

 ホールにあった物は、テーブルや死体たちも、しっちゃかめっちゃかだ。

 鼓膜に痛みが走って、うっ、と私はうめいた。

 鎖の防御も完璧ではないのだ。


 ヘブンは空中で一回転して、壁に足をついた。

 床に降り立ってから、苦笑した。


しゅの鎧か。

 さすがに、ただのマントじゃねえわな」


 彼の斬撃を浴びても、魔法使いにはいささかの変化もなかった。

 微動もしていない。

 私の『鎖たち』と同じように、魔法使いがまとっているマントに施された『魔法の守り』が発動したのだ。

『導師級』と称される、高位魔法を修めた魔法使いのみが身にまとえる、強力な魔法の防具だった。

 その効果は、受けたダメージを内部に伝えず、外部に発散させる。

 その結果の魔法風だった。


 と。

 そのマントに、切れ目が走った。

 縫製の糸が切れてしまったみたいに、縦一直線に真っ二つに割れる。

 マントはハラリと二枚の布地に分かれ、次の瞬間、紙ふぶきみたいに細かく裂けて散った。


「こっちだって、ただの剣じゃないんでね」


 得意げに言って、ヘブンは長剣を鞘にもどした。

 剣だって相当なダメージを受けたはずだった。

 折れてはいないようだが、その手前くらいには傷んでしまったにちがいない。

 だがヘブンにとって剣一本くらい、たいした問題ではなかった。

 流れる動作で、腰のホルダーからナックル付きのナイフを抜いて構える。

『歩く武器庫』と私が心で呼んでいるこの男が、丸腰になって困るなんてありえない。


「……なんてことでしょう」

 法典がため息をつくように言った。

 サファイアの瞳はステージ上を凝視して、かすかに震えていた。


 わずらわしかったマントがきれいさっぱりなくなって、ステージ上の魔法使いの姿が露になっていた。


「大物中の大物ですわ」

「青炎玉の瞳。

 君が『女王の書』だね。

 はじめまして、イザベル。

 それとも、お久しぶりと言うべきかな?」


 上流階級があやつる正式なアクセントを、流麗なまでに完璧に駆使して、魔法使いは言った。

 大人になってから習得した付け焼き刃発音ではこうはいかない。

 物心もつかないうちから専門の家庭教師がつきっきりで仕込まなければ。

 私なんて、巻き舌が巻いてないとか巻きすぎだとか、しょっちゅう『妹』にダメ出しされていた。


 完璧に貴族な話し方をする魔法使いは、前髪が長かった。

 それが彼の場合は鬱陶しそうには見えず、見事にサマになっていた。

 サラサラの金髪を透かして、緑色の眼差しが澄んだ光を放っている。

 完璧だった。

 パーフェクトな美男子だ。


「はじめまして。

 そしてお久しぶりだね、イスカッツェル」

 魔法使いは微笑した。

 憎々しいくらい魅力的な微笑みだった。


 イスカッツェルとは私の名前。

 私は彼を知らないけれど、どうやら彼は私と知っているらしい。

 べつに珍しいことではなかった。


「ひとめ見たときにわかったよ。

『炎の髪と瞳の魔女』

 ……まさしく君にぴったりの二つ名だ」


 赤毛で瞳が赤いってことか。

 たったそれだけの特徴で、よくわかったものだ。

 それともいままで赤い髪と目の女に出会うたびに、そう声をかけてきたのだろうか。


 私はバリバリとレタスを咀嚼しながら、半眼で彼を見ていた。


 私の無作法なふるまいを、むしろ好ましいとでもいうみたいに、彼は微笑したまま言った。


「会いたかったよ。僕の可愛いひと」


 ぶっ!


 あぶなかった。

 口の中のものを噴出しそうになったのを、私は奇跡的にこらえた。

 サンドイッチを食べる手も止まり、私の頭の中は『?』で埋め尽くされた。


 え?

 なんて言った? 

 かわいいひと?

 私が?

 しかもその上になんて付いてた?

 ぼくの?


『ぼくのかわいいひと!?』


 それって……どういう意味よ?


「レバス!」

 法典――イザベルが、ほとんど悲鳴に近い叫びをあげた。


「王家に反逆した大罪人!

 よくも、よくも……っ」

 言葉がとぎれる。

 こみあげる激情で、のどがふさがれたらしい。

 本のくせに。


 でもレバスだって?

 レバスって言ったら、あのレバス?

 ……なるほど。

 かわいいひと、ね。

 ふーん。


「大罪人か。

 たしかに、そうらしいね」


 美男子――レバスは、陽射しに透けた木の葉色の瞳をかげらせた。

『陽射しに透けた~』なんてずいぶん凝ったたとえを使ってしまったけれど、そう思ってしまったんだから仕方がない。

 木の葉から朝露がこぼれるみたいに、頬をきらめく雫が流れた。


「悲しいよ。

 君も僕も正しくあろうとしただけなのに、君が信じた正しさと、僕が信じた正しさが違っただけで、敵対しなければならないなんて……」

 うっうっ、レバスは嗚咽した。


 泣きだした!?


 レバスは顔に手をやって、前髪をクシャクシャにした。

 濡れた瞳で、私の胸――イザベルに訴える。


「いまからだって間に合うはずさ。

 話し合おう。

 僕たちは何度でもやり直せるはずさ」


 え?


「不可能ですわ!」

 イザベルは金切り声で否定した。

「やり直しなんてできませんのよ。

 反逆も、

 人生も!」


 ……えーっと。

 どういうことかな。

 私は『ぼくのかわいいひと』で、

 イザベルは私の『妹』で、

 レバスはイザベルと『何度でもやり直』したくて、

 イザベルは『できませんのよ』?


 なんだこりゃ。


 レバスは泣きじゃくり、イザベルはもはや人間の耳には聞き取れないレベルの音域のキンキン声でなにやらまくし立てていた。


 香ばしい匂いが鼻を刺激して、私は我に返った。

 スモークチーズは偉大である。

 私は残りのサンドイッチにかぶりついた。

 味覚が満たされると、美男子と妹の愁嘆場なんて、たいして気にならなくなった。


 どうでもいいや。

 私と美男子と妹との間に何があったにせよ、どうせ『生き返る前』の話だ。

 つまり現在の私にとっては、とっくの昔に終わった話。

 いまさら、どうでもいい話だ。


 食事とは神聖なものである。

 ほかの事に気をとられながら食べるなんて、食材に失礼きわまりない。


 飲み物を忘れたことが、悔やまれてならなかった。

 焼いてから五日経ったパンは固くパサついていて、飲み下すのに苦労する。

 ホールの床には、飲み物のグラスや瓶が散乱していた。

 割れていない瓶もいくつかあったが、床で赤黒い汚れにまみれてしまったそれを拾う気にはなれなかった。

 中身は無事だとしても、いくらなんでも無理だった。

 そもそも、どこの誰が触れたかわからないものを、自分の身体に流し込みたくはない。


 明日、またパンを焼かなきゃ。

 五日前に焼いたぶんは、これが最後の一個だった。

 材料は足りるだろうか。

 小麦粉は、まだ戸棚に十分な量が残っていたはずだ。

 うん、大丈夫。

 帰ってからチェックしなければならないけれど、買い足さなければならないものはなさそうだった。


「どうしても僕を捕まえるつもりかい?」

「正当な逮捕ですわ」


 パンのことを考えていたら、レバスとイザベルがちゃんと会話ができるくらいまで回復していた。


「私の法に照らして裁きを下し、罪を償っていただきます」

「そうだね。

 それもいいかもしれないね」


 レバスが立つステージをのぞいて、ホールは薄暗かった。

 壁の燭台に蝋燭が灯っているだけだ。

 それも10本は立てられるところを、1本ずつしか立てていない。

 演出なのだろう。

 天井にとりつけられた魔法の照明が落とす直線的な光をきわ立たせるための。

 演出は功を奏していた。

 ステージ上で光り輝いているレバスに、否応なく視線は吸いつけられる。


「おとなしく縄を受ける覚悟がお有りですの?」

「そういう選択も悪くない気がしてきたよ」

「ほほほ。

 素晴らしいわ」


 話がまとまりかけたところへ、


「ばかなっ!」


 ドン!


 大地が振動して、私はあやうく転びそうになった。

 私の背後の暗闇から、全身タイツの大男が、ドン、と足を踏み出したのだ。


「『影王かげおうレバス』ともあろう者が、力も奮わずに敗北するというのかっ!?」


 レバスは目を細くして大男を見た。

「あなたは……」

「我が名はメイベル・イグレーン!

『力の王』の称号を冠するこの名、そなたの上腕二頭筋に刻むがよい!」

「失礼。

 ご尊名は存じ上げております。

 なにぶん、まだ書物で学んだだけの知識であるゆえ」

「再生された身であろうと影王には違いはあるまい!

 魔道を極めんとする者として、余の挑戦に応じるは義務!

 応じよ、レバス!」


 いちいち『!』付きの大声で、全身タイツ――メイベルは挑発した。


「お待ちなさいっ」

 制止したのはイザベル。

「勝手なことをおっしゃらないでっ!

 戦わずに済むならそれに越したことはありませんのよ!」

「戦うために余を召喚したのではないのか!」

「恩赦ならば、約束どおりにいたしますわ!

 ですから控えなさい!」

「赦しなどいらぬ!

 余が欲するは、ただ強大なる力のみ!」

「この、筋肉頭!」


 どうでもいいけど、アンタたち声、大きすぎ。

 至近距離で聞かされる私の身にもなってみろ。


 私の聴覚のこともイザベルの命令も、メイベルを止められなかった。

 その巨体からは想像もつかない身軽さで、


 フワリ。


 宙に舞い上がるや、放物線を描いて、レバスの頭上へ落ちかかる。

 空中で弓のように後ろに反らせた手足を、メイベルは激突の瞬間、前方へ叩きつけた。

 両の拳と、両の足。

 岩をも砕く打撃が四つ、レバスの胸めがけて炸裂した。


 メイベル・イグレーン。


 憚りもなく『力の王』を自称する彼は、『筋肉の可能性』にとり憑かれた魔法使いである。

 魔法使いとしてのたぐいまれなる才能を、己の肉体を強化することのみに費やして、ついに『神の肉体』と自称する究極の膂力を手に入れるに至った、筋肉の狂信者だ。


 肉体強化の研究の途中で、メイベルは幾人もの実験台を必要とした。

 彼にとっては己の肉体の完成こそが全てであり、他者の肉体は道具にすぎなかった。

 彼に騙され、または拉致され、人間とはかけ離れた肉体に改造された犠牲者たち。

 その怒りと悲しみは想像するにあまりある。

 彼らがメイベルに復讐を試みたのは、当然の成り行きだったろう。


 だが、それこそが、メイベルの狙いだった。


 自らが改造した犠牲者たちの、超常の肉体。

 それと死闘することで、メイベル自身の肉体は、効率的に鍛えられていった。

 命を懸けたギリギリの実戦でこそ本物の力が磨かれる、そうメイベルは目論んだのだ。

 目論見は当たった。

 復讐してきた犠牲者を返り討ちにするたびに、メイベルの肉体はより高みへと――神の地平へと近づいていった。


 そして、いまのところ最後となった復讐者との一戦。

 神の領域スレスレにまで近づいた両者の死闘は周囲を巻き添えにした。

 ひとつの村を半分と、山をふたつが、永久にこの世から消し飛んだのである。


 落とし前として――もちろん、このときになってようやく発覚した、それまでの人体実験の罪も合算して――メイベルは懲役3000年弱をくらいこんだ。

 王国では、死刑は廃止されている。

 その代わりというわけではないが、複数の罪がある場合、その刑は上限なく累積される仕組みである。

 単純に足し算されるのだ。


 3000年弱という刑が重いのか軽いのか、私にはよくわからない。

 だがメイベル自身が、蚊に刺されたほどにも感じていないのは事実みたいだった。


 ともかく。

 メイベルのパンチやキックには、一撃で大地を割るほどの威力があるのである。

 それが四発、まとめて放たれたのだ。

 レバスは微塵に叩き潰されるどころか、元素レベルまで分解滅却されてしかるべきだった。

 レバスだけでは済むまい。

 このホールどころかこの屋敷、いやいや付近一帯を半径数キロメートルにわたって灰燼に帰して当然の攻撃だった。


 なんてことしやがる。


 ところが、私がこんなノンキな呟きを心に漏らしていることからもおわかりのように、メイベルの打撃は予想したような惨状をもたらしはしなかった。

 それどころか、私の眼前にあらわれた光景は、ひどく穏やかなものだった。

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