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「わが宴に、ようこそお越しくださいました」


 ドレスの襞をつまんで、マギサは優雅にお辞儀した。

 屋根の上にいる私たちとマギサとでは、直線にして10メートル近くの距離がある。

 はめごろしの窓までおまけに挟まっているわけだが、それでも明瞭に声が聞き取れるのは、窓に貼りつけた魔法の板のおかげだった。

 コウモリの羽の皮膜みたいに薄い布を、文様がびっしりと描きこまれた枠で囲んだ、手のひらサイズの増音装置だ。

 板は屋内の音声を増幅し、かつこちらの鼓膜をいためないよう絶妙に音量をコントロールして届けてくれる。

 ここ十数年間で発明された魔法グッズの一品だった。

 便利な時代になったものである。


「今宵、皆様にご体験いただきますは、この世に生を享けたものにとって至高のスリル……」

 マギサは贅沢に布をあまらせた袖を舞わせて、両腕を大きく開いた。

 このみごとに育った胸を見てくれ、と言わんばかりだ。

「すなわち、『死』!」


 客たちは、ため息のような歓声を漏らした。

 まるで驚いているように。

 何をいまさら。

 それを目当てに集まったくせに。


 頭からすっぽりと黒い布をかぶった使用人が、マギサのそばまで台車を押してきた。

 台車には、使用人と同じように黒い布がかぶせられていた。


「まずはご覧ください」


 マギサは黒い覆いをとりさった。

 布の下から現れたのは、白い籠。

 いや檻と呼ぶべきか。

 1メートル四方ほどの大きさの、針金でできた箱である。

 檻の隅で震えているのは、生後一ヶ月にも満たないような仔犬だった。

 真っ白な毛並み。

 フサフサした尻尾を後足の間に丸めて縮こまっている。


 檻の扉は天井にあった。

 マギサが開けた。

 仔犬を抱き上げ、左手と胸で支えると、彼女は空いた右手を、てのひらを上にして横にさしだした。

 そこへ黒布をかぶった使用人が近寄り、細長い棒をうやうやしく握らせた。

 ナイフだった。


「クソアマがぁ……っ」


 耳元で声がして、私は目だけをそちらに向けた。

 ヘブンが、怒った狼みたいに牙をむき出していた。

 黒髪、黒瞳。

 長身なのだが、ひょろりと痩せているのと、ひどい猫背のせいで大男という印象はない。

 年の頃は二十代前半。

 青白い肌にはつやがなく、頬はこけている。

 病院のベッドが似合いそうなほど頼りない彼が、全身いたるところに装備した数十種類もの武具を自在に操る、王国でも屈指の戦士だとは。

 人を見た目で判断してはならない、という見本みたいな男である。


「悲しまれる必要はありません」


 声がして、視線をホールに引き戻された。

 マギサの胸で、仔犬は動きを止めていた。

 滴る液体で、マギサのドレスは紫に染まっている。


「この子は皆さまよりも少しだけ先に、生命の涯てを垣間見ただけなのです」


 沈痛な面持ちと声だった。

 もちろんうわべだけだ。

 増音版のとなりに貼りつけられた魔法の拡大鏡が映し出したマギサの両目は、ずっと愉快そうな色を絶やしていない。


 ヘブンの言うとおりだ。

 バカ娘。

 仔犬を見るのがつらかった。

 だがマギサを見ようとすれば、かならず仔犬が目に入ってしまう。

 できるだけマギサの顔に集中し、まぎらわした。


 いつのまにか、マギサの背後に黒い人影がたたずんでいた。

 全身をマントで覆っているのは、使用人たちと同様だが、こちらは銀糸の刺繍でフードに縁取りがされていた。

 マギサはステージの中央と仔犬とを、その人物に譲った。


 その人物は、仔犬を足下にそっと横たえた。

 二歩さがって、なにやら唱えはじめた。

 増音板を通しても、なにを言っているかわからないほど、かぼそい詠唱。

 ほどなく、ステージの床に淡く輝く円陣が浮かび上がった。


「現行犯だな」


 ヘブンが言った。

 声がかすれているのは、怒りが収まらないせいだろう。


「まだですわ」

 法典が抑えた。

「動物への〔再生〕行為は、再生罪には問えませんわ。

 器物破損よ」

「同じ命だろうが」

「同じではありませんわ。

 すくなくとも法律上は。

 人と犬とでは、保障された権利が違いますもの」

「ひとでなしが」

「法はあなたのイライラ解消のためにあるのではありませんのよ」


 マギサから見て私たちは、招かざる客だった。

 純然たる不法侵入である。

 衛兵に見つかった場合、即刻つまみだされるくらいで済めば儲けもので、まずいところを見られた、証拠隠滅だ、とその場でズバッと『処理』されかねない。

 にもかかわらず、ヘブンにしても法典にしても、声を低めたりはしていなかった。

 彼らだって馬鹿ではない。

 声を低めないのは、低める必要がないからだった。


 屋根に身を潜めた私たちは、魔法の紗幕によって隠されていた。

 向こう側が透けて見えるほど極薄のヴェールで作られたテントだ。

 実体がなく、触れようとしてもつきぬけてしまうこのヴェールは、なかに包んだものの気配や音を、完全に消失させる効果があった。


 紗幕をつくりだした術者は、囚人番号3200――ステラ・ナジェ。


 ステラは、常軌を逸した『恥ずかしがり屋』だった。

 誰にも見られたくない、存在をさとられたくない。

 病的なまでに己の姿を隠したがった彼女は、魔法使いとなって、隠れ身の魔法を極めた。


 その分野では並び立つもののない第一人者となったステラ。

 すべては『隠れたい』という一心によるものだった。

 だが皮肉なことに、彼女をその地位まで押し上げたその一心が、今度は彼女をどん底に突き落とす。


 あるとき、何者かが彼女の研究所に忍びこむ、という事件が発生した。

 犯人はライバルの魔法使いで、よくあるスパイ事件だったのだが、おのれの分身とも呼べる研究所を他者に覗きこまれたことに、ステラの自我は耐えられなかろった。

 発狂した彼女の魔法は暴走し、研究所の近くにあった町ごと存在を隠してしまった。


 6日6晩の後、政府の魔法使いたちが手をつくしてようやく探索サルベージできたのは、ステラ本人だけだった。

 住民ごと隠されてしまった町は、事件後7年が経過した現在も、いまだに発見できずじまいである。


 ステラは懲役1916年の刑に処された。

 いまや、魔法使いとしてははなはだ未熟な私なんぞに命令される身の上である。

 すっかり落ちぶれてしまっても、彼女の『恥ずかしがり』は相変わらずだった。

 いまもこの屋根のどこか、おそらくは紗幕のテント内のどこかにはいるはずなのだが、彼女を召喚した私にすら、その姿の切れ端すら見せてくれない。

 ともあれ、ステラの隠れ身魔法の圏内にいるかぎり、私たちがマギサ側に気取られる心配はなかった。


 ステージでは、銀糸縁取りの人物が、着々と儀式を為遂しとげていた。

 円陣の光が中心に集まっていき、強烈な輝きと化す。


 パ。


 とはじけて、輝きは消えた。

 するとどうだろう。

 ぐったりと横たわっていた仔犬が、むくりと起き上がった。

 不思議そうな顔で周囲を見て、やがて自分の毛並みがひどく汚れていることに気づく。

 赤黒い染みをなめとろうとして、前転。

 コロコロと転がって、ステージから落っこちそうになる。


 マギサが、ステージの前面にずいと進み出た。


「ご安心いただけましたでしょうか。

 もちろんタネも仕掛けもございません。

 正真正銘、魔法による奇跡です。

 まだご信用いただけない方には、たいへん残念ですが、ご退席をお願いするほかございません。

 もちろんその場合は、招待状でお断りしていた通り、今宵ご覧になられたことはいっさい忘れていただかねばなりませんが」


 10秒待っても、去ろうとする者は一人もあらわれなかった。

 マギサは、ホールの隅に控えている使用人たちに目配せした。

 使用人たちは、子犬を運んだよりも大きな台車を幾つも、客たちのそばへ押して行った。

 台車の上には、刀剣、斧、槍、ハンマー、ロープ、ヤットコ、ノコギリ、etc、etc……。

 ありとあらゆる凶器が整然と並べられていた。

 ガラスの水差しに満たされた緑やら青やら赤やらの液体は、きっと毒薬だろう。


「お好きなものをお取りください」


 マギサに促され、客たちは台車の上に手を伸ばした。


「……クズどもが」


 猫背のヘブンの丸い背中が、殺気立ってムクリと膨張した。

 私の胸では、法典が交渉を開始していた。


「恩赦法第5条により、あなたは王命に服従する代償として減刑を要求できます。

 いかほどの恩赦をお望みかしら?」

「50年」

 小山のような影が、鳴動するように言った。


 まさに、山のような大男である。

 ヘブン以上の長身なうえ、筋骨隆々。

 胸板の厚さは、ヘブン五人前はあった。

 顔面は卵の殻みたいになめらかな球面のマスクで隠し、そのほかの全身を包んでいるのは服と言うよりも膜と言ったほうがよさそうな、ぴったりの布地だった。

 全身タイツだ。

 磨かれた金属みたいに光沢のある特殊な布地で、筋肉の凹凸をくっきりとした陰影にして浮かび上がらせている。


「欲張りすぎですわよ。

 第5条により認められる恩赦は、刑の100分の1が上限ですのよ。

 あなたの懲役は2978年と231日ですわ」

「ならば29年」

「よろしいですわ。

 29年の懲役を免除します」

「ふふふ」

「なにかおかしくて?」

「嬉しいのさ。

 今宵、余の前に立ちはだかるは、はたしていかなる兵か。

 この〔神の肉体〕にいかほどの夢を見せてくれるのか。

 楽しみでならぬわ」

 筋肉が波打ち、陰影が動いて巨大な笑顔みたいだ。


「あなたを召喚したのは楽しませるためではありませんことよ。

 役目を果たさないなら、恩赦は取り消しですわ」

「役目は果たすさ。

 だが女王よ。

 そなたの法といえど、余の心までは裁けぬぞ」

「あなたに言われなくても、思想信条の自由は、王家に弓を引くものでないかぎり保障しておりますわ。

 私の法が、ね」


 全身タイツ大男の左足首には、鉄の輪がはめられている。

 枷には鎖がつながれていて、それは私の右手首にはめられた鉄の輪につながっていた。


「おい」

 ヘブンが鋭く言った。

「お膳立てが調ったらしいぜ」


 死の宴は、あっけなく終息していた。

 客たちのほとんどが、せっかくの死を味わう暇もなかったようだ。

 そりゃそうだ。

 上手に死を楽しむ方法なんて、誰も知っているわけがない。


 客たちは累々と折り重なって、自分たちから湧き出した赤黒い沼の底に沈んでいた。

 ステージ上から満足げに彼らを睥睨していたマギサは、細身のグラスを顔の高さに掲げた。


 乾杯。


 口パクだけで言って、グラスの中身を一息に干した。

 閉じきっていないまぶたが、陶然とふるえる。

 女の私が見ても、ぞくぞくするくらいエロティックな表情だった。

 頬が紅潮し、くちびるの端からこぼれた雫が、なめらかな肌を伝わって、大きく開いた胸元に吸いこまれた。


 だが、優雅にふるまっていられたのも、そこまでだった。

 グラスが落ちて、粉々に砕けた。


「か……っ!」


 口を大きく開き、のどが渇いた犬みたいに舌を出して、マギサはのどをかきむしった。

 たったいま飲み干した液体を吐き出そうと、口の奥に指をつっこみ、必死にえずいている。

 しかし手遅れだった。

 神が与えた美貌を、涙と唾液と鼻汁でドロドロに汚しながら、まもなくマギサは動くのをやめた。


 ひどく静かだった。


 音が消えたホールで、いまだ生を宿して立っているのは、

 壁際にひかえた物言わぬ使用人たちと、

 マギサの髪にたわむれている仔犬、

 そして銀糸の刺繍でいろどられたマントをまとった魔法使いだけだった。


 魔法使いは、仔犬を抱き上げると頬をこすりつけた。

 透明な雫が仔犬の鼻面ではじけた。


「……悲しいね。

 死というのは、どうして、こうも悲しいんだろう?」


 クウン、仔犬が鼻で鳴いた。


「わかっているよ。

 彼らの死は、僕が打ち消そう。

 たとえ彼ら自身が望んだ死であったとしても、誰かが死ぬのは悲しすぎるものね」


 慰めるように仔犬をなでながら、魔法使いは低い音律を口で奏ではじめた。

 その足下を中心に、円陣が浮かび上がった。

 仔犬に術を施したときとは規模が違った。

 ホール全域をカバーするほど巨大な魔法陣である。


「OKですわ」

 満を持して、とばかりに法典が意気込んだ声で言った。

「再生犯罪の成立です」


 遠くで、鐘の音が鳴りはじめた。

 時鐘だった。

 鐘の鳴る回数で、いまが何時か教えてくれるのだ。


 ヘブンが、窓ガラスに拳をたたきつけた。

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