第20話
今日も何の前触れも無く現れた姉に、その存在をすっかり忘れていたオレは動揺する。
店の前に停まった赤い車を見た瞬間に、グっと込み上げた感情にレジを打つ手が止まる。
そんなオレの様子にいち早く気が付いたオーナーは、咳払いを一つしてみせた。
店の自動ドアがスーッと開き、この店にはそぐわない格好をした女が、オレの目の前に立ち止まりニッコリと心無い笑みをこぼす。
「こんにちは、来たわ」
「ああ。」
店内の視線を全身に感じているのに、少しも臆することなくオーナーに頭を下げる。
完璧なその動作に、姉の身に付けた全てが見えた気がした。
「初めまして、ハルキの姉のチアキです。弟がお世話になっております」
「初めまして、オーナーの内藤です。
こちらこそ、ハルキくんに助けてもらっているんですよ」
屈託無く微笑む、オーナーの紳士な態度。
この対照的な二人に共通点・・・プロ意識か?
オレだけが、強張った顔で姉を見つめていた。
その時、店に駆け込んできたトモの憂患な顔が、オレの目に飛び込んできた。
この子はわかるんだな、オレの胸の中が・・・トモの感受性の強さに心打たれる。
情けないか・・・チアキの出現くらいで動揺してるなんて。
チラリと、トモを見やる。
「ハル、向こうで話してきなさい」
「スミマセン」
オレと姉は、オーナーに言われるまま店の奥まった席に場所を移した。
この女が何をしに来たのか、皆目検討もつかないが・・・
チアキは長い髪をかき上げて、その色香を存分に強調する。
まったく、どこまで女なんだか。
「で、何?」
「アンタがどんなところで働いているのか見たくって。」
興味深そうな素振りで辺りを見回しながら、肩をすくめてみせた。
オレに女を振りまくなよ、気色悪い。
「それだけじゃないだろ?」
「まぁね、ナツキが会いたがってたわ、ボクの兄さんってどんな人なの?って」
「そう」
オレの表情を探るように、ワザとらしくゆっくりとしゃべっているんだ。
途切れた絆は、失った時間と一緒で取り戻すことなんて出来やしないのに。
何が目的なんだか・・・
「そういえば、父さんの遺産、おじいさんが管理してるんでしょ?」
「ああ」
「何か使う予定あるの?」
「別に、興味ないから」
「そう、なら私に貸してくれない?」
「はぁ?」
「ナツキを面倒みてるのは私だし、アンタはこうやってダラダラしてるし
必要ないでしょ、お金なんて。私、必要なのよ、お金が。」
結局、それか。
「オレに言ってもしょうがないよ、じーちゃんに言えよ」
「アンタがイイって言えば、貸してくれるって言ってたわ」
「好きにしろよ」
満足気に微笑んで見せたその美しい顔が、とても醜く見えた。
自分自身を犠牲にして家族に尽くしていた女の変貌ぶりに、
悲しみを通り越して「何故だ?」という疑問が浮かんでくる。
「なんか、変わったな」
「そう?前からこうよ、生きていくにはお金が必要なのよ。
アンタだって、そんなことくらいわかってるんじゃない?」
「ああ、そうだった」
女を作って家を出て行った父親が残していったものは、
酒に溺れた母親と、生活苦、そして幼いナツキだ・・・
オレとチアキの二人がギリギリの生活の中、
どんな子供時代を送ったか忘れた事など一度も無い。
「金はヤルよ、オレには必要ないし。
もともとオレに使わせる気なんて、じーちゃんは無かったんだから」
「アンタが、ちゃんと大学に行ってれば、くれたんじゃない?」
「なんの為に大学行ったんだかわかんないよ」
「いいんじゃない、意味なんて無くたって、大卒は大卒なんだから」
一般的なご意見をどうも。
「行くわ、おじいさんの家にも寄りたいし」
「ああ」
チアキは立ち上り、数歩、歩いて振り返る。
「今度3人で食事しましょう。
ナツキってね、男の子にしとくの勿体ないくらい可愛いんだから」
吐き気を感じるほど、胸が重く苦しい。
血を分けた姉に会っているだけだというのに、なにもこんなに拒絶しなくたって。
チアきと確執があったわけでもなし・・・何故かな・・・
訪れた時とは打って変わって、チアキはまるで逃げるように店を出て行った。
オーナーに軽く会釈だけして。
大きなため息が、勝手に口からこぼれる。
この先、避けては通れない事実を無理矢理突きつけられたって事か。
カウンターに座る、二人の少年の無邪気な笑い声だけが救いかな。
ふと、先日の休日を思い出していた、珍しくオレに甘えたミナミ。
今のオレの気持ちも、あの時のミナミと同じくらいぐったりと疲れてしまっている。
オレの身体の上で眠ってしまったミナミの、安堵した寝顔を思い出しながら
もう一度大きく息を吐き切った頃には、鬱々とした気持ちが少し晴れていた。
さて、もう一仕事。
気持ちを切り替えて、頑張るか。
ゆっくりと立ち上がって、オレは自分の居るべき場所へと戻った。