第18話
ズルズルと、いつまでも感傷に浸っている場合じゃなかった。
オーナーにオレの抱える古傷を吐露してしまったからといって、
それが少し癒された・・・なんてことは無かった、笑えるよ。
掘り起こされた辛い記憶が、これまで以上に重く辛く胸の内を支配していた。
それを忘れようと仕事に集中すればするほど、その後に待っている倦怠感。
頭と身体がバラバラだった。
クタクタに疲れた身体を引きずるように帰宅しても、
頭だけが妙にハッキリと色んな想いが一晩中駆け巡ったりする。
以前は浴びるように飲んでいた酒の味さえも、酷く不味く思えていた。
「痩せたな」
「オレ?」
マンションのテラスのデッキチェアで、共に休日の午後を過ごしていたミナミが
新聞を読みながらボソっと言った。
「少し太らないと、そのうちぶっ倒れるから」
「食ってんだけどな、栄養になってないのかな?」
大きなため息が新聞の裏から漏れる。
畳まれた新聞紙が床に投げ捨てて、イラついた顔をした親友がこちらを睨んでいた。
「ストレス溜め込みすぎなんだよ、最近、シテないだろ?」
「あ・・・シテねー。って、相手いねーもん、しかたないだろ」
ココに転がり込んでから、そんな気持ちはすっかりナリを潜めてしまって
自分でも気が付かないくらいに無性欲・・・ヤバイ?やっぱ、そーゆーの。
かといって、ミナミが相手をしてくれるわけでなし・・・
「何、見てんだ。ハルキは好みじゃないって昔から言ってんだろ」
「わかってるけどさー」
そう、オレのミナミへの恋心はずーっと昔に封印したんだ。オレとオマエは
これからもずーっと親友のまま。それが一番心地よい関係だって気が付いて。
「紹介しよーか?」
「えー、面倒くさいって、そーゆーの。」
新しい信頼関係を築き上げる、そんな行程が億劫。
だったらこのまま一人でいたほうが、今のオレには合っているのに・・・
ミナミのお節介か?
「割り切りでイーじゃん」
「簡単にゆーなよー、そんな気分じゃないだから」
まったく、何を言い出すかと思えば・・・だったら自分で抜くってな。
「いつの間に、そんなオヤジ臭いヤツになったわけ?」
「ハイハイ、加齢臭プンプンですよ」
ギシっとイスが軋む音がしたかと思うと、仰向けに横たわっていたオレの身体の上に
スルリとミナミはその身体を重ね、柔らかな頬をオレの肩にのせた。
「な、何、どうした?」
「はぁー、なんか疲れた」
細い腰に腕を回して、久しぶりにミナミの匂いを近くで感じていると
妙に懐かしい気持ちが込み上げてきた・・・昔は、いつも近くにオマエがいたよな。
昨日までの1週間、家を空けていたミナミに、何があったのかは知らないけれど、
腕の中にいる親友が、とても傷ついているように思えてならない。
こんなにも弱々しいミナミを、今までに見たことがあっただろうか?
「強烈な人たちの中にいたからさ、疲れちゃったんだ」
「バイト?」
瞼を閉じたまま、コクンと頷く。
力を入れれば折れてしまいそうな身体で、傷つきやすい心を必死で隠して
身を削ってオマエが手に入れようとするものは、一体なんなんだ?
「ゴメン、ハルキもボロボロなのにさ、甘えちゃってゴメン」
「いいよ、オマエにしてやれる事ってあんま無いし」
ミナミの腕が、オレの身体を抱きしめた。
「少し、こうしててイイ?」
「ああ、好きなだけイイよ」
滑らかな脚をオレに絡め、柔らかな絹糸のような髪がアゴをくすぐる。
侵してはならない聖域が、そこにはあった。
オレは、ゆっくりとゆっくりと胸いっぱいに深呼吸をしてみた。
吐き出される息と共に、胸の中に溜まっているモヤモヤが吐き出されている気がする。
本当、ストレス溜めすぎだな。
身体を重ねたミナミの温もりが、とても心地よい。
安らかな気分で、オレは頭上に広がる突き抜けた青空を仰ぎ見た。
一人じゃダメな時もある・・・誰かが傍に居てくれるだけで・・・
それだけで、心のしこりが溶けてゆくことがあるって・・・
今更だけど、わかった気がするよ、ミナミ。