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第16話

 ずっとココに居座り続けているよどんだ霞み、晴れることなく濃度を増す。

気が付くと、重苦しい胸の上に手を置いて、何度も深い息をついていた。

そんなオレの様子を、チラチラとオーナーが見ている事もわかっている。

あの女が声を掛けてこなきゃ、こんなにイライラせずに済んだものを、

ふいにミナミのいった言葉が頭をよぎる・・・「貫くには辛すぎる」か。

アイツらしい言葉に苦笑してしまった。


「ハル、調子悪いなら上がっていいぞ。」

「だ、大丈夫っす。」

一段落ついた頃、ため息ばかりつくオレの様子を見かねたように、オーナーは言った。

返事をしたオレの手は、また胸の上に置かれていた事にも気が付いた。

「手が止まってるぞ」

「すみません・・・」


「何かあったか?」

「いえ、たいしたことは・・・」

その暖かい瞳に見つめられると、こうして胸に溜めているものを

一気に吐き出してしまいたい、そういう衝動に駆られてしまう。

父親とそう変わらない年齢のこの人は、なぜにこうも人に優しいのか。

「店が終わったら、話がある」

「はぁ」

クビって?素質無いから、今のうちに辞めとけって話か?

ハァーと、知らず知らずにため息が漏れていた。


何も考えないように仕事をこなしながらも、時折、止まる手。

財布の中に入っている、クラブの名刺を思い出しながら

今度、携帯に電話してみようか・・・と、考えるだけでも。

10時にはクローズ作業を終えると、オーナーと二人、店を出る。

近くの馴染みの居酒屋に入って、いつものカウンターではなく奥の座敷に落ち着いた。

ヤベェ、マジ、クビかも・・・


「最近どうだ、仕事は覚えたろ?」

「まぁ、一通りは、覚えるには覚えましたけど・・・」

目の前に出されたお通しを箸でつつきながら、オーナーを伺う。

何故だか話しにくそうな、そんな顔つき・・・やっぱ、そう?

「オマエ、今、付き合ってる人とかいるのか?」

「な、なんですか、急に、いや居ないですけど、そんな気ないってゆーか」

「オンナの子と同棲してなかったか?」


ミナミのことか?

恐ろしく誤解ですから、オーナー。

アイツは、ただの大家・・・ま、家賃払ってないけど・・・スマン。

「アレはマジメに友だちです、金無いから、居候してんですオレ。」

そうか、と笑って豆腐に箸をつけてながら訊く

「この仕事、どうだ?」

「どうだって言われても・・・」

少なくなったグラスに、ビールを注ぎ足しながら言葉を選んでいた。

「嫌いじゃないです、好きだって胸張って言えませんけど

もっと続けて、もっと技術を上げたいって思ってます。」


ウンウンと頷いて、注がれたビールを一口飲み込むと

テーブルの下のカバンの中から1冊のファイルを取り出した。

「コレは?」

手にとって表紙をめくると、「ハワイ・アラモアナショッピングセンター」

という文字が眼に入る。アラモアナの2階?ディズニーストアの正面に

赤い印が付けてあって・・・


「出そうと思ってる、ハワイに。」

「店をですか?」

「ああ、完璧日本人狙いだけどね。」

ビールを一気に飲み干して、少年のように瞳を輝かせていた。

「隣、DKNYじゃないですか!!」

オイオイ、マジかよ、このオッサン。

オッサン、何、血迷ってんのー、2店目ハワイって。


「友だちが、ハワイで大きくコーヒー豆やってるんだ。

それが意外に美味しくてね、少し前に扱い始めたヤツ評判イイだろ、あのマメあれだよ。

前からしつこく、出せ出せって誘われてたんだ。」

「マジっすか?」

驚いているオレを尻目に、手酌でビールを飲みながら、また頷く。

来年、6月オープンって・・・コッチの店はどーするんですか!!

オレの血の気が失せていく。


「年が開けたら、しばらくオープン準備にハワイに行ってこようと思う。

その分ハルには負担が掛かってしまうけど・・・いいか?」

いいか?ってアンタ、それ、なによもー、マジ?

オレ1人で店の切り盛りなんて出来ませんから。

「来年はトモも受験だろ、その前に落ち着いてやらないと可哀想だし。

ま、アイツは芯が強いし、悪い友達も居るから心配はしてないんだけれど・・・」

「心配なのは、オレですか?」

ニヤリと笑って見せたってことは、そういうことですか。


「わかってんなら、どーにかして下さい。」

「とりあえず、マダムは日本に居るからそう心配すんな。

バイトも増やすつもりだし、オマエの下で働くヤツも入れるから。」

任される責任に嬉しい気がするけど、でも、なんだか・・・

取り残されていくような・・・そんな不安が沸いてくる。

「まだオーナーみたいに煎れられないですよ!」

「そこは経験しかないからな、合格点超えてるから心配すんな。」


でも、そう言われても・・・

期待に応えられない自分を想像してしまう、過度の期待に潰された自分を。

そこから逃げ出してきた、今のオレを・・・

「自信が無くて不安な気持ちもわかる、失敗を恐れるのもな。」

オーナーの声は、優しく強く響く。

うつむいたまま、黙ってその声に耳を傾けていた。


「これでもオレは人を見る眼がアルんだぞ、そのオレのメガネに適ったんだ

少しはオレを信用して言う事聞いてくれてもいいんじゃないか?ハル」

「でも・・・」

「やってみてダメならオレに言えばいい、出来れば続ければいい、それだけだろ?」

・・・甘くないか、それって?

ダメだったら投げ出したってイイって、無責任過ぎないか?

無責任な気持ちでイイっての?それって、オレに期待はしてないって話か・・・


「勘違いすんなよ、テキトウにヤレって言ってる訳じゃないんだから。」

「そう聞こえますけど」

奥まった座敷は、そのふすま一つ隔てただけの店の賑わいとは逆に

シーンと静かな空気が漂っていた。時折聞こえる、酔っ払いの怒声や

甲高い笑い声で、ココが居酒屋だったと思い出す。


「言葉が足りなかったな・・・ハル、オレはオマエの可能性に賭けてる。

今持ってる技術やセンスは、たった数ヶ月で簡単に習得出来るもんじゃない。

いつまでもオレが手助けして、甘やかすわけにはいかないだろ?

コレはオマエにとってチャンスなんだ、その訳のわからないココのヤツを

追っ払うチャンスなんだぞ。」

と、オーナーは自分の胸を親指で刺しながら静かに言った。

「逃げるな、今、立ち向かえ、オマエは出来るだから。」

ずっと見つめていた自分の筋張った青白い手、その手の上に滴が落ちる。

オレが逃げてる事、オーナーは知ってたんだ。

なんにでも中庸で、なんにでも曖昧に接していた事を見抜いている。


「トモに初めて紹介された時、オマエの暗い瞳に驚いたよ。

全部諦めてる、そんな瞳をしてたな。一瞬の瞳の輝きを見つけるまで

オレはオマエを信用できなかった。なんで、トモがオマエに惹かれるのか

皆目検討もつかなかった。けど、オマエは身体の奥底に、強い輝きを隠してる。

トモはそれに気が付いて強く惹かれてるんだ、ユウタとも違うオマエの力強い生命力に。」


ゆっくりと顔を上げると、そこには父親のような眼差しでオレを見つめる瞳があった。

こんな風に誰かに見つめられた事があったか・・・実の父親の瞳すら覚えていないのに。

勝手にあふれ出した涙は、乾いた頬を流れ落ちる。


「ハル、オマエが辛い思いを抱えてるのは知ってるつもりだ。」

大人気ないのはわかっていた、けれど止めることの出来ない涙

最後に涙を流したのはいつのことだろう、胸の中に溜まっていた淀んだ霞みが

スルリと涙に変わって流れ出していた。


胸の中の物をすっかり流し出してしまうと、なんだかヤケに身体は重いのに

心は晴れ晴れとして爽快に思える。オレが泣き止むまで、オーナーは黙って

ビールを飲んでいた。

人前で恥ずかしげもなく嗚咽した自分に驚く。


「この前、姉に会ったんです。何年も音信不通だった姉に・・・」

話す事で救われるとは思っていないけれど、オーナーに話しておきたかった。

子供の頃の悲惨な生活、両親の事、離散した家族の話を。



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