第14話
ラーメンがどんな味だったのか、トモと何の話をしたのか、だらしないオレは殆ど憶えていなかった。トモに申し訳ない気持ち。あんなに嬉しそうにしてたのに、上の空で・・・街の夜景も急に輝きを失っていった、あの感覚。記憶から消してしまいたい家族との確執は、オレの胸を恐ろしい勢いで押し潰していく。
「ハルキ、何かあった?」
テーブルいっぱいに資料を広げパソコンを睨んでいたミナミが、画面から目を離さずにボソっと言った。
「んー、ちょっとね。」
「ハルがさー、そんな風な時は、大概アノことなんだよねー。」
お見通しか・・・観てもいないテレビの画面を見つめながら、大きなため息が口から漏れる。
「夕方、お姉に会った。」
「マジ?」
キーを叩く音が止む。
怪訝な顔つきで、ミナミはオレを見つめた。アノ事情を知る唯一の親友は、この痛みをスグに感じ取っている。
「マジ。オーナーの子とさ、ヒルズ行ったら居てさ。」
「そっか、イタイね、それ。」
ソファーに重い身体を横にして脚を伸ばすと、ミナミはそっとオレの頭を自分のヒザの上に乗せ、慰めるように優しくこの髪を撫で始めた。
「いつぶり?」
「10年かな。」
「そんなになるんだ。」
また、重苦しいため息。何度大きく息をついても、胸にたまった塊は溶けてなくならず、質量を増していくみたい。最後に会ったのはいつだろう、それも曖昧。オレは隔絶された状態で、何の不自由もなく暮らして、本当は家族の事なんて忘れていたんだ。
「けっこー、ショックデカイ。お袋の葬式の時、弟はチラっとは見たんだけどさ、お姉とは全然だったから嘘みたいで。」
「そのうち、もっと先かもしれないけど、ケジメつける時が来るんじゃん?」
「うん、そう思う。このままじゃないってのも。」
曖昧にしか思い出せないけれど、悲惨だった子供の頃を思い出すだけでノドに酸っぱいものが込み上げてくる。親父が女を作って家を出たことで母親はアルコールに溺れ、次第にその日の生活にも困るようになった。ありがちのコースだったけれど、まだ幼いオレには耐え難い苦痛でしかなかった。
弟の怪我をきっかけに、父方の祖父母にオレだけが引き取られた。母親は病院に入り、姉は父親に引き取られ、弟だけが、何故か施設に預けられた。家族がこうしてバラバラになった理由が何処にあるのか・・・どうして、こんなことになってしまったのか・・・わからない。いや、オレは知りたくなかった。
「ハル、目を背けるのは簡単だけど、それを貫くのは困難だからね。」
「おー、言うねー。」
ミナミは、フンと笑った。そうだ、コイツも案外苦労してるタイプの人間だった。オレと違うところは、あくまでも前向きで、快楽主義者だってとこだな。
「他人がどうこう言って解決できる事じゃないし、自分でココんとこの痛みを受け入れないと始まんないからね。」
と、自分の胸を指差して、ミナミは笑った。ココんとこの痛み・・・この正体のわからない恐怖と不安。コレを受け入れるには、相当なもんだぞ、簡単に笑ってるけどさ。
「ま、しばらく苦しんでもいいんじゃん。」
「他人事だと思って、簡単にゆーなよ。」
「他人事だからねー。」
ヤツはオレの鼻をギューっと摘み上げると、勢いよく立ち上がった。視界から消えた意地悪な天使は、また、忙しげにカタカタとキーボードを叩き始める。
「風呂入って、寝なよ。コッチは、徹夜だから。」
「徹夜?」
医学部に真面目に通っているミナミの姿に、心底感心していた。最初は冗談かと思っていたのに、本当に合格しやがった。狙いの国立を捨て、急に私立の医学部を受験するって言い出したときは冗談かと思ったのに。ヤツなりに、思惑があってのことだろうけど・・・
「助教授に虐められてんの、週末の学会に間に合うようにまとめろーってさ。」
「例のシツコイ女?」
前に話しに聞いた、35を過ぎた女の助教授を思い出す。付き合ってたっけ?
「そ、ちょっと冷たくしたらコレだもん。駆け引きを知らない女とは、付き合わない方がいいってことだね。」
「愛されてんのねーミナミさん。」
そんな露骨に嫌な顔をしなくても、オレは可笑しくなってクスクスと笑ってしまった。知らないうちに、ヤツのペースにのせられて、スッと気持ちは楽になっていた。これくらいなら、オレにだって受け入れられる。
ミナミの言うとおり、目を背けるのは簡単だ。けれど、その代償が大きい事に改めに思い知らされる。この痛み・・・貫くには、キツ過ぎる。