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生贄花嫁ですが、返り討ちにする気満々ですので御覚悟を

作者: 和島 逆
掲載日:2026/10/06

 朽ち果てた謁見の間に、重い地響きが轟き渡る。

 巨大な体躯を誇る竜が、丸太のごとく太い尾を鞭のようにしならせたのだ。


(……なんて、きれい)


 それは息を呑むほどに美しい、漆黒の竜だった。


 艶めく鱗はまるで宝石で、呼吸をするたびに波打ってキラキラと色を変える。

 リシェルは恐怖も忘れて恐ろしい化け物にただ見惚れた。


『グ、ゥ。グググ……! ナニヨウ、デ、ココニキタ……!』


「! いけない。そうでしたわ」


 我に返ったリシェルは居住まいを正すと、顔を覆うヴェールをそっとつまみ上げる。このヴェールは今日のために、義姉――兄の妻から借り受けたものだ。


「わたくしは、あなた様の花嫁でございます。挙式のため、ご覧の通り準備も万端に整えて参りました」


 リシェルの華奢な身体を包む純白のドレスは、リシェルの亡き母の形見の品。

 美しく刺繍の施されたドレスをふわりと揺らし、リシェルは丁寧に礼を取る。


「あなた様はご存知でしょうか? 花嫁に幸せをもたらすという、古くから伝わるおまじない(サムシング・フォー)を……」


 カツ、と高い音を響かせて、新調した靴で一歩前に出る。


「何かひとつ古いもの(サムシング・オールド)。何かひとつ新しいもの(サムシング・ニュー)。何かひとつ借りたもの(サムシング・ボロード)。――そして、最後に」


 ドレスの中に隠し持っていた小瓶を、漆黒の竜に見せつけるように高々と掲げてみせる。

 瓶の中身は真っ青な液体で満たされていて、とぷん、と澄んだ音を立てた。


「これがわたくしの、何かひとつ青いもの(サムシング・ブルー)――……! 覚悟なさい、禍々しき魔王よ!」


 リシェルが床に瓶を叩きつけた瞬間、青の液体は一瞬にして揮発(きはつ)する。

 目に見えない毒素がまたたく間に謁見の間に広がった。漆黒の竜が苦しげに慟哭する。

 空気がビリビリと震えて痛いほどだったが、リシェルは構わずドレスに仕込んでいた短刀を構える。


「あははははッ誰が忌々しいお兄様の言いなりになどなるものですか! この霧はね、人間には効かないの。竜を人間に変身させ弱体化させる、わたくしが開発した秘薬なのだから――!」


 竜の巨躯がみるみるうちに縮んでいく。


 どんな名剣でも貫けない鋼鉄の鱗が、ポロポロと剥がれ落ちていく。そう、こ(・)れ(・)な(・)ら(・)ば(・)非(・)力(・)な(・)自(・)分(・)に(・)だ(・)っ(・)て(・)殺(・)せ(・)る(・)――!


 リシェルはにんまりと笑い、今や完全に人間へと変わってしまった竜の首元に短刀を押し当てた。

 やわらかな皮膚はあまりにも無防備で、ほんの少し腕を引けば動脈をたやすく切り裂けるに違いない。


「さあ、終わり……よ、……?」


「……ぅっ」


 緩慢な動作で顔を上げた『元・竜』と、リシェルの視線がばっちり交差する。


 今にも決壊しそうなほど潤んだ、美しい紅の瞳にリシェルは釘付けとなった。

 姿が変わった衝撃による生理的な反応だろうか、こんもりと膨らむ涙を見て、短刀を構える手も完全に止まってしまう。


「……っ」


 その髪は漆黒で床に届くほどに長く、竜であった時と同じように艶めき輝いていた。


「ぅ……っ、ようやく、ようやくだ……!」


 鍛え上げられた肉体が美しい。


 全裸の『元・竜』が、その瞳に歓喜を浮かべてリシェルを見上げる。


「有り難う、美しいひと。我が救い主、全知全能の女神よ」


「……え?」


 ぽかんとするリシェルに、『元・竜』は隠そうともしないまっすぐな好意と感謝を向けてくる。


「我が身に巣食う呪いを打ち消し、悠久の時を経て、今こうして再び人間へと戻してくれた――……。ああ、どれだけ礼をしてもし足りない。あなたは俺に何を望むのか?」


「…………」


 短刀を構えたまま、リシェルは頭を高速で回転させる。


 これは元竜。全裸の美形。変態?いいえ不可抗力。だって竜もともと全裸だし。

 顔良し肌良し肉体美良し。麗しの美髪素敵すぎ。そして顔良し。顔良し。とにかく顔が良しッ!


(てい)


 即座にリシェルは全てを無かったことにした。


 高速でぶん投げられた短刀が、遠くでカーン!と甲高い音を立てる。

 少しだけ乱れてしまった金の巻き毛を手櫛で整えて、リシェルはすうっと大きく息を吸った。


「あなたをっ救いたい! わたくしはただそれだけを願い、身を削ってこの解毒薬を開発したのです!」


 大胆に身を寄せて美形竜の手を握る。

 この見た目で女慣れしていないのか、彼は真っ赤になって顔を背けようとした。けれどリシェルは逃がすものかと青年の瞳をじっと覗き込み、すかさず己の身の上を語り始める。


「わたくしは、実の兄に裏切られてここに参りました」


 かくしてリシェルは打ち明ける。


 マイヤー伯爵家の令嬢であるリシェルは天才的な頭脳と実務能力を買われ、次期当主と目されていた。

 けれど病がちな父が急死した後、伯爵家を継いだのは怠惰で無能な兄だった。


 兄は格上の伯爵家から妻を迎えると、妻の実家と共謀してリシェルをマイヤー伯爵家から追い出そうとした。


「……選べと言われたのです。兄嫁の実家の変態クソジジ、いえ大叔父上様の後妻となって尽くすのか、廃城の魔王の『生贄花嫁』となるのか――」


 リシェルの美貌と才に目をつけた兄嫁の実家は、婚姻によってリシェルを取り込もうとした。


 与えられた選択肢の二つ目は、おまけのようなもの。


 『生贄花嫁』――……。

 それはとうの昔に廃れたはずの因習だった。

 花嫁というのは名ばかりで、実際は魔王に食われるためにその身を捧げるという。災害を鎮めるためであったり、豊作を願ったり、口減らしの目的もあったらしい。


 リシェルの話に、青年は顔を歪めて嘆息する。


「確かに、遥か昔はこの城に若い娘が送られてきたことが何度かあった……。けれど俺に人間を食らう趣味は無いし、それに呪いの影響で一切の飲食を必要としない身となっていたので、娘たちは例外なく逃亡していったが」


「そうなのですか? では、きっと逃げ延びた先で幸せに暮らしたことを祈りましょう」


 伝承では、娘たちは誰一人として帰らなかったことになっている。だからこそ兄たちは、リシェルが『生贄花嫁』の方を選ぶはずがないと高をくくっていた。


 けれどリシェルは持ち前の反骨精神で、変態の後妻ではなく生贄花嫁となることを迷わず選び取った。

 もちろん大人しく嫁になるつもりなど毛頭なく、準備万端整えて魔王を返り討ちにする気満々だったわけだが。


 古代文字で書かれた魔法書を解読し、希少な材料を揃え、寸分違わずレシピ通りに魔法薬を調合するのは、リシェルでなくては出来なかったに違いない。


「けれど、あなた様はもともと人間だったのですね? 呪いで竜の姿になっておられた、と……?」


 リシェルの問いに、青年は苦渋の表情を浮かべてうなずく。


「そうだ。我が一族は今では失われた魔法の使い手であり、魔族と呼ばれた種族なのだ。……かつての我らは、恥ずかしいほどに愚かで傲慢であった……」


 自らを選ばれし一族と自負する魔族たちは、魔法を使って世界を意のままに操ろうとした。

 邪念のこもった魔法の力はやがて彼ら自身に跳ね返り、呪いとなって彼らの身を蝕んだ。

 魔族の王は竜に姿を変え、臣下たちは物言わぬ石像となり、人間の領民たちは散り散りに逃げ去った――……


「それから、およそ千年。ようやく我らは救われた。そう、心清らかなるあなたの手によって」


「まあ。大げさですわ」


 リシェルは嬉しさに身をくねらせる。


 青年の目は真剣で、決して世辞ではないことが見て取れた。

 リシェルは照れつつ、全裸の青年から目を逸らして立ち上がる。


「何か着るものを探して参りますね? 伸び放題のその髪も、整えた方がよろしいかと」


 その方が美形具合がさらに上昇するかと。


 こっそり心の中で付け足してところで、青年はにこやかに首を振る。


「服ならば問題ない。魔法でほら、この通り――」


 ふわりと手を振った次の瞬間には、青年は膨らんだ袖の服を着込んでいた。半ズボンから出る足にはぴっちりした白タイツを履いている。


「……!」


 あまりの衝撃にリシェルは言葉を失った。

 青年は照れくさそうに笑うと、今度は朽ちた謁見の間を見回した。

 手のひらを突き出して、口の中で何事かぶつぶつと唱える。謁見の間が輝きに満たされて、リシェルは眩しさに反射的に目をつぶった。


「陛下ぁぁぁぁっ!!」

「セルジュ陛下ーーーっ!!」

「我ら、我ら石化の呪いが解けましてございますぅぅぅぅっ!!」


 はっと目を開けば、古めかしい衣装を身にまとった人々が涙ながらに謁見の間に駆け込んできた。

 竜の青年を取り囲み、互いの無事を称え合う。感動的なその光景に、リシェルはしゅんと鼻を鳴らして涙ぐんだ。


「おや? そのかたは……?」


 不思議そうな臣下の問いかけに、青年が得意気に胸を張る。


「我らが救い主にして、俺の花嫁だ」


「おおお。それはまためでたいっ」


 いつの間にやら、朽ち果てていたはずの謁見の間はきらびやかに様変わりしていた。

 喜び勇んで祝いの準備を始める臣下たちを横目に、青年はリシェルへと手を差し伸べる。


「さあ、俺の花嫁よ。早速式の準備を始めようか?」


「ええ。それならばまず、手始めに――」


 その壊滅的なセンスの服を着替えましょうか。


 前のめりでリシェルが伝えようとしたら、青年が先に心得顔で手を打った。


「ああ、髪を切るのであったな。この短刀を使うのか? なかなか大胆だな」


 青年が軽やかに指を鳴らせば、遠くに捨て去ったはずの短刀がとんでもない速さで飛んでくる。

 リシェルの目の前でピタリと停止し、リシェルは顔を引きつらせた。


「どうしたのだ? 俺の髪を切ってくれようとして、あなたはその短刀を構えていたのではないのか?」「ええもちろんです我が伯爵家に伝わりし伝統的な散髪の手法なのですまずは短刀である程度の長さまで切りそろえるのです」


 早口にまくし立てながら、リシェルは青年のサラサラの髪を少量ずつつかんで短刀で切り落としていく。

 自分でも初めてとは思えないぐらい、案外綺麗に出来上がった。後は細かな調整はハサミで行えばいいだろう。


 器用な己ににんまりして、リシェルは再び目深にヴェールを被る。


「さあ、それでは参りましょうか? わたくしの魔王様」



 ◇



 白亜の魔王城は輝きを取り戻し、上空を覆っていた不吉な霧も綺麗さっぱり祓われた。

 晴れ渡った青空の下、魔力を宿した土壌には素晴らしい速さで作物が実っていく。穀物も野菜も果物も大豊作で、飛び抜けて大きいうえ味も良い。


 けれどこれだけ豊かな地だというのに、領民は魔王城に住む魔族たちだけ。

 リシェルは青々とした魔王領を見据え、瞳を光らせて考え込む。


(この素晴らしい土地に根付く、働き者の領民が早急に必要だわ)


 リシェルにとって何とも都合のいいことに、マイヤー伯爵領は魔王城からごく近くにあった。

 というよりも、魔王城と近いからこそ『生贄花嫁』などという今は廃れた因習を兄たちは持ち出してきたのだ。


「ねえ、セルジュ様。わたくしの愛しい魔王様?」


 ぴったりと身を寄せれば、魔王――セルジュは茹でダコのように真っ赤になった。

 夫婦になってもうじき半年経つというのに、相も変わらず初々しい反応にリシェルは今の幸せを噛み締める。


「どうしたのだ? 我が愛しの妻リシェルよ」


 セルジュは漆黒の髪によく似合う、濃紺のコートをまとっていた。

 夫の服はリシェルが毎朝選ぶようになったお陰で、その端正な顔立ちの破壊力はさらに倍増している。


「実はわたくし、実家のマイヤー伯爵家から領民を奪いに行こうかと思うのです。と、いうのもね――」


 ――愚かで無能なあの忌々しいクソ兄たちへの復讐と、魔王領への実益も兼ねて、一石二鳥だと思いますの!


 得意顔でそう言おうとしたら、セルジュがぱっと顔を輝かせて手を打った。


「なるほど、つまりリシェルは故郷の領民たちを心配しているわけだな? 無能な領主のもとで苦しむ領民たちを救いたい、と。ああ、我が妻のなんと心清らかなることか……!」


「…………」


 リシェルは即座に本音をビリッビリに破いて丸め、遥か遠くに捨て去った。


 セルジュの胸に飛び込み、潤んだ瞳で彼を見上げる。


「――ええ、その通りですわ! あなたの妻となって幸せな日々の中でも、故郷の領民たちを忘れたことなど一秒たりともありませんでしたの!」


「リシェル……! あなたというひとは、本当に……!」


 感極まってリシェルを抱き締めるセルジュの腕の中で、リシェルはほくそ笑んだ。



 ◇



 マイヤー伯爵領の領民奪い取り計画は、拍子抜けするほど上手くいった。


 無能兄は妻とその実家の言いなりで、増税を繰り返した結果、領民たちはすでに逃散寸前。

 セルジュを伴いさっそうと現れたリシェルの演説で、領民たちの心はあっさり魔族側へと傾いた。リシェルはもともとその有能さゆえ領民たちから慕われていたし、何より美貌のお似合いな夫婦は彼らにとって救世主に見えたに違いない。


「これで正式に一国の王を名乗れますわね」


「そうだな、では新たな国名を考えねばな。千年前に滅びた国の名など、縁起が悪くてとても使えぬ」


 それでリシェルとセルジュと臣下たちで議論した結果、『深き漆黒の闇晴らす花嫁降臨せし偉大なる魔王国・改』に決定した。

 セルジュだけでなく臣下たちのセンスも終わっていたが、多数決の暴力の前にはさすがのリシェルも無力だった。


「皆さん、そろそろ生活は落ち着かれまして? 何かお困りごとはありませんか?」


 新しい国名にもやっと馴染んできたある日、リシェルは一人で気楽に城下を訪ねた。

 この国は魔王セルジュによる結界で完璧に守られているため、護衛をつける必要もないのだ。


 青々とした畑を世話する領民たちが、リシェルを認めて笑顔で顔を上げた。


「ああ、これは王妃様。お陰様で幸せに暮らしています」

「ご飯は美味しいし気候もいいし、魔族の皆さんもとっても優しいですし。何の不満もありませんよ、国名以外」

「そうか? 別にいいじゃねぇか、長ったるい国名は『魔改(まかい)』って略せば呼びやすくなるし」


 なるほど、とリシェルは手を打った。


「名案です。では今日からわたくしも、この地を魔改と呼びましょう」


 畑の領民たちに手を振って別れを告げて、帰り道は商店を覗きながらのんびり歩く。

 今夜は二人が出会って十ヶ月記念日だそうで、夜はご馳走を用意してくれるらしい。ちなみに記念日は毎月ある。


(甘いお菓子でも買って帰ろうかしら。この間の『初めてお揃いのパジャマを着た記念日』で食べたキャンディ、また二人で食べたいわ)


 うきうきとスキップで歩き出したところで、長身の男と正面からぶつかってしまった。


 鼻を思い切り打ちつけて、リシェルは痛みに涙を浮かべる。


「ごめんなさ、前をよく見ていなくて――」

「見つけたぞ!! よくもやってくれたなぁ、リシェル!?」


 グイッと乱暴に腕をつかまれ、引き寄せられた。

 リシェルは恐怖に息を呑み、男を見上げる。


「――っ!」


 久しぶりに見る、兄の姿がそこにあった。

 無精髭を生やし、まるで下層の平民のように落ちぶれた身なりをしている。


 兄は引きつったような笑みを浮かべると、リシェルをつかむ手にますます力を込めた。


「痛……っ」


「お前のせいで散々だ! 領民を失った咎でマイヤー伯爵領は国に没収されるし、妻とも離縁された! この悪魔め!!」


 ナイフを引き抜いた兄を見て、城下の住人たちが悲鳴を上げる。


 早く魔王様を呼んでこい!と怒鳴る声も聞こえるが、セルジュは城で執務中だ。すぐに助けにはこられないだろう。


 リシェルはきゅっと唇を噛み締める。


「一体、どうやって結界を突破したの……?」


「うちの領土の領民を大半引き入れたようだが、まだ残っていた連中も少しはいたからな。そいつらに混じって馬車に乗ったら、簡単に潜入できたぞ」


 せせら笑いながら、兄はリシェルの頬すれすれで見せつけるようにナイフを揺らす。リシェルは涙を浮かべ、いやいやと首を振った。


「やめて。お願い……。やめて、くれないなら……」


「はッ。どうするって言うんだ? 頭でっかちなばかりで、非力な女の分際で――……おわぁッ!!?」


 ドーンッ!と爆発音が響き渡る。


 兄は慌てふためいてリシェルから離れ、リシェルはすかさず兄から距離を取った。


「あははははッ! 非力だけれど美しく賢いこのわたくしが、身を守るすべを何も持っていないとでも思ったの!?」


 高笑いしながら見せつけるのは、小石ほどの大きさの真っ黒な玉だった。

 中にはリシェルが自ら調合した火薬が詰められていて、投げつけた衝撃で爆発する仕様になっている。


 脅し程度の威力しかないが、『生贄花嫁』として魔王城に来た時もウェディングドレスの中に隠し持っていたのだ。


「ぃ……っ、ぅ、ま、待って、くれ」


 髪を焦がした兄が懇願するが、リシェルは口元に嘲笑を浮かべて彼を見下ろした。


「はあ? どうしてわたくしが、あなたごときを許してあげ――」



 ――……リシェルーーーーッ



「ゆる、してあげ……」



 ――リシェルーーーーッ!!



 リシェルの頭上から、愛しい魔王の声が振ってくる。


 背中に漆黒の翼を生やしたセルジュが、リシェルと兄の間に落下するようにして着地した。

 どうやら空を飛ぶための魔法であったらしく、ほんの少しまたたきする間に翼はフッと消え去る。


「リシェルッ無事か!!?」

「ああっ助けてくれそこの人!! 妹に殺されグエェッ!!」


 リシェルは兄の脇腹に回し蹴りを食らわせ黙らせると、そのままの勢いでセルジュに抱き着いた。


 目にいっぱい涙を浮かべ、ふるふると声を震わせる。


「こわ、こわか、ったぁ……。ころ、ころされるかと、おもったの」


「! おのれ! か弱き妻に、なんとうい狼藉を!!」


「ちがぁうぅぅぅっ、誤解だぁぁぁぁ!! 俺はちょっと脅すだけのつもりで、でも妹は俺を殺す気満々で迎え討ってきて!!」


「ふぇぇぇっヒックヒック!! 恐怖で足が震えて、もう立つことすらままなりませんわー!!」


「よしよし、もう大丈夫だ怖くない。泣かないでくれ愛しき妻よ」


「お願い聞いて!!?」


 セルジュがリシェルをなだめている間に、兄は住民たちの手によって縛り上げられた。


 セルジュの腕の隙間からリシェルがこっそり目配せすれば、住民たちは心得た様子でグッと親指を立ててくれる。これこそ日ごろの心温まる交流の成果だと、リシェルは深く感動した。


「さあ、我が妻よ。あなたはこの罪人をどうすべきと考える?」


 リシェルの涙が落ち着いたころ、セルジュが静かに問いかける。リシェルの答えはもちろん「打ち首」一択だった。


「うちく」

「――などと問うたところで、どうせ心優しいあなたのことだ。このように愚かな男であろうと、実の兄を見捨てられはしないのだろう?」


 わかっているとも、と言わんばかりにセルジュが苦笑する。

 一瞬だけ固まったリシェルは、すぐさま勢い込んでうなずいた。


「ええええもちろんです、どうぞ兄を救命してくださいませですが魔改に置いておきたくはございませんので即刻強制送還させましょうそうしましょう」


「魔改? ほう、なかなか響きの良い略し方だな。さすがは我が妻」


 ほのぼのと笑い合いながら、リシェルは兄を縛った縄を引っ張った。余計なことを抜かすなよ、という意である。


 果たして震えながら黙り込んだ兄を連れ、リシェルは一度故国に戻ることになったのであった。



 ◇



「結果、何だかんだで全てが丸くおさまりましたわね」


「そうだな。今後あなたの故国と交流が持てるというのは素晴らしいことだ」


 速やかに兄を送還し、魔王城に戻ってきたリシェルとセルジュである。


 罪人を引き渡すついでにあちらの国王とも面識を得て、国交を結ぶことで合意した。

 魔改は一度滅んだとはいえ由緒ある国なので、リシェルの故国もセルジュを礼を持って遇してくれた。自国の貴族であったリシェルが王妃となったことも、二国間の友好を後押ししたといっていい。


「農作物も食べきれないほど収穫できていますし、ばんばん輸出してばんばん儲けてやりましょうね。腕が鳴りますわ」


「さすが、我が妻は頼もしい」


 心から幸せそうに笑うと、セルジュはリシェルの華奢な手をそっと握った。

 リシェルがまたたきすれば、緊張した面持ちで手のひらに何かを載せてくる。


「……宝石?」


「いや。俺の命のちょうど半分を、結晶化させたものだ」


 セルジュの瞳の色と同じ、吸い込まれそうなほど深い紅の石だった。


 ずしりとした重みと不思議な温かみのあるその石を、リシェルは声もなく見つめた。


「これをあなたが受け入れてくれれば、俺とあなたは同じ時に終わりを迎えることになる。……いや、正確には俺の方が少しばかり先に逝くことになるか。あなたには、もともとのあなたの寿命もあるしな」


「そんな……!」


 リシェルは泣き出しそうになりながら、紅の石をセルジュに押し戻す。

 セルジュに置いていかれるだなんて冗談ではない。セルジュのいない人生なんて、リシェルにはもう少しも考えられないのだ。


「いや。いやです。わたくしはあなたと、互いが老いるまでずっと共に在りたいのです」


 涙声で告げて、セルジュの胸に顔をうずめた。

 セルジュは困ったようにリシェルの金髪を撫でると、その顔を覗き込む。


「だが、それならなおさら受け取ってもらわねば。魔族の寿命は、人間のおよそ五倍もあるのだぞ?」


「……はい?」


 リシェルの目が点になる。

 あまりの衝撃に涙も引っ込んだ。


 硬直するリシェルに気づかず、セルジュは悩ましげに眉根を寄せる。


「そして、魔族は若い時代が長いのだ。四百歳を過ぎたあたりでようやく少しずつ加齢を感じ始め、五百前後で生涯を終える。……うぅむ。そう考えると、俺の寿命を分けたところであなたと共白髪にはなれそうにないか……」


 セルジュは惜しそうな顔をしながらも、「あなたがそうまで嫌がるならば、無理強いはできまい」と石を片付けようとした。リシェルはすかさずその手から石をかすめ取る。


「あなた一人を残して先に逝くなど、心優しいわたくしには到底できませんわっ! この贈り物を受け取りますっ!」


「おおっさすがはリシェルだ!」


 リシェルの心の内など知ることもなく、セルジュは歓喜の声を上げる。

 リシェルの気が変わる前にと思ったのだろう、すぐさまドレスの上から紅の石をコツンと当てる。ちょうどリシェルの心臓がある辺りだった。


 セルジュが口の中で呪文を唱えると、石はすうっとリシェルの胸に吸い込まれて跡形もなく消えてしまった。

 特別何も感じなくて、リシェルは不思議そうに自身の身体を撫でてみる。


「? 何も変わった気がしませんわ」


「大丈夫、ちゃんと成功している。これで俺とあなたは、死が二人を分かつまでずっと一緒にいられる」


 嬉しげに笑うセルジュに、リシェルも微笑みを返した。

 身勝手で自己中心的だとわかっていても、リシェルにだって譲れないものはある。


(だって、わたくしがセルジュよりずっと先に死んでしまえば、セルジュは新しい相手と人生を歩むでしょう……? そんなの絶対に耐えられないわ)


 寿命を奪ってしまった罪悪感と、これで死ぬまで一緒にいられるのだという喜びと。

 相反する感情を押し隠し、リシェルはきゅっと覚悟を決める。とびきり明るい笑顔で夫を見上げた。


「普通の人よりずっと長く生きられるのならば、その分ずっとずっと多くのことを成し遂げなければなりませんわね。これからこの『魔改(まかい)』を、二人で協力してますます発展させていきましょう?」



 ――こうして、魔族と人間を繋ぐ架け橋となった魔改は、世界中のどこよりも豊かな国となる。


 王妃リシェルはその手腕を遺憾無く発揮し、魔王セルジュは心優しき君主として平和を守り続けた。


 時折ぴっちりした白タイツを履いて王妃から叱られる以外、魔王夫妻は諍(いさか)いもなく生涯仲睦まじく暮らしたという。

おしまい!


お読みいただきありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
清々しいまでに「機を見るに敏」なリシェルがとても魅力的でした。やや天然(?)な魔王様との掛け合いも小気味よくて、読んでいて面白かったです。 服装センスが千年前かぁ…現代日本でいえば、ちょっと目を離すと…
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