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華麗に奴隷を購入する

夜が明ける頃にようやく街の喧騒を抜けて、

そこからわざと人通りの少ない裏路地を選んだ。

街灯が灯る繁華街の通りを一本外れただけで、空気が一気に淀んでいくのがわかる。

路地裏の建物はひび割れ、扉は半分壊れ、誰が潜んでいるのか分からない影が揺れていた。



すごく気味が悪いけど、なるべく背筋を伸ばし、周囲に気を配りながら慎重に歩を進める。


繁華街で奴隷を売買する者などいない。

いるとすれば、こうした社会の裏側、王の目が届かない場所のはず。


たしか、アレもそう言ってたはずよ。


やがて私の前に、錆びついた看板がぶら下がる古びた建物が現れた。窓には板が打ち付けられ、扉には意味の分からない印が掠れたようについていた。



扉に刻まれたその印を、グッと瞳に魔力を込めながら、まじまじと見つめた。

すると、曲線と棘が絡み合ったような、禍々しくもどこか艶やかな印に見え方が変わる。


間違いない、ここが前に聞いた場所だ…





ほんの数ヶ月前。

とある夜会の奥の奥…表向きには存在しない招待状で集められた、享楽の香りに満ちた一室。

好奇心で参加したそこで一度だけ、肌に刻まれたこの印を見せられたことがあった。


年老いた伯爵の使用人として連れてこられていた若い男娼…今はもう顔も忘れたが、

彼が小さく笑って囁いたのだ。


『お嬢様……もし退屈したら、こういう世界もございますよ』

『……夜会なんて可愛いものに思えますから』


そのときは、軽蔑と嘲りしかなかった。

そんな下劣な世界に、私が足を踏み入れることなど無いと。




けれど今…私はその扉の前に立っている。


「……皮肉なものね」


小さく息を吐き、扉に手をかけた。

ここで怯んで、舐められてしまう訳にはいかない。


軽くノックをすると、内側から微かに物音がした。

覗き窓が開き、荒んだ目がこちらを射抜く。


「何の用だ」


「この店を、以前紹介してもらったの。素敵なペットを買いたいのだけれど」


ゆっくりと裾をつまみ上げ、自分が持ってる中で、大きめな宝石をひとつ取り出して見せた。

男の目が一瞬だけ、ぎらりと光る。


「……いいペットが入ってる」


扉がギィ、と重い音を立てて開いた。

かすかな灯りが、腐臭混じりの暗闇の中へと誘い込む。




奥に奥へと進むにつれて、空気はますます澱んでいった。

灯りは赤黒く、天井近くに吊るされた粗末なランプがところどころで揺れている。


やがて、視界に異様な光景が飛び込んできた。


広い空間の中央には、頑丈な鉄格子が何重にも張り巡らされ、

その中には男女も年齢も種族も入り混じった人々が、無造作に押し込められていた。



全員の身体には、売り物であることを示す札が括り付けられ、必要最低限の布切れだけをまとわされている。


鼻をつく血と汚物と香の匂いが入り混じる空気に、

ほんの一瞬だけ眉をしかめてしまう。



けど、もう引き返すつもりもないわ。


「……さあ、どれを選びましょうか」


私はそっと恐怖を押し込めるように、息を吐いた。


鉄格子の前で足を止め、無造作に押し込められた奴隷たちを冷静に見回した。


何人もの奴隷を買う訳にはいかない。

ここで優先すべきは、見た目の珍しさでも血筋の価値でもない。必要なのはただ一つ…生き抜くための実用性だ。



だからこそ…

この檻の中で探すのは、強い武器よ。

そしてついでに私の世話が出来たら尚いい。


「……戦える者はどこかしら?」

ここは弱そうなのばかりだし、聞いた方が早そうね。


私の声に商人は目尻を下げて、脂ぎった笑みを浮かべた。


「ほほう、お嬢さん……戦えるのがお好みか。そりゃあ面白い。」


商人は檻の奥を見やり、指をパチンと鳴らした。

すると奥から、ずるずると鎖を引きずって、一人の男が連れてこられる。


「こいつなんかどうだい?

大陸南部の密林地帯の戦士さ。獣と戦って生きてた筋金入りだ。」


ゆっくりと顔を上げたのは、大柄で筋肉質な男。

確かにとても強そうだ。

ただ……片腕が、肘の辺りから包帯でぐるぐる巻きにされている。


そして、その包帯の隙間から滲む赤黒い染み。


「……この腕は?」


私が眉をひそめると、商人は慌てて笑った。


「へへ、かすり傷みたいなもんだ!

獣に噛まれただけだ、すぐ治るさ!」


「噛まれて?喰われてるじゃない」


男の腕からは微かに、生臭く重い匂いが漂っていた。奴隷を買ったらすぐに急がないといけないのに、回復を待ってあげる余裕は無いわ。


「今すぐ戦えないならいらないわ。」


商人の笑みが引きつる。


「で、でもだな、お嬢さん——」


「いらない。」


ピシャリと言い切ると、商人は舌打ちを飲み込んで、別の鎖を掴んだ。


「なら……こっちはどうだ!」


引きずられてきたのは、獣人族の青年。

胸元に深い裂傷が走り、縫合の跡がまだ生々しい。


「北の鉱山で反乱を起こした腕利きだ。

傷は深いが、骨まではいってねぇし、時間が——」


「……時間が、でしょ?」


高く売りたいのは分かるけど、私は別に奴隷同士で戦わせたい訳じゃないわ。

一緒に冒険するのに向かないのは困る。



こんなんじゃ埒があかないわ。

別にドラゴンを倒せるような強さを求めてる訳じゃないんだし、もっと良い感じのは…


……仕方ない。

小さく息を整え、瞳に魔力を流し込む。

熱が視界の奥をじりじりと焼いていく感覚。

視界の輪郭がきらめき、空気の歪みを映し出す。


もし魔法とか使えるのがいたら、これですぐに分かるはず。疲れるからあまり使いたく無かったけど、仕方ないわ。


…すると、1人の奴隷に目がついた。


空気の揺らぎが、彼の周りで微かに反射している。


魔力で体を覆ってる…防御結界? いや、自己治癒……?



「ねぇ、ちょっと。そこの貴方」


声をかけられた奴隷は顔を上げる。

その目は恐怖などには全く染まっておらず、どこか挑発的だった。これなら、買ったら今すぐにでも走り出せそうなぐらい元気ね。


そんな期待した気持ちで問いかける。


「あなた、戦えるの?」



「……なんだよ、お嬢様。

こんなとこで“お強い奴隷”でもお探しか?」


そう言うと、上から下まで目を向けられて、鼻で笑われるように返される。

…なんだか生意気そうな奴ね。

まあ、元気が無いよりは良いわ。


「質問に答えなさい。戦えるの?」


男は再び鼻で笑い、小さく息を吐くと、檻の鉄格子にもたれかかりながら言った。


「さあな。戦えるかどうかは……

お嬢様次第じゃねぇの?」


「……何が言いたいの?」


「言葉のまんまだよ。さっさと帰って、ママのご飯食ってねんねしてな」

そう言ってヒラヒラと手を振ると、再び顔を晒されて、そのまま背中を向けられてしまった。


…そして、生まれて初めて言われたそんな言葉に、眉がピクリと跳ね上がったのが自分でも分かる。

この私が話しかけたのに、まともに返そうとしないなんて…


「なんて不敬なの…!」


「おっと。もしかして怖かったか?お嬢様。」


奴隷の挑発に、頬がかっと熱くなる。

檻の鉄格子を握る手に力がこもり、金属の冷たさが指先を刺した。

やってやるわ。私が言われたままで終わらせるだけの小娘だと思って?




「…失礼したわね。牙を抜かれた駄犬だったみたい」



そう言うと、私の言葉にカチンときたのか

一度背を向けた体を向き直し、再び私に目を合わせる。


私だって、夜会では陰で言って言われての戦いをして来たのよ。ここで負ける訳にはいかないわ!


「何が言いたいんだよ」


「あら、まあ…学がない方にはわかりにくいかもしれませんね。

私の言葉にご理解いただけなかったとは、まことに残念でございますわ。ごめん遊ばせ。」


そう言って、鏡の前で何度も練習して研究した結果生み出した、相手を腹立たせる綺麗な笑い方をお披露目した。

これでムカつかなかった奴はいないわ。


そして案の定、私の笑顔にムッとしたのか、奴隷は負けじと胸を張り、声を張り上げた。


「お嬢様、俺はただの奴隷じゃねぇ。

俺は一人で何人もなぎ倒せるし、魔法だってそこそこ使える。お前みたいな華奢な嬢ちゃんが相手じゃ、すぐ終わるだろうな。」


奴隷はニヤリと笑いながら、イリスが怖がるように自分の強さを語って来た。


「あら…そうなの?」


その言葉を前に、私は“あえて”少し怖がった様な声を出してみた。すると、手応えを感じたのか、嬉しそうにさらに次々と言葉を紡ぐ。


「お嬢様、俺はただの奴隷じゃねぇんだよ。」


奴隷はわざとらしく鉄格子に肘をかけると、声を低くして笑った。


「俺一人で盗賊団を潰したこともある。剣でも素手でも、相手が何人いようが関係ねぇ。」


「あら、それはすごいですこと。では魔物も?」


「魔物?モンスターなら、森の奥で寝てたら襲われたことがあるが……逆に皮剥いで売ってやったさ」


「まぁ、頼もしいのね。」


私が“恐れ入りましたわ”とでも言いたげに小さく口元を押さえると、奴隷は調子に乗ったように肩を揺らして笑う。


「獣も人も関係ねぇ。必要なら全部狩って食って生き残る。武器がなくても牙が折れても生き残るさ。」


「ふふ……さすがですわね。じゃあ、戦うだけじゃなくて……家事とかも出来るの?」


「は?家事?」


「お食事の支度とか、お洗濯とか……」


わざと首を傾げて尋ねると、奴隷は一瞬だけ眉を寄せたが、すぐに得意げに胸を張った。


「……あぁ?そんなもん、俺にかかりゃ金がなくとも、森の獣を捕まえて捌いて……火を……ん?」


口にしてから、自分で気付いたらしい。


「……あれ?」


「まぁ、つまり調理もできるという事ですのね? 感心ですわ。」


私が目を細めて頷くと、奴隷はなんとも言えない顔で鉄格子を睨みつけた。


「…おい…何だこれ。」


「お強いだけじゃなくて生活力もあるなんて、本当に万能ですこと」

おまけに拍手をつけて、褒めてやった。

ちなみに奴隷に対してではない。ここまで来た自分の行動力を称えるためだ。


「……待て、おい。何かおかしくねぇか……?」


奴隷がようやく状況に気付きかけた、その瞬間。


私はクルリと商人に振り返り、顔を上げてにっこりと笑い、


「こちらのペット、飼わせていただきますわ!」


高らかにそう告げてやった。


「……は、はぁ! 毎度ありがとうございま―」


「おい!ちょっと待てって! おいお前…!」


奴隷の声なんて、もう聞こえないふりをして。


私は満足そうに懐から宝石を取り出した。

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