冒険の醍醐味
森の奥はまだ薄暗く、どこか湿った獣の匂いが漂っていた。
さっき倒した小型のウルフ系とは違う、もっと獰猛でしつこい気配が木々の隙間から滲んでくる。
「まったく、誰が後ろに下がるものですか。貴方という人は……!本当に不敬極まりないわ」
そう言うと、本当に逃げるつもりが無いようで、イリスは片足を開いて体勢を整えて、前を鋭く見据えていた。
怒りに任せているのかと思えば、足元には細かく編まれた魔法陣がいくつも浮かんでは消えていく。
それは無駄のない、制御された魔力の証だった。
(……大丈夫か、コイツ。
怪我する前に辞めさせるべきか…)
アレンは小さく息を吐き、剣を鞘から引き抜く。
刃が僅かに反射して鈍く光った。
その光が合図かの様に、
森の奥がざわめき、茂みが激しく揺れた瞬間、牙を剥いた巨大なウルフが鋭い爪を振りかぶって飛びかかってきた。
その勢いは、まるで風を切り裂くような轟音を伴っていた。
イリスは瞬時に地面に複雑な魔法陣を描く。
淡く青白い光が魔法陣から滲み出し、やがてイリスの前にまるで無形の盾のような結界が立ち上る。
バチンッ!
激しい衝撃音と共に、獣の爪は結界に跳ね返される。
火花のような魔力の迸りが、空気を切り裂き、周囲を白く照らし出した。
ウルフは結界に弾かれ、体勢を崩し、動きが鈍くなっていた。力強く突進をすればするほど、自分の力でダメージを負うことに躊躇していた。
それに、イリスは顎を上げ、胸を張って言い放つ。
「ほら、アレン。仕留めなさいな。
貴方に餌を与えてるのよ?」
きっと私と一緒にお上品な生活をしていたから、こんな粗相を続けているのでしょう?存分に遊んで来なさいな。
その言葉に、アレンは思わず肩を竦めた。
「心配する必要なんか無かったな」
苦笑を浮かべながらも、剣を構え直す。
結界が敵の動きを止める、その一瞬の隙を見逃さなかった。
アレンは一歩前に出ると、刃先をわずかに上下に揺らして敵の動きを探る。
巨大なウルフは再び爪を振りかぶるが、その瞬間を狙い、アレンは鋭く踏み込みながら一閃。
剣は敵の肩口をかすめ、獣の動きを封じる。
だが、ウルフはひるまず、口を大きく開けて吠え声を上げる。
その隙を見て、アレンは素早く側面に回り込み、後脚に蹴りを入れ、動きを鈍らせる。
ウルフがバランスを崩した瞬間、アレンは一気に重心を下げ、渾身の力を込めて剣を振り下ろす。
鋭い刃が獣の首筋を掠め、骨を砕く音が響いた。
獣は苦しげに吠え声を上げ、地面に倒れ込む。
アレンは冷静な目で獣を見下ろしながら、軽く息を整えた。
「…どうかしら?私の采配のおかげね?」
沈黙を消したのは、やけに誇らしげなイリスの声だった。指先はまだ小さく震えているが、瞳は誰よりも高く冷たく輝いている。
全く、私の魔術にかかれば簡単に事は収められるのよ。これで私の強さにアレンも気づく事が出来たでしょう。
アレンは剣を鞘に収め、片眉を上げてイリスを見下ろした。
「お嬢様の采配は立派だが……」
ちらりと視線を逸らし、小さくため息を吐く。
「……そのうち1人で猪でも仕留めてそうだな」
「何か言いまして?賞賛かしら?」
よく聞こえなかったけど、きっと褒め言葉に違いないわね。態度は相変わらず気に食わないですけど。
なんとも元気そうで能天気な返答に、アレンは肩を竦めて小さく笑った。
「いや、何も」
この後もご機嫌なイリスの高笑いは続き、それに引き寄せられたモンスターをまた倒すというループを、繰り返したのだった。