モンスターとの対面
しばらくイリスは先頭に立って進んでいたが、突如アレンに肩を掴まれてストップがかかる。
「……お嬢様、そろそろモンスターが現れる付近だ」
アレンがそう告げると、イリスはぴたりと足を止めた…かと思うと、すぐにするりとアレンの真後ろへ回り込んだ。
それは見事なステップだった。ここで思わず社交界のダンスが役立った瞬間だった。
まさかこんな所で私の華麗なるステップが役に立つなんて…ダンスも捨てた物じゃ無いわね。
「……は?」
「別に、怖いわけじゃなくてよ?貴方に先陣を譲ってあげてるだけですもの!」
ええ、だって将軍首とか私が先に取って手柄を奪ってしまったらあまりにも可哀想ですもの。
こう言うのは、手下に譲るのが良い主人よ。
そんなイリスにアレンは呆れた顔で肩越しに振り返ると、必死に胸を張っている姿が見えた。
こんな時にも自信満々である。
だが、少し背中を丸めてアレンの外套の端をそっと握っているのがバレバレだった。
「……はいはい、隠れんぼの名人様ってわけだな」
「何ですって!?」
ここまで私を騙して連れてきて何をおっしゃっているのかしら…。レディーは繊細なのよ?
信じられないわこの人。
そんな私の視線にアレンが小さく笑った、その時だった。
ガサリ、と茂みが揺れた。
低い唸り声と共に牙を剥いた、ウルフ系のモンスターが飛び出してくる。それはアレンが予測していたよりも少しだけ早い登場だった。
アレンは即座に反応し、鋭い視線で敵の動きを捉えた。
アレンはすぐに手を伸ばす。流石に後ろにいるイリスに被害が及ぶ前に仕留めるつもりだった。
だが――
「きゃっ……!」
獣が跳躍し、イリスめがけて爪を振りかぶった。
小さくか弱い悲鳴が背後から聞こえる。
本能的にアレンよりもイリスの方が弱いと感じたのか、はたまたイリスの主張する様に高級食材に見えたのか…。
冷静に、剣の軌道を変えて攻撃しようとしたその時…
空中に、透明な壁のような魔法陣が弾けた。
ドンッ!
勢い良く突進していたモンスターが防御壁に激突し、鈍い音を立てて弾き飛ばされる。地面に転がった獣は、衝撃で脚を引きずりながら、苦悶の声を漏らした。
アレンは何もしていない。
「……へぇ」
思わず、アレンは声を漏らした。
護るだけの小娘だと思っていたが、まさか自分で結界を張れるとは。
後ろを振り向くと、イリスは、ぶるぶる震えながらも、アレンの視線に気づくと誇らしげに顎を上げる。
「ど、どうですの!貴方が頼りなくても、このくらい私にかかれば造作もないことですわ」
それは貴族として、小さい頃から手厳しく教育された護身術の結晶だった。
「流石お嬢様だな」
アレンは肩をすくめると剣を薙ぎ払い、イリスの防御壁に気を取られている獣に向け、迷わず踏み込む。
「……後は任せろ」
低く呟いた声は、獣への宣告のようだった。
剣を構えると同時に、足元の土がわずかに弾ける。
重心を下げた瞬間、空気を裂くようにアレンの身体が前に滑った。
「――!」
ウルフが吠え声を上げ、再び突進する。
だが、その巨体が動きを切り替えた時にはすでに遅い。
アレンの剣閃が、光の帯のように一閃した。
獣の首筋に正確に滑り込んだ刃が、骨を断つ音をかすかに残す。
同時に、アレンは体をひねり、後脚の反撃の爪をかわすと、切り伏せた獣を背後に転がすように捨てた。
森に沈黙が戻る。
剣の刃についた血をひと振りで地面に落とすと、アレンは振り向いた。
「……片付いた」
彼の顔には汗ひとつ浮かんでいない。
ただ、これからされるだろう自分への賞賛を待っている様な顔だった。そしてイリスの言葉を待つ。
「…やっぱり貴方だけで良かったじゃないの!!」
そんな姿を見て、イリスは怒りのあまり叫び、声が森に響き渡った。
その叫びを受けて、アレンは僅かに眉を上げ、面白そうに口の端を吊り上げる。
「良い働きだったろ?」
「何処がよ!!」
本当に何故私がここまで連れてこられたのか意味が分からないわ。まさか気まぐれじゃ無いでしょうね。
私は顔を真っ赤にして睨みつけるが、その視線の先でアレンは剣を鞘に収め、わざとらしく肩を竦めた。
「だって、俺が居なかったら今ごろお嬢様は狼の餌だろう?」
「違いますわ!結界がありましたでしょ!?全部、私が何とかするつもりでしたのよ!」
「へぇ……」
何てわざとらしいの。
これはしっかりと言って聞かせないと。
こういうのは、最初の躾が肝心なのよ。
「だいたい、貴方と言う人は…!」
だが私の叱責を聞かずに、アレンは振り向きもせず、剣の鞘を軽く叩いた。
「……さて、行くぞお嬢様。これは村にあった痕跡にしては小さすぎる。ボスはもっと先だな」
「ま、待ちなさい!私の許可なく勝手に進まないでくださる!?」
むっとした声を背中に受けながら、アレンはもう一度だけ小さく笑うと、森の奥へと視線を向けた。
…多分、あの先にまだモンスターが潜んでいるのでしょうね。魔力を辿ろうとしなくても分かる。
空気が澱んでいる。明らかに、森の先から獣の臭気と穢れた様な魔力が流れている。
……明らかに数が多い。
先ほどの小型のウルフ系だけではない。群れを作る雑種獣が入り込んでいるのだろう。
そして、その群れが山を抜ければ、真っ先に被害を受けるのは村だ。
「……流石に危険だ。お嬢様は後ろに居ろ」
そう言って、アレンは森の奥へ歩を進める。
イリスが小さく外套を掴んでいたが…力強く握り直し、強く引っ張った。
アレンがその感覚に振り返ると…
そこには震えるイリスがいた。
しかしそれは恐怖では無い。
未知数の怒りによる所為であった。
その怒りは魔力へと変わり、足元に火花が散る。
…いま私が、魔物に恐れをいなして、ただ震えるしかない小娘だと思ったの?この私を?
私はこの国の最も華麗なイリス・ヴェルディエよ?
「……誰が、誰が後ろに居るものですか。」
だいたい、何故私が後ろへと逃げねばならないの。
剣でかろうじて攻撃をさえぎるよりも、結界で退ければ良いだけじゃない。
「貴方こそ後ろへ居なさいなアレン…」
私の結界はただ閉じこもるためにある檻じゃないわ。
この力こそ、私の誇りの証、誇り高き城壁よ。
「見てなさい!私が完膚なきまでに蹴散らしてやるわ!」
「適応性高いなお前」
「誰に向かって口を聞いてるのよ!!!」