待ちなさい、私が火をつけるわ
2人はしばらく山道を進んでいたが、ペースが段々と落ちていた。原因はアレンではない、イリスだった。
こんなにハードな運動は初めてだわ…
ダンスも疲れるけど、これはまた違うのね…
目の前を全ての荷物を背負っていながら、軽々と足を進め続けるアレンに感心する。もし私が少しでも荷物を持って歩いてたら、ここまで進むことは出来ていなかったでしょうね…。
少しは働きを認めてあげましょう…。
だが突然、辺りが少し開けた場所を見つけると、アレンはすぐに背負っていた全ての荷物を地面にドサリと置いてしまった。
「え、ちょっと…?」
何故地面に置いたの?
まさかこれがボイコット…ストライキというものかしら?
「ストライキしてもお駄賃は上げないわよ」
「何の話だ?」
そのままアレンは大きく屈伸をすると、適当に乾いた小枝を拾い始めた。何故その様なことを…?
…そう言えば、昔飼ってた犬のアレンも、よく木の枝を咥えて持ってきていたわね。もしかして…
「投げて遊んで欲しいのかしら?」
「…そんなんでよく夜逃げしようと思ったな」
「不敬よ貴方」
アレンは、小枝を何本か拾い集めると、ため息をつきながらそのまま地面にしゃがみ込んだ。
足元の落ち葉をどけ、小石を払い、拾った枝を並べ始める。
「……何をしているの?」
もしかして現代アートを作る気なのかしら…?
もっとこう、せめて絵の具とか使った方が良いんじゃないかしら?地味すぎるというか…
そう考えてると、アレンは面倒くさそうに顔を上げた。…もっと主人を労る気持ちで接しなさいよ。
「休むんだよ。焚き火の準備だ」
「焚き火…?ああ……それが焚き火なのね」
ようやく理解したわ。
つまりここで一晩休むつもりなのね。
初めからそう言えば良いのに。
アレンは黙々と枝を組み、火打石を取り出した。
パチ、パチ、と小さな音が夜の静けさに混ざる。
私もそこら辺の大きめな石に座ってそれを眺めた。
……ちょっと待ちなさいな。
「ねえ……ちょっと……」
アレンは無視して火花を散らしている。
「待ちなさいってば! さっき貴方モンスターが出るって言ったじゃない……!」
声が裏返ったのが悔しい。けれど、怖いものは怖いのだ。
だって結界の外よ?街の外よ?
そんな中で火を焚いて寝るだなんて、正気なの?
「こんな所で寝たら……どうするのよ……本当に出たら……私多分すごく美味しいわよ!」
だって良い物沢山食べてきたのだから。
多分フォアグラ…いえ、キャビアの感覚で…。
アレンは一旦手を止めるとようやく顔を上げて、またあのめんどくさそうな目で私を見た。
そして、ため息をひとつ吐いて、まるで子供を宥めるように言い放つ。
「……俺が見張るから大丈夫だ」
呆れたような声色だった。
とても失礼じゃないかしら?
「本当に大丈夫なんでしょうね…絶対に私の方が貴方よりランクとか上でしょうし、もし何かあったら…!」
「火つけるから、危ねぇぞお嬢様」
そう言うと、またパチパチと火花を散らし始めた。
「私の話を少しは真面目に聞きなさいな……!」
あまりの対応に文句を言おうとして、
ふと気づいた。
さっき……焚き火をつけるって言った?
「何でそんな楽しそうなことを急に始めるのよ。私にさせなさいな」
そんな冒険の象徴みたいなこと…
めちゃめちゃ楽しそうじゃない?
アレンは少し間を置いてから苦笑いで言った。
「お前…人生楽しそうだな」
「当然でしょう?何を急に?」
私はアレンから火打石を奪い取りながら、そう言った。
その晩、なんとかアレンの指示のもと、イリスはようやく焚き火を付けることに成功した。
「私にかかればこんなものね」
「…そうだな」
実に1時間の奮闘だった。
アレンは途中で何度か、いっそのこと魔法で火球でも作って燃やしてやろうかと思ったが、魔力の痕跡が残るため、グッと堪えた。
一応逃亡中の身であるため…。
イリスはそのことを知らず、初めて成し遂げた火おこしに胸を弾ませ、無邪気に焚き火を見つめていた。
「冒険て楽しいのね」
「夜逃げだけどな」
「ロマンという物を知りなさいな貴方」
全く、乙女心を知らないなんて、今までの人生でレディーと関わった事が無いのかしら?
…可哀想ね。今までお断りされ続ける人生だったのでしょう。今度レディーを誘うマナーを教えて差し上げましょう。
「今回は焚き火に免じて許して差し上げるわ。そのかわり、次面白そうなのをする予定があったら、隠さない事ね」
「お嬢様の面白いの基準が分かればな」
私のムカつくポイントは完璧に抑えているクセに、私の好みを把握出来て無いなんて…
きっと私の高貴な感性と合わないのね。
ふっと息をついて、焚き火の火の粉を目で追う。
ぱちぱちと燃える枝の音が、眠気を誘う子守唄のように耳に心地いい。
「……ふぁ……。あぁ、もう良いわ。私はもう寝るわ。ちょうど良い時間に起こしてちょうだいな」
焚き火に感心してて忘れてたけど、今日はとっても疲れたわ。
私は荷物を枕側にして、目を閉じた。
…なんだか物凄く冒険っぽいわね。悪くないわ。今度屋敷を買った暁にはハンモックとやらを取り入れましょう。気になるわ。
「……はいはい、お嬢様」
遠くでアレンの低い声が聞こえた。
私はそれを聞いたか聞かないかのうちに、心地よい焚き火の音と夜の空気に溶け込むように、あっという間に意識を手放した。
仕草や話し方、考え方などからも、さぞかし贅沢な暮らしをしてきていたクセに、地べたであっさりと眠った女に感心した。
「……案外タフだなコイツ」
焚き火がぱちりと爆ぜる音だけが、夜の静けさに滲んでいく。