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第一話

 ──月に照らされながら、しとしとと雨が降っていた。

 それを俺は、ソファからぼんやりと眺めていた。

 誰かが言っていた。

 こんな雨の夜は、魔女が出るのだと。

 不意に思い出した、非科学的な妄言。しかし俺は、それを笑い飛ばすことができなかった。

 だって、そうだったらいいな、とぼんやり思ってしまうのだから。

 いつ言われたんだったか。誰に言われたんだったか。それさえもう、覚えていない。

 けれど──それを言った人は、きっと俺にとって大事な人だったと、そんな気がする。

 その言葉はこんなにも、記憶に焼き付いているのだから。


 ──近江がソファから見つめていた雨の景色。

 その奥に、近江の高校の校庭で踊っている少女がいたことなど、近江は知る由もない。


 傘を片手に少女は踊る。練り上げられた自らの魔術を武器に、魔女と魔女狩りの巣食う地で。


 標的は、雨の魔女。

 校庭に現れた怪物を屠り、校舎から周囲を睥睨した少女は、うんざりとした表情を浮かべる。

 その憂いのある表情は、却って梅雨によく似合い、美しかった。

 生来明るい性質の少女は、自らの呪いの言葉を呟いた。


「──アンチ・マジック」


 それは天へと向かっていき、結局雨に霧散して消えゆくのみだ。

 叶わぬ結果に、歯噛みする。

 自らへの叱責は呵責となって、少女の憎悪を掻き立てた。

 ただ、そんな少女を。

 月明かりは照らすだけだった。


 梅雨。

 連日の雨と、それに伴うどんよりとした空気にうんざりしながら、俺──近江 聡介はいつものように学校に向かった。雨が降ると、部屋の空気が湿る。ベタベタの布団のせいで、朝から気分は最悪だった。


 もう二週間は雨が続いている。梅雨だから仕方ないけれど、早いところ開けてほしい。とはいえ、今朝のニュースでは今日も雨。夕方から夜にかけて少しだけ晴れると言っていたが、太陽は拝めなさそうだ。


 上履きに履き替える時、自然と一つ下の段に目がいった。今日も彼女はいるらしい。

 それだけで、斜めだった機嫌は戻った気がする。我ながら単純だと苦笑いしながら、少しだけ上機嫌に教室に入った。


「おはよー」

「うぃーっす」

「おっはー」


 クラスメイトとの軽い挨拶と共に、一番後ろの自分の席に向かっていく。

 その中で一段と目を引くのは、ショートがよく似合う女の子だった。


「おはよう、今日はまた随分と上機嫌だね? 雨が好きなのかい?」

「いや、別に……」


 あなたがいるからですよ、なんて言えるわけもなく。言葉を濁しながら、その隣の席に着いた。

 彼女は小早川 奏。容姿端麗でボーイッシュな女の子だ。


 中性的な容姿と、頼り甲斐のあるその性格故に女子人気が凄まじく、さらには絡みやすくて美人なもんだから、実は男からの人気も高い。勉強をさせれば涼しい顔で満点を取り、運動をさせれば男にも勝る。去年同じクラスだった奴に聞けば、家庭科の調理実習さえもプロ並みだとか。


 それだけ完璧だと嫉妬も買いやすそうだが、彼女は男女問わず友達が多いせいで、負の感情からは無縁だった。突っついてみれば皮肉屋で、けれど嫌みがないものだから、結局みんな毒気を抜かれてしまうのだ。

 そんな小早川さんに、俺は──届かないと知りながら、それでも恋をしている。


 普段は男勝りなのに、芋虫で悲鳴をあげたり、変なところで女が出る。そんな彼女のギャップに、俺はハートを射抜かれている。


 もちろん、誰からも好かれる彼女のことだから、ライバルも多い。きっと俺は、自分の気持ちを伝えられずに終わるのだろう。

 そんな風に、彼女を見ながらちょっとだけ感傷的になっていた、そんな時だった。


「ねえ、奏ちゃんは占いって信じる?」


 いつものように小早川さんの席の近くに集まっていたクラスメイトの一人が、話の流れからか、唐突に彼女にそう聞いた。


 一瞬、ピクリと小早川さんの眉根が動く。

 みんなその答えを聞きたいのか、ガヤガヤとしていたクラスは一瞬静まり返った。


 小早川さんには、妙な噂があるのだった。


 夜の校庭で魔法を使っているのを見たとか、一人で舞い踊っているのを見たとか、夜な夜な怪物と戦っているだとか。占い師のバイトをしているなんて噂も聞いたことがある。一つでも本当だったら、彼女はかなり痛いやつだ。


 けれどみんな、そんなミステリアスな彼女が好きで、その真相は触れられざるブラックボックスだった。

 その箱の中身が、今解き明かされようとしている。

 クラスは緊張に包まれて、そうして──。


「うーん……あんまり信じないかな。占いなんてニセモノだよ」


 その言葉は、俺の胸にスーッと沁み込んできた。彼女が痛いヤツじゃなくて嬉しいような、魔法が結局おとぎ話で寂しいような、そんな気持ちだった。


 クラスみんな、同じ気持ちだったのだろうか。ホッと息を吐く音と、少しだけ残念そうな空気が流れる。そして、


「そっか、だよねー。占いなんてあるわけないよね」


 少しだけ悲しそうなクラスメイトの声と共に、予鈴が鳴った。

 みんながそれに従って自分の席へと戻る中、小早川さんは隣に座る俺に笑いかける。


「……急だね、まったく。そうだ、後でさっきの質問について詳しく聞いてきてくれるかい?」


 なんで俺が、とは少しだけ思った。けれど、そう言った彼女の顔も少しだけ寂しそうで、なんとなく断りづらかった。それに──きっと普通ならこういう時に従うんだろうな、と思って、俺はその言葉に頷いた。


 次の休み時間、俺は小早川さんに占いについて聞いた女の子──美原に話を聞くことにした。


「よ、美原。さっき、なんで小早川さんにアレ聞いたの?」

「あ、近江くん。……えっとね、昨日、駅前で変な占い師さんに話しかけられてね。信じるか信じないか悩んでたんだけど……奏ちゃんに聞いてみようと思って」

「……そっか」


 返す言葉に困って、俺は短くそう応対した。占い師なんてみんな変な気もするけれど、美原に話しかけた占い師はとびきり変だったのだろうか。


「んー……ま、もう占い師さんは信じなくていいかな」

「それは──……」


 小早川さんのせいか、とは確認するまでもなかった。

 俺が言葉に困っていると、思い出したかのように美原は付け加えた。


「あ、けどね。昨日、その帰りに、校庭で人がいたんだよ」

「人?」

「うん。……なんとなく、やっぱり奏ちゃんっぽかったんだよね」


 彼女はこの高校の近くに住んでいる。そんな彼女の言葉は、やはり信憑性があった。小早川さんかどうかは分からないが、夜の校庭に誰かいたことは間違いないのだろう。


「わかった、ありがとう」

「うん、またね」


 美原にそう別れを告げて、俺は小早川さんのところに戻った。

 同時にチャイムが鳴って、数学の竹林が入ってきた。


「──で? どうだった?」


 授業を受けながら、小早川さんは小声でそう聞いてきた。教科書を見せてもらうふりをしながら、美原に聞いた話を答えると、納得したように頷いた。


「駅前に変な占い師か……わかった、ありがとう」

「あ、それからさ」

「うん?」

「昨日……校庭で踊ったり、してた?」


 俺の言葉に、小早川さんは呆気に取られて、そのうちクスクスと笑い出した。


「どうだろうね?」


 彼女は質問に対して、コテンと小首を傾げながら、笑いながら煙に巻くような言葉を吐いた。……ズルいなぁ。反則級のルックスから出たそんな反応に追求する気も失せてしまって、俺はただたじろぐだけだった。


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