第六話 魂魔襲撃!
「すっかり、遅くなっちゃったね~」
舞桜と紅奈と零亜の三人は、紅奈の提案で放課後、花園の北東に位置する演習場で早速契約した神器を使って自主練を行っていた。
時間を忘れ自主練に精を出していると、いつの間にか日が暮れてしまっていた。演習場は広大な森林になっていて、闇に落ちた森の騒めきがどこか不気味さを醸し出していた。
「舞桜知っているか? 寮にある食堂のハンバーグが絶品なんだぞ」
「へー、そうなんだ。今日食べてみるね」
「ちなみに、舞桜の好きなそばもあるぞ」
「ん? そば……?」
「貴様、いつも言っているではないか。『こんにちわんこそば』って」
「いつも言っているけど、そばは別に好きじゃないよ」
「なん……だと……? 面白い奴だな、相変わらず。まあいいや、今日、零亜と夕ご飯をその食堂で食べる予定なんだが、一緒に来ないか?」
「え? いいの? わーい。タノワクタノワク~」
「舞桜も一緒でいいよな、零亜」
「うん。大丈夫だよ」
帰り支度を済ませた三人は、和気あいあいとした雰囲気で帰っている。舞桜の人懐っこい性格で、昨日今日の付き合いながら、紅奈は勿論、人見知りで今まで紅奈以外の友達がいなかった零亜でさえも、すっかり打ち解けてしまったようだ。
「ねえ、みんな……帰り道、どっちか分かってる?」
夕闇のけもの道を三人で歩いていると、ふと零亜が不安そうな声で、二人に問いかけた。
「えっとぉ……紅奈ちゃんが分かっているはずですよ……ねえ?」
「え……いやいや、そういうのは舞桜の専門分野ではないのか?」
「「「あ…………」」」
三人の血の気が一気に引いた。花園の演習場は実戦を想定した広大な森林。入学して間もない三人は暗がりということもあり完全に迷っていた。
「どうしよう! わたしたち、一生この森で暮らさないといけないのかな……⁉」
「舞桜、もちつけ! もちつけ!」
慌てふためく舞桜と紅奈。紅奈に関してはパニックになりすぎて、どういうわけか餅をつく動作をし始めている。
「ガイダンスの時、緊急時用に陽海夜学園の連絡先を登録したはずだよ。そこにかけて助けてもらおう」
零亜の妙案に、紅奈が待ったをかけた。
「……いや待て。こんな失態を煌紀殿に知られたら、どうなるか分からんぞ。初日から、我のヒーロー道に傷がついてしまう!」
「言っている場合じゃないでしょ!」
「ふっ、安心しろ。我は天下無双の最強ヒーローになる者だ。直感で帰り道を当てられるはずだ!」
「それは運ゲーすぎるって。早く――」
零亜と紅奈が言い争いをしていた、その時だった。
暗がりの森が、より一層闇に染まる。辺りが異様な空気に包まれる。
いつの間にか彼女たちの周囲に、闇の権化の如く漆黒の球体が出現していた。その数、三体。その三つの球体は、中心に埋め込まれている赤い眼球を不気味に動かし、こちらを見据えていた。
「「「魂魔⁉」」」
三人は声を揃えた。
戸惑う舞桜と零亜に対して、紅奈だけがなぜか不敵に笑っていた。
「くっふっふ。初日から試練に苛まれるのは、ヒーローの宿命だ。これより全世界にその名を轟かす、正義の大ヒーロー、天下無双最強無敵の姫小百合紅奈の初陣だ! いざ、刮目せよ!」
紅奈は神器を握り、魂魔に切っ先を向ける。どうやら本気で相対するらしい。
「そうだよね……先生が言ってたもん。わたしたちは、今日から戦巫女だって。その自覚を持てって。だからやろう」
「ううう……やるしかないのか……。まあ、幸いにも幼体だし……多分……ボクたちだけでもなんとかなるはず」
舞桜と零亜も紅奈に倣い、神器を構える。不幸中の幸いか、さっきまで自主練していたおかげで、神器は既に起動状態になっている。
加え、今日の講義で煌紀が言っていたことを照らし合わせると、目の前にいる個体は戦闘力の低い幼体。それに敵の数はちょうど三体。一人一体、着実に倒せばいい計算。
それを全て加味すれば、入学初日の自分たちでも無理な相手ではないはずだ。
三人は背中を合わせる。互いに互いの背中を預けるその様は、信頼の証だ。
紅奈と零亜は同タイミングで強く足を蹴りだし、一気に標的の魂魔に接近を試みる。そこからすぐに交戦状態に移行する。魂魔の目まぐるしい動きに対して、二人は魂力を具現化し身体を纏わせたことにより向上した身体能力を駆使して、見事に対応して見せる。
「二人とも……凄い!」
自信満々だった紅奈はともかく、不安げだった零亜でさえも完璧な動きを見せている。
その流麗な動きに舞桜は羨望な眼差しを向けていた。二人の足を引っ張らないように、舞桜も初めての魂魔討伐へと向かっていく。幸いにも舞桜が任された魂魔の動きは止まっている。
チャンスとばかりに、舞桜は神器に具現化した魂力を注ぎこむ。
だが、思うように刀身に魂力が込められない。紅奈と零亜の神器の刀身の周りには鮮やかに白い光が覆われているのに対し、舞桜の神器の刀身は今にも消えそうな薄く白い煙のようなものが揺らいでいるだけだった。
しかしそんな体裁に拘っている暇なんてない。舞桜は向上した身体能力を最大限に活用するように、大きく跳躍して、魂魔めがけて豪快に刀を振りおろした。
スカッ、という空虚な手ごたえが全身に伝わる。
反転して魂魔の状態を確認するが、斬り伏せたはずなのに何の変化も見られない。舞桜の攻撃は魂魔に全く効いていなかった。
魂魔は反撃の合図を敵に送るように、その不気味な眼球をクワッと開くと、黒い渦が二つに裂ける。それは全てを飲み込む、不気味な口のようにも見える。
その口で食いちぎるように、魂魔は対象へと突っ込んでくる。舞桜は咄嗟に刀を構えるが、防ぎきれず肩口に衝突する。
「いったっ……くない⁉」
舞桜が受けたダメージは霊装が肩代わりしてくれる。幼体程度のダメージでは戦巫女には痛みすら感じない。
確かにこれだったら負けることはないだろう。だが今の舞桜の不完全な魂力では勝つこともできない。
紅奈と零亜は着実に魂魔に攻撃を加えており、もうすぐ終わりそうだ。
ここで舞桜は一つの事実が頭をよぎる。それは一般家系出身と戦巫女家系出身の差である。
戦巫女にはこういう格言がある。『戦巫女の資質は1%の才能と9%の努力、そして90%の血筋で構成される』と。
現に、前線に立ち活躍している戦巫女のほとんどは親族が戦巫女の人間だ。そう、戦巫女の世界は究極の血統主義なのである。
なぜそこまで差が出てしまうのか。血筋は勿論だが、その最たる例は環境だろう。戦巫女家系の少女は幼少期から剣術等の戦巫女になるための訓練をある程度行っている。
だから戦巫女家系である紅奈や零亜は初日でもあるにも関わらずここまで動けるのだ。対し、舞桜は普通の家系で生まれ、中学卒業まではごく普通の生活を送っていた。自主練こそしていたものの、やはりノウハウのない独学では限度がある。
――一般家系出身のわたしは、天美ちゃんと一緒に戦う資格はないのかな?
そんな不安が頭によぎり、剣筋もどんどん荒くなり、魂魔に触れることすら出来なくなってしまう。負の連鎖が始まり、勝手に劣勢になっていく。
すばしっこく動いていた魂魔の動きが止まった。魂魔の目の前に、黒い渦が一点に集中されていく。
戦巫女が刀身に魂力を集約させることによって力を高めると同じ要領で、魂魔も濁った魂力を集約させているのだ。
そして黒い渦が前方に射出された。
舞桜が避ける間もなく、渦の奔流を浴びる。ダメージこそ肩代わりしてくれるが、衝撃は肩代わりしてくれない。しかもそのダメージキャンセルは無限ではない。神器は持ち手の魂力を消費することで、持ち手へのダメージを無効化している。つまり舞桜が持つ魂力が尽きれば、敵からのダメージが通ってしまう……!
舞桜は五メートル後方まで吹っ飛ばされ、大木の幹に激突する。
魂魔は嘲笑うかのように、優雅に動き回っている。
どうすれば……。
足元には今の衝撃で落ちたのか、桜の髪飾りが転がっていた。舞桜は転がった桜の髪飾りを凝視する。それは誕生日に天美がくれたプレゼント。
『ずっと一緒だよ』『なろう、二人で一緒に最高の戦巫女に』――。
ふと、蘇るあの時の約束。
絶対に果たすのだ、その約束を……!
舞桜は自分の魂に熱が帯びることを感じた。魂の熱はやがて体内を巡り、全身に引火する。
沸々と力が湧き出ることを実感する。魂が鳴動する――。
刀身に宿る白い揺らめきが、明度をあげ輝きを放つ。舞桜の魂と連動しているように、強く芯のある光と化す。
これなら……いける!
舞桜は白く輝く神器を強く握り、正眼に構え――振り抜いた。
白い剣閃が解き放たれ、魂魔を真っ二つに斬り裂いたのだ。
「やった……やったよ、天美ちゃん。これで少しは近づけたかな……?」
ピンと張った糸がほつれたように、舞桜の身体は力なくへたり込んだ。
「大丈夫か、舞桜⁉」
「ケガはない?」
どうやら紅奈と零亜も無事に討伐を終えたようで、心配そうに舞桜に駆け寄ってきた。
「うん、大丈夫だよ。二人も、終わったんだね」
その時だった。
ウオオオアアアアアアアッッッッッ――‼ と、森を斬り裂くような慟哭が響き渡る。
「ななななななな、なに今の? 紅奈ちゃんの雄たけび?」
「ば、バカ者! そんなバケモノみたいな声出せるか!」
「じゃ、じゃあ……」
「……魂魔だ。それもこの感じは」
零亜が告げる。その悍ましい雰囲気は、先ほどまでとはけた違い。
来るッ――――!
異様な気配を感じ取った三人は、自然と身構えた。
その気配は次第に大きくなり、やがて……三人の視界を捉えた。
――バケモノ。
姿を見せたのは、そう表現する他無い傑物だった。頭部が猿、胴体が虎、臀部が蛇。自然界ではありえない造形のそいつは闊歩し、三人との距離を着実に詰めていった。
「鵺……」
零亜はそいつの名を呟いた。
鵺。非常に高い戦闘力を有し、数多の伝承にも残る名のある魂魔。
「知っているんですか、零亜ちゃん」
「……うん。昔、家にあった資料で見たことがある。戦闘力が高く凶暴で、その特徴的な悲鳴を聞いた者は病に侵されるという『成体』の魂魔だよ」
「「成体……‼」」
その単語を聞いた舞桜は、今日の講義で煌紀が語ったことを思い出す。
『少なくとも今のオマエらには万が一にも勝ち目がねえ。もし『成体』に遭遇したら必ず逃げろよ』
身震いをする三人。しかしうち一人だけは、震えの種類が違ったようで……。
「逆境こそヒーローの華! ヒーローには逸話はつきもの! 入学初日に鵺を倒したという伝説をここで作る!」
「行っちゃダメだよ、紅奈! ボクたちで何とかなる相手じゃない! さっきのやつとは次元が違うんだ!」
猛然と突っ込もうとする紅奈を、零亜が強引に止める。
「くそっ‼ どうすれば良いのだ⁉」
「そもそも紅奈のせいだよ! 紅奈が自主練のために行ったことない演習場なんて行くから! ボク、言ったよね⁉ 訓練生でも使えるトレーニング施設があるから、そこにしようって!」
「仕方ないだろ! こんなことになるなんて予想外だ!」
緊急事態に頭がパニックを起こし、紅奈と零亜が感情を抑えられず言い争いを始める。
二人は気付かなかった。
――鵺がこちらに近づいてきていることに。
「――危ない‼」
舞桜は庇うようにして、口喧嘩している二人の前に躍り出た。
目の前には既に、鵺が巨体を引き下げて立っていた。鵺は丸太のように太い虎の腕を振り回し、舞桜をぶん殴る。舞桜が居なければ、その腕は二人に直撃していた。
舞桜は二人の目の前で吹っ飛ばされ、地面を転げ回った。木の幹にぶつかり、ようやくその動きが止まった。立ち上がろうと、両脚に力を入れようとしたその時、
「いったあああああッッ――‼」
下半身に強烈な痛みが走り、その場で倒れ込んでしまう。ただの一撃だけで、舞桜の魂力がすべて消耗し、霊装によるダメージの肩代わりが利かなくなったのだ。
紅奈と零亜の目には、手負いの舞桜の姿が焼き付く。
――自分たちのせいで。
二人の脳裏に、途轍もない罪悪感が刻み込まれる。
自分たちがくだらない言い争いをしている間に、罪なき少女が犠牲となった。
「う――わあああああ‼」
「行っちゃダメだ! 紅奈‼」
魂魔に対する恨み、自分に対する怒り。色々な感情がぐちゃぐちゃになり、紅奈は我を忘れ、、鵺の巨体に突っ込んでいってしまう。
鵺はそれを嘲笑うかのように、蛇の尾で紅奈の総身を締め上げた。
「う――ぐぐぐぐっ‼」
紅奈は苦痛に顔をしかめた。
地獄絵図を目の当たりにした零亜は、腰を抜かしその場から動けない。
誰か……。
誰か…………。
誰か…………!
この絶望を祓ってくれ――!
「――架けろ、【天煌照弩】」
突如として、流星のような無数の白銀の光が降り注いだ。
地獄を浄化するように白銀の雨が、鵺もろとも辺り一帯を呑み込んでいく。
「ぐおらああああああああああああ――‼‼」
白銀の奔流に絶え切れず、鵺は瞬く間に霧散した。
一瞬の出来事だった。三人は目の前で何が起こっているのか、理解が追い付かない。
程なくして、舞桜の目の前に“彼女”が現れた。
背中まで伸びる絹糸のような美しい白銀の髪。エメラルドグリーンに輝く鮮やかな瞳。スッと伸びた鼻筋に細く長い眉毛。随分と大人びた見た目の妖艶な美貌をした少女だ。絵画から飛び出たような幻想的な美貌。
「…………天美ちゃん……?」
真白院天美が立っていた。
六年ぶりの再会。その姿は随分と見間違えていた。巫女装束の上には白を基調とした天使の羽が描かれた羽織を羽織っている。彼女の髪色に似た純然な白銀の弓。極め付きは、彼女の両肩から生える穢れなき白亜の翼。
「こんにちわんこそば、天美ちゃ……」
しかし天美は舞桜の言葉に反応せず、儚げな表情を一瞬だけ見せて、綺羅星のように去っていく。そんな少女の姿が、舞桜の瞳に鮮烈に刻まれたのであった。