15 北の拠点へ / 1460年 亜神・神威
冷たい風が頬を叩く。
北へ続く街道は、人の気配が途絶えた荒野を貫いている。
「北の拠点か」
俺は黒炎の霊刃の柄を撫でながら呟いた。
神威が静かに問いかける。
「ただの盗賊や闇市場の連中が相手ではなさそうだな」
「そうだな。写本を狙っているのは、もっと厄介な連中だろう」
北の拠点
闇市場の大男が吐き出したその言葉が、次の手がかりを示している。
だが、そこにはただならぬ気配が待っていることは、嫌でも分かっていた。
夜明け前に辿り着いたのは、北の山間にひっそりと佇む廃村だった。
木々に覆われ、朽ちた家屋が不気味に口を開けている。
「ここか?」
村全体が静まり返り、空気は重く淀んでいる。
神威が呟く。
「妙だな。人の気配がない。だが、この静けさは…」
「何かが潜んでいるな」
俺は足音を殺し、村の中心へと歩みを進めた。
かすかに漂う腐臭。
地面に点々と続く黒い染み。
「血痕…」
村の広場に出た瞬間、背筋を走る殺気が俺を射抜いた。
「待ち伏せ」
刹那、空気が揺れる。
屋根の上、影の中、四方から武装した連中が姿を現した。
「待ってたぜ、仮面」
不気味な笑みを浮かべている。
男は軽く手を挙げ、周囲の部下たちに合図を送る。
「写本を探しているんだろ?ここに来た時点でお前は終わりだ」
「お前がこの場所を仕切ってるのか?」
「まあな。俺たちは"あの方"のために動いているに過ぎんがな」
「あの方?」
男は答えず、手にした剣を抜き放った。
「殺せ!」
次の瞬間、全方位から襲いかかる剣戟と魔法。
だが、俺の体はすでに動いていた。
黒炎の霊刃が唸りを上げ、迫る刃を弾き飛ばす。
左の敵を蹴り上げ、後ろに回り込んだ影を切り伏せる。
「こいつ…!数で押し潰せ!」
新たな敵が前後左右から殺到する。
だが、俺の視界は研ぎ澄まされ、動きが遅れて見えるほどだ。
「雑魚に構っている暇はない」
俺は魔力を足に込め、一気に跳躍した。
屋根の上に着地し、敵の中心にいる指揮官を見据える。
「お前が一番面倒くさいんだろ?」
指揮官が顔を歪め、手を翳す。
直後、巨大な火球が俺を目がけて放たれた。
「甘い」
黒炎の霊刃に魔力を纏わせ、一刀両断。
火球は霧散し、指揮官の目に恐怖の色が浮かぶ。
「バカな!」
俺は瞬時に距離を詰め、胸元に刃を突きつける。
「写本はどこだ」
「言うわけが―」
刃先がわずかに食い込むと男は悲鳴を上げた。
「分かった屋敷の地下!殺さないで!!」
男を放り捨て、俺は村の奥にある古びた屋敷へと視線を向けた。
神威が静かに語りかける。
「写本が地下にあるが…罠の匂い」
「分かってる」
月明かりに照らされた屋敷は、不気味なほど静まり返っていた。
扉の向こうに何が待っているのか――それはまだ分からない。
「行くぞ」
黒炎の霊刃を握り、屋敷の扉を押し開ける。
闇が
俺を呑み込むように
深く静かに
広がっていた
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1460年
神威はまばゆい光の中にいた。
眼を開けると、そこは古都・京都であった。
彼の視界には木々が生い茂り、静かに流れる川の水面に、京の街並みが映るように広がっていた。
神威は肉体を持たない存在――意識体として、この地に現れ、宙に浮いていた。
彼は風に漂う霞のように存在しているだけで、誰の目にも映らない。
だが、ただの意識体であるにもかかわらず、彼の中には不思議なほどの理解が満ちていた。
自分は「亜神」としての位を与えられ、やがて神となる日を待ちながら、この世の行いを見守る存在であるという役割が、突然に明確に感じられたのだ。
街には活気が満ち、人々が忙しく行き交っている。
豪奢な衣装を身にまとった公家や、武装を身につけた武士たちが、混然と京の道を歩く姿があった。
木の香りが漂い、遠くからは祇園囃子の音が響く。
神威はその様子をただ眺め、風のように漂いながら、静かに彼らの行いを見守ることにした。
当時の京都は戦乱の時代に突入する直前で、平和と緊張が奇妙に同居していた。
神威は街を歩く人々の表情を観察しながら、人の心に渦巻く野心や、儚くも小さな幸せが織り成すこの時代の在り方を、じっと見つめていた。
町の片隅では商人が声を張り上げて品を売り、子供たちが無邪気に遊ぶ姿があり、寺社の境内には信仰にすがる者たちが祈りを捧げている。
だが、その平和の裏側には、忍び寄る戦乱の影があった。
神威の意識は、京の街全体に漂いながら、人々の不安や怒り、欲望に触れていた。
乱の予兆があちこちでささやかれる中で、武士たちは密かに力を蓄え、権力を巡る暗闘がひそやかに繰り広げられていた。
神威は、特に何も干渉せず、ただ静かに流れる時を見守った。
次第に季節は巡り、桜の花が咲き誇る春が訪れた。
桜の花びらが舞い散る中で、人々は春の訪れを喜び、宴が各地で催されている。
だが、その華やかさの裏には、次の季節を迎えるまでに人々が背負う苦しみと悲しみが重なっていた。
ある夜、神威は東山の上から、京の街を見下ろしていた。
灯籠の明かりがぽつぽつと灯り、闇夜の静寂に包まれた京の街を、月が優しく照らしていた。
神威はその夜空を見上げながら、自らの存在意義を考えた。
この世の争いや自然の移ろいを見届け、神となる日を待つ存在として、彼はただの観察者であるべきなのか、それともこの世の人々に寄り添うべきなのか。
その時、ふいに遠くから激しい叫び声と、金属がぶつかり合う音が響いてきた。
神威がその音に引き寄せられると、そこには小さな寺院の庭で戦う武士たちがいた。
敵対する二つの勢力がぶつかり合い、血が夜空に散っていた。
人々の心に巣食う憎しみと怒りが、こうして争いを生み、京の街に混沌をもたらしていることを、彼は実感せざるを得なかった。
「何と儚いものか…」
神威は心の中でつぶやきながら、その争いをただ見守った。
彼はまだ、行動する術を持たず、ただ意識体として彼らの行いを見つめる存在だった。
静かに漂う風のように
無言でその場を通り過ぎながら
この世の美しさと残酷さを
全て見届ける覚悟を
心に刻み込んだのだった