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血の盟約  作者: カワチ
3/5

二章

「櫂奈、大丈夫?」

 いつものようにボードゲーム部の部室で集まった大輝が、机に突っ伏す櫂奈を見て心配そうに尋ねる。

 自分に向けられた言葉だと気づいた櫂奈が、重い頭を持ち上げる。

「すまん。聞いてなかった」

「全然、大丈夫そうじゃないね」

 心配そうに見つめる大輝に、櫂奈は欠伸を返す。

 結局、朝帰りしたことがバレた櫂奈はかなり良牙に絞られた。それだけでなく、朝から体育があったので、眠気はピークに達している。

 昼食はまだ食べておらず、机にはビニール袋が置かれていた。

「なんで、そんなに眠そうなの?」

「遅くまで映画を観てたんだよ」

 本当のことを説明するわけにもいかないので、とりあえず誤魔化す。

「もうすぐテストだから、ほどほどにしないと」

「へいへい」

 適当に返事をした櫂奈が、再び机に突っ伏す。

 今日は朝から色々なことがあり、本当に疲れた。まさか、真祖とはいえ吸血鬼と協力することになるとは、考えたことすらなかった。しかも、お互いを信用するために、サクヤと血液を交換している。

 これで、本当に良かったのかと不安になる。

 サクヤが櫂奈に嘘をついている可能性も、まだ捨てられない。血の盟約も、櫂奈だけが命令に逆らえないようにされているかもしれない。

 考えれば考えるほど、サクヤへの疑念は晴れることはない。

 サクヤが敵がどうかは今夜に分かることだと思い直し、櫂奈が体を起こす。食欲はあまりないが、少しでも食べておかないと体力がもたない。

 頭を悩ましていた櫂奈の視界の端で、大輝がスマホをじっと見ていることに気づく。

「珍しいな。お前がスマホ見ながら食ってるなんて」

「あ、うん。ちょっとね」

 歯切れの悪い大輝に何かを感じ、櫂奈が尋ねる。

「言いたいことがあるなら、話せよ」

「でも、そんな大したことじゃないし」

「それなら尚更だ。心配で、飯も通らなくなるって」

 真剣な櫂奈の視線を受けて、大輝が諦めたように口を開く。

「実は、母さんにスマホを監視されてて」

「監視?」

「GPSが共有されるアプリを入れられてるんだ」

 二人しかいないはずの部室で、大輝が誰にも効かれたくないように囁く。

「じゃあ、お前がどこにいてもバレるってことか」

「うん。最近、また干渉してくるようになってきて、困ってるんだよね」

 苦笑いを浮かべる大輝に、申し訳なくなる。恐らく、翔太がいなくなったのが原因だ。

 今までは両親のプレッシャーから翔太が守ってくれていたのだろうが、今は誰も防いではくれない。だからこそ、大輝の家の事情を知る櫂奈は少しでも力になりたい。

「だったら、電源を消したらいいんじゃないのか」

「でも、友達からの連絡に気づけないから」

「それなら、アプリを消すとか?」

「そんなことしたら、多分僕のスマホは取り上げられるかな」

「……そうか」

 なんとかしてやりたいが電子機器にそこまで詳しくない櫂奈には、他の方法は思いつかない。

「ありがとう。少し話したからスッキリしたよ」

 そう言って微笑んでいるが、長年の付き合いの櫂奈には、無理していることが分かる。

 何もできない自分が情けなくなり、櫂奈は持っているパンを力一杯かじりついた。




 半月が浮かぶ夜空を眺めながら、櫂奈は人が行き交う駅前の噴水広場で立っていた。

 駅の入り口からはスーツ姿の人が多く、明日は土曜日だからか、近くのショッピングモールへと向かっている人もいる。

 本当ならショッピングモールで映画を観たいが、サクヤと共に吸血鬼を探すので、そういうわけにもいかない。

 スマホで時間を確認すると、待ち合わせの時間を既に十分以上も過ぎていた。本当にくるのか心配になる。

 連絡先を交換しておけばよかったと後悔するが、合流してからでもできると思い直す。

「ごめんね~。遅れちゃって」

 全く悪びれもない声に顔を上げると、サクヤがペロリと舌を出している。

 見た目は大人びている彼女の仕草が可愛く見えて、余計に腹が立つ。

「そんなので許さないからな。遅刻は遅刻だ」

「厳しいな。カイナは」

 不満げに頬を膨らませるサクヤを無視して、櫂奈は質問する。

「それで、どうやって吸血鬼を見つけるつもりだ?」

「愚問だね。私の嗅覚なら、確実に吸血鬼を見つけれるんだから」

 自信満々に胸を張るサクヤを見て、櫂奈はなるほどと感心する。 

 どのような方法か分からなかったが、吸血鬼は人間と仲間を見分けられるとは思っていた。さもなければ、間違えて襲う可能性もあるのだから。

 長年戦い続けた吸血鬼狩りですら、人間と吸血鬼を見分けるのは困難だが、真祖の身体能力の高さなら、嗅ぎ分けることができるのかもしれない。

「それじゃ、吸血鬼を探そっか」

「……おい、待て。どこに行くつもりだ」

「え、ショッピングモールだけど?」

 当然みたいな顔をして、サクヤが答える。

「お前、ショッピングモールで暴れるつもりか?」

「そんなわけないでしょ。大騒ぎになっちゃうし」

「だったら、何でショッピングモールなんだよ」

「私に考えがあるの。いいから来て」

 スキップでもしそうな勢いのサクヤに不信感を持ちつつ、櫂奈は渋々後をついていく。

 等間隔に置かれた街灯をたどるように、二人はショッピングモールへと向かう。

 入り口の自動ドアをくぐると、にぎやかな音と共に眩しいくらいの光が突き刺さり、思わず、目を細める。

 しばらくして目を開けた時には、サクヤの姿がなかった。周囲を見渡すが、あれほど目立つ長い銀髪が見当たらない。

「こっちだよ、こっち」

 聞こえた方へ向かうと、サクヤが店先に展示された服に釘付けになっていた。

「お前は子供か」

「失礼だな。私の方が年上だと思うよ」

 そう言いつつも、サクヤの興味は次々と移っていく。

 電気店の入り口に並べられた大型テレビを見ていたかと思えば、天井に届くような書店にいつの間にか入っている。僅かに目を離した隙に、今度はペットショップの犬を愛らしそうに眺めていた。

 後を追いかける櫂奈は、見失わないように必死にサクヤの姿を捉え続ける。

 不意に、サクヤがコーヒーショップの匂いにつられて立ち止まる。

「ねえ、ここに入ろうよ」

「悪いが、そんな時間はない」

「ケチ」

 好きなものを買ってもらえなかった子供のように、サクヤが肩を落として戻ってくる。

 これでは、ただ遊んでいるのと変わらない。

「本当に、吸血鬼を探してるんだよな?」

「半分はね」

「はあ⁉︎」

 楽しげにスキップをするサクヤに呆れて、櫂奈が踵を返す。

「帰る」

「ちょっと待ってよ。これには理由があって」

「だったら教えろ。さもないと、マジで帰るぞ」

「分かったから、もう少し歩こうよ」

 先に歩き始めたサクヤの隣に、櫂奈が渋々並ぶ。

「昨日、私はボロボロだったでしょ。あれはね、誘き出した吸血鬼と戦ったからなんだ」

「ということは、吸血鬼の血は奪えたのか?」

「無理だったからこそ、カイナに協力してもらうんだよ」

 それもそうかと、櫂奈は一人納得する。

「だから、今度はショッピングモールで動き回って誘き寄せて、カイナに捕まえてもらう作戦なの」

「吸血鬼に見つけてもらうまで、歩き続けるのか?」

「もちろん、当たり前でしょ」

 名案だと誇らしげなサクヤに、櫂奈は呆れて何も言えなかった。

 こんな回りくどい作戦で、本当に吸血鬼が寄ってくるのだろうか。それよりも、人気のない住宅街で歩き回っていた方が、すぐに見つかるような気がする。

 そう思いつつも、何か考えがあるのかもしれないと思い、櫂奈が尋ねる。

「吸血鬼に見つかった後は?」

「人気のない場所まで逃げて、襲ってもらう」

「そして、俺が返り討ちにするわけか」

「吸血鬼たちも、結川家と協力してるとは普通思わないでしょ」

 そんなに上手くいくかと思うが、今はこれ以上の案がないのも事実だ。

 吸血鬼狩りでは、吸血鬼と思しき人間を尾行して、吸血鬼だと判明してから複数で対処することが多い。

 サクヤと櫂奈の二人しかいない以上、仕方がないと思い直す。

 どこかに行こうとするサクヤを見失わないように、櫂奈は揺れる銀髪を追いかけた。




「……ねえ?」

「何だよ」

「もう飽きたんだけど」

「だったら、何か買えばいいだろ?」

「お金ないから、無理」

 フードコートでコーラを飲むサクヤが、机に頬杖をつく。さっきまでの楽しげな雰囲気は消え失せていた。

 たった一時間しか歩き回っていないが、特に買うものもないため、見ているだけでは飽きてしまうのは納得だ。

 すらっとした足をぶらぶらと意味なくさせるサクヤを横目に、櫂奈が密かに周囲を見る。

 銀髪の美女に視線が吸い寄せられるようで、チラチラと見る男たちは結構いる。だが、吸血鬼らしき怪しい人物の姿はない。今日は空振りだろう。

「すぐに見つかると思ってたのに」

「まさか、初日から上手くいくと思ってたのか?」

 素直に頷くサクヤに、櫂奈が呆れる。

 敵を誘き出すには根気強く続けるしかないのだが、サクヤは違ったらしい。初日から上手くいくのなら、吸血鬼狩りも被害者をもっと減らせるはずだ。

「ここって、よく来るの?」

 ストローでコーラを飲むサクヤが、興味なさげに尋ねる。

「最近、映画館が再開したから、よく行く」

 暇潰しのためだと分かっていたが、櫂奈はサクヤに付き合う。

「観たことないけど、面白いの?」

「面白いのもあれば、つまらないものもある。それでも最後まで見ると、少しだけ頑張れる気持ちになる」

 櫂奈が映画を見るようになったのは、翔太と大輝と一緒に映画館に行ったことがきっかけだと思う。

 内容はほとんど覚えていないが、最後は敵役を倒して可愛いヒロインと主人公が結ばれる、そんなありきたりな結末だったような気がする。

 それでも、映画を観終わった後、櫂奈の心は温かくなった。

 今まで吸血鬼を狩るために、何度も心を殺してきた。そうしないと、元人間を殺した罪悪感に押しつぶされるからだ。

 ほとんどの映画は、どんなにしんどい状況でも、最後にはハッピーエンドを迎える。観ている人たちからすれば当たり前かもしれないが、映画の中の人物だけは、必ず幸せな最後にたどりつくとは思っていない。

 それでも、少しでも良くしようと奮闘する。

 そういう映画を観て、櫂奈は心動かされるのだ。自分もそんな人間になりたいと。

「今日って、何か面白そうな映画とかあるの?」

「一応はあるが」

 櫂奈がスマホで上映時間を調べようとして、サクヤが急に立ち上がる。

 じっと見つけるサクヤの視線をたどると、眼鏡のサラリーマンの男がいた。仕事帰りに寄ったという雰囲気で、こちらが見ていることには気づかず、入口へと向かっている。

「多分、私を昨日襲ったやつ」

「本当か?」

「間違いない」

 吸血鬼を誘き出すはずが、偶然見つけてしまうとは。作戦とは違ったが、吸血鬼を逃すつもりはない。

「俺が後を追うから、その後ろをついて来い」

「なんで?」

「お前が目立つからだよ。それに、顔を覚えられてるかもしれないし」

「なるほど」

 サクヤと話している間に、男はショッピングモールを出る。これ以上離れるわけにもいかず、櫂奈が追いかける。

 ガラスから漏れ出る光を背に、男は車が行き交う横断歩道の前で止まる。その間に、櫂奈は一定の距離まで縮めて、足を止める。

 スマホをいじっているように見せかけながら、カメラ越しに男を観察する。

「ねえ、もうちょっと近づいてもいいんじゃない?」

「話しかけるな。後、もう少し離れろ」

 後ろにピッタリとくっつくサクヤを手で払う。ムッとした顔をするが、渋々ショッピングモールの入り口まで戻る。

 信号が青になり、男が進む。遅れて、櫂奈も歩き始めた。

 周囲の景色が流れていき、賑やかな駅前から少しずつ離れていく。次第に人の気配がなくなり、薄暗い道を黙々と歩いていく。

 家の方向とは真逆なので、あまりこの辺りは来たことがない、まるで、知らない土地に迷い込んだかのような錯覚に陥る。

 眼鏡の男は一度も後ろを振り返らないので、今どういう表情なのかが分からない。サクヤが後をついてきていることを願いながら、慎重に後をつける。

 しばらくして、男が不意に足を止める。いつの間にか、工場が密集する場所まで来ていた。

「僕に何か用ですか?」

 男が振り返ると、丁寧に櫂奈に尋ねる。どうやら、尾行に気づいていたようだ。

「白々しいな、吸血鬼」

「……何のことですか?」

 男はズレたメガネの位置を戻して、櫂奈を見る。一見、普通の人のように見えるが、油断はしない。

「後ろのやつに見覚えがあるだろ?」

「……後ろのやつ、とは?」

 男が怪訝そうな顔をするのを見て、櫂奈が振り返る。そこには、サクヤの姿はない。

 いつの間にか、はぐれてしまったらしい。

「あの、バカ!」

「よく分かりませんが、人違いのようで」

 用がないと悟った男が櫂奈の横を通り過ぎる。

 吸血鬼か分からないこの男を見逃していいのか迷っていると、櫂奈があることに気づく。

「おい、あんた。靴に何かついてるぞ?」

「今度は何ですか」

 うんざりしたような口調で振り返る男に、櫂奈が近づいて靴を指差す。

 二人の視線の先には、革靴についた赤黒い何か。

 目を凝らすと、それは乾燥したカサブタのように見えてーー。


「最悪ですね」


 冷たい殺意が込められた声に、櫂奈は一気に後退する。同時に、絆創膏を剥がして赤黒い籠手を両手に纏う。

 煩わしそうに眼鏡を外した男が、持っていたカバンに入れる。

「あなた、吸血鬼狩りですか? それにしては、他の人はいないようですが」

「さあね? もしかしたら仲間が潜んでいるかもよ」

「本当に潜んでいるのなら、もう出てきてもおかしくはないと思いますけどね」

 男がカバンを地面に投げ捨てて、袖を捲り上げる。

 周囲の空気が、じわりじわりと書き換えられる感覚。櫂奈の背中に冷や汗が流れる。

「なぜ僕の正体がバレたのかは気になりますが、あなたを殺してから考えます」

「そう簡単に、殺されるつもりはないけどな」

 櫂奈が瞬きをした直後、男の姿が目の前に現れる。勢い任せに腕を振い、櫂奈の籠手と衝突した。

 車にぶつかったような衝撃と共に、櫂奈の体が後ろに吹き飛ばされる。

 アスファルトを靴底で擦りながら、減速。なんとか着地した櫂奈に間髪入れず、吸血鬼が襲いかかる。

 絶え間ない吸血鬼の爪の嵐を防ぎながら、攻撃するタイミングが掴めない櫂奈が歯噛みする。

 良牙とは違い、櫂奈の血操術は「血液を硬化させる」もので、吸血鬼ですら傷一つつかないほどの硬さを誇る。そのため、基本的には籠手のように自分自身を守る使い方が多い。

 籠手を使って吸血鬼と戦うことはできるし、体を貫くことができないわけではない。だが、人間以上の身体能力を持つ吸血鬼に接近戦を挑むのはほとんど無謀で、櫂奈が吸血鬼狩りを外された理由の一つでもある。

 このままでは致命傷を与えられないと思ったのか、男が大きく腕を薙ぎ払う。

 一歩下がって回避すると、男の体に拳を叩き込む。折れ曲がった吸血鬼の体が、アスファルトを転がっていく。

 追撃することもできるが、これまでの吸血鬼との戦闘で、大したダメージにならないことは理解している。

 その証拠に、倒れていた吸血鬼はすぐに立ち上がった。

「案外、強いんですね」

 服の砂埃を払いながら、男が冷静に呟く。少しは焦ってくれた方が、櫂奈が付け込みやすいのだが、そうもいかないようだ。

 息の乱れもない男に気づかれないように、櫂奈は呼吸を整える。

 この間の吸血鬼とは違い、この男は吸血鬼狩りとの戦いに慣れている。誰もいない工場に誘い込んだのも、長期戦に持ち込むためだろう。

 できれば早く決着をつけたいが、櫂奈の血操術では難しい。

 どうすればいいのか考えながらも、男を視界に捉え続ける。

「カイナ、そいつを抑えて‼︎」

 男の背後のさらに遠く。長い銀髪を揺らして、サクヤが走ってくる。

 声の方に振り返った男は、一瞬、櫂奈への意識が途切れる。

 その隙を見逃さず、櫂奈が一気に距離を縮める。男が気づいたときには、既に懐へと入っていた。

 右手の籠手を自壊させると、男に血液を浴びせる。視界を奪われた男のスーツに、血液が染み込んだのを確認し、再び硬化させる。瞬く間に、男の動きを縛るように血の鎖が形成されていく。

 流石の男も冷静ではいられないようで、腕へと手を伸ばすが、先に櫂奈の血操術が完成した。

「こんなことをしたところで、僕は殺せないぞ」

「元々、殺すつもりはない」

 櫂奈の言葉の意味が分からず、身動きが取れない男が顔を顰める。その隙に、サクヤが男をアスファルトに倒して、馬乗りになる。

 下敷きになった男がサクヤを見上げて、驚きで固まる。

「お前、何で……」

「やっと、見つけたわよ」

 不敵な笑みを浮かべるサクヤが混乱する男に手を伸ばすと、体の中をすり抜ける。腕の先は存在しないかのようで、出血する様子もなく、痛みもないようだ。

 サクヤを振り落とそうと、男が激しく暴れ始める。

「何をする。離れろ、離れろぉぉぉぉ!」

「ちょっと、じっとしてって」

 サクヤが男の体の中を手探りで何かを探している。

「あ、見つけた」

 しばらくして、サクヤが手を引っこ抜く。握っていたのは、生き物のように脈を打つ血液の塊。

 それを片手で握り潰すと、血液が周囲に飛び散る。直後、男は叫びを上げて身をよじらせる。まるで、心臓を潰されたように。

 白い手から滴り落ちる血液が、アスファルトに広がっていく。

 しばらくして、男は気を失った。後に残されたのは、美しい顔を血で汚したサクヤのみ。

 サクヤが手を振るうと、再び血液が動き始める。それぞれが意志を持っているかのように空中に集まると、勢いよくサクヤの手に吸い込まれていく。

 全ての血液が飲み込まれて、辺りは静寂に包まれた。

「これでおしまい」

 ピースサインを作るサクヤに苛立ち、櫂奈は左手の赤黒い籠手でゲンコツを落とす。

「痛い。何するのよ!」

「ちゃんとついてこいよ。危うく、死ぬところだったんだぞ」

「だって、この辺りに詳しくないし」

 そうかもしれないが、櫂奈の後ろ姿を追っていれば見失うことはなかったはずだ。

 それ以外にも言いたいことは山ほどあったが、櫂奈は一旦抑え込む。

「こいつ、本当に死んでないよな?」

 立ち上がったサクヤに、櫂奈が尋ねる。

「大丈夫。人間に戻しただけだから」

「吸血鬼になった時の記憶は?」

「なくなるよ。全部血液と一緒に私が吸収したからね」

 記憶が消えたと聞き、櫂奈は安心する。

 元々どういう人間なのかは分からないが、人間を襲って血を吸っていた記憶があれば、普通なら耐えられない。

「それじゃあ、帰ろっか」

 男を置いて帰ろうとするサクヤを止めようとするが、櫂奈はすぐに思い直す。

 良牙に連絡すれば何か怪しまれるかもしれないし、吸血鬼狩りならすぐに見つけてくれるだろう。

 櫂奈は遠くなっていくサクヤの後を追う。

「ねえ、カイナの家で乾杯しようよ」

「アホか。良牙に見つかったら、確実に殺されるぞ」

「大丈夫だって。真祖の存在知らないんでしょ?」

 能天気に呟くサクヤに、櫂奈はこの先大丈夫だろうかと不安になった。


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