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血の盟約  作者: カワチ
2/5

一章

 昼休みを告げるチャイムが、頭上で鳴り響く。

 鬱陶しいほど騒がしくなる教室から出た櫂奈は、神代大輝と待ち合わせをしている教室へと向かう。手には、登校途中に買ったコンビニ袋を持っていた。

 友達と楽しそうに喋る同級生たちを横目に、スマホを見る。

 『友達に係の手伝いを頼まれたから、先に行っておいて』と大輝からメッセージが来ていた。

 大輝以外に友達はいない櫂奈にはあまり分からないが、友達同士の付き合いということなのだろう。

 昼食の時間を削ってまで手伝いをすることは疑問だが、とりあえず『了解』と返事を送る。

 黙々と歩いているうちに人の気配はなくなり、廊下はしんと静まり返っていた。

 この辺りは文化部の部室が多く、昼休みに使う熱心な生徒はいないので、人混みが苦手な櫂奈には絶好の場所だった。

 まだ四月半ばなのに夏を感じさせる日差しが、櫂奈の肌をジリジリと炙る。

 吸血鬼たちもこういう気持ちなのかと思いつつ『ボードゲーム部』と書かれた紙が貼られた教室にたどり着く。

 大輝から借りた合鍵を使って、教室に入る。

 殺風景な教室の中央には、ぽつんと長机と二つのパイプ椅子が置かれていた。

 壁際の棚にはオセロ盤や将棋盤などのボードゲームが積み上げられているが、乱雑な印象はない。パズルのように精密に組み立てられていて、たった一人しかいない部員の性格が滲み出ていた。

 長机にビニール袋を置くと、大輝の指示通りに窓を開ける。換気のためらしい。

 いつ来るか分からない大輝を待たずに、櫂奈はビニール袋からメロンパンを取り出す。透明な包装を破ってかじりつくと、パサパサとした感触とパンの甘みが口内に広がった。

 見た目ほど中身は詰まっておらず、少し物足りないが、値段は安かったからいいかと思い直す。

 メロンパンを食べながらスマホを触っていると、慌ただしい足音が聞こえてくる。

 勢いよく教室の扉が開かれ、立っていたのは、今にも折れそうなほど細長い体の少年。

 いつもの穏やかな表情は見る影もなく、苦悶の顔で息を切らしていた。急いで走ってきたのだろう、額には汗が滲んでいる。

「ごめん。待った⁉︎」

「いや、先に食べてた」

 櫂奈のそっけない返事を聞いて、大輝は困ったように眉を寄せる。

「まあ、そんな気はしてたけどね」

 ゆっくりと扉を閉めると、大輝は音を立てないようにパイプ椅子を引いて座る。持っていた黒の巾着袋から、大きな弁当箱を取り出した。

「毎回思うけど、よくこんなに作ってるよな」

 彩り豊かな弁当箱の中を見て、櫂奈は感心する。

「簡単なものしか作ってないけどね」

 箸先で器用に卵焼きをつかむと、大輝が口の中に放り込む。

「栄養面にも気をつけてるんだろ? 俺なら絶対無理だわ」

「みんなにも言われるよ。何回か作ってきてって」

「……嫌なのか?」

 わずかに大輝の表情が曇ったのに気づき、櫂奈が質問する。

「別に嫌じゃないよ、頼られるのは嬉しいから。ただ、いつでも作れるわけじゃないからさ」

「それなら、普通に断ればいいだろ?」

「そうなんだけど、相手が嫌な気持ちにならないかなと思って」

 苦笑いを浮かべる大輝は考えすぎだと思うが、櫂奈にもその気持ちは分かる。

 翔太が死んで以来、吸血鬼と戦うたびに残された家族がいるんじゃないかと考えてしまう時と、似ているような気がした。

 『お前らの方が兄弟だな』と言っていた翔太の言葉を思い出し、櫂奈が小さく笑う。

 友達のいない櫂奈が、大輝と友達として接しているのは、お互いに似ているところがあるからかもしれない。

 だから、放っておけなくて気にかけてしまうのだろう。本人には恥ずかしくて面と向かっては言えないが。

「あんまり無理するなよ」

「うん、ありがと」

 素直にお礼を言う大輝が子供のように見えて、微笑ましい気持ちになる。翔太も同じだったのかもしれない。

「そういえば、昨日観た『メガロドン』はちょっと怖かったね」

「そんなに怖かったか?」

「いやいや、あんなに血が噴き出てたじゃん」

 ミニトマトに伸びた箸がピタリと止まると、迷った末に大輝が小さなブロッコリーをつかむ。

「血ぐらい、普通の映画でもあるだろ」

 大きな体を縮こめる姿に呆れつつ、櫂奈が昨日の映画を思い出す。

 たしかにサメが人を襲うシーンはあったが、直接的に血が出ているシーンはなく、海の中に赤い液体が広がるシーンがあったくらいだ。

 それぐらいでは怖いとは思えないが、そもそも櫂奈が血を見慣れているのもあるかもしれない。

「じゃあ、今日はコメディものにするか?」

「……今日も観るの?」

 言葉に呆れたような雰囲気を感じて、櫂奈が首を傾げる。

「当たり前だろ。やっと駅前のショッピングモールの映画館が再開したんだからな」

 昨年の台風の影響で、半年以上も映画館は閉鎖されていた。そのため、映画を観るためには電車を通うしかなくなり、観れる本数が激減した櫂奈のストレスは溜まりまくっていたのだ。

 最近、やっと再開したので、櫂奈は毎日のように行くつもりだった。

「やめといた方がいいよ。最近、不審者が出たらしいし」

「不審者?」

 一瞬、吸血鬼のことかと思ったが、吸血鬼に関する事件は公にはならないはずなので、すぐに違うと思い直す。

「最近、出るんだって」

 誰もいないはずなのに、大輝は周囲を気にするように囁く。

「出る?」

「うん。その……長い白髪の女性が」

 勿体ぶった大輝の言葉を聞き流し、櫂奈はスティックパンの袋を開ける。

「それのどこが不審者なんだよ」

「実は、その女性に襲われた人もいるみたいで」

「襲われたって。殴られたとかか?」

「友達から聞いたんだけど、心臓を抜き取られるんだって」

「ふーん」

 バカバカしい噂話だと判断し、細長いパンを齧った櫂奈が頬杖をつく。

「まさか、変質者の女性が怖いから映画に行きたくないのか?」

「そういうわけじゃないけど、中間テストも近いから勉強しようと思ってて」

「両親に言われたのか?」

 心配になって尋ねる櫂奈に、大輝が慌てて首を振る。

「違う違う。まだ大学とかは決めてないけど、少しでも成績を上げれば指定校推薦も狙えるから」

 空になりつつある弁当箱を、大輝がじっと見つめる。

「あの世の兄さんに、心配かけたくないから」

「……翔太のためなんだな」

「それもあるけど、自分のためだよ」

 顔を上げた大輝の言葉には、いつもの弱々しさはなく、はっきりとした力強さがあった。

「大学と同時に一人暮らしするつもりなんだ。そうすれば、自分の力でも生きていけるし」

 翔太の死に囚われている自分とは対象的に、大輝は必死に前を向こうと頑張っていた。

 そんな大輝が眩しく見えて、櫂奈は目を細める。

「すごいな、お前は」

「そ、そんなことないよ。ほら、勉強ぐらいしかやれることないし」

 照れたようにはにかむ大輝が、慌てて付け加える。

「だから、また誘ってよ。その時はホラー以外で」

「ああ、そうするわ」

「そろそろ食べ終わらないと。昼休憩が終わっちゃうよ」

 急いで弁当箱の残りをかきこみ始めた大輝を見て、櫂奈も最後のパンの欠片を口の中に入れた。




 映画を見終えた余韻に浸りながら、櫂奈はショッピングモールから出る。既に空は暗くなっているが、まだ良牙に怒られるほどの時間帯ではない。

 今日観た『ブラッドボディーズ』は、久しぶりに面白いと感じた作品だった。

 最大限に映画を楽しむため、あらすじだけで選んだ櫂奈は、自分の直感を信じてよかったと確信する。

 『ブラッドボディーズ』は、敵対していた吸血鬼と人間が長年の争いを止めて友情を深める物語だ。割とよくある内容だと思っていたが、吸血鬼と人間の主人公たちに感情移入してしまい、予想以上に楽しめた。

 特に瀕死の吸血鬼に人間が血を差し出すシーンは、櫂奈の心に深く突き刺さった。フィクションだと分かっていても、お互いを助け合う姿に感動してしまった。

 現実では、吸血鬼はすぐに殺すので、お互いが分かりあうことは絶対ないだろう。そんな弱気な考えが頭をよぎり、櫂奈は振り払うように頭を振る。

 翔太を殺した時に決めたはずだ。今度こそ、吸血鬼を助けれる方法を見つけてみせると。

 情けない自分を置き去りにしたくて、足早に歩く。

 大輝と映画の感想を語り合うせいでいつもは帰りが遅いが、いつの間にか家の近所まで来ていたことに気づく。

 街灯の灯りに照らされた小さな公園を通り過ぎ、見慣れた一軒家が視界に入ってきてーー櫂奈は勢いよく振り返る。

 公園には滑り台しか遊具はなく、段差にもたれかかるように一人の女性がぐったりしていた。スポットライトのように降り注ぐ街灯の光を反射して、長い銀髪が地面に垂れ下がっている。

 急いで女性のもとに駆け寄ると、櫂奈は思わず足を止めそうになった。

 人形のように作り込まれた顔には、熊にでも襲われたような爪痕が残されていた。出血もひどく、青ざめている。目蓋は閉じていて、死んでいるのかと思ったが、僅かに開いた口から呼吸音が聞こえる。

 白いTシャツとデニムのズボンにも血が飛び散っていて、凄惨な姿をしていた。

「あんた、大丈夫か⁉︎」

 この状態では動かせず、意識を確認するために声をかける。

 女性が眠たげに目蓋を開ける。赤い瞳が、虚ろげに櫂奈を捉える。

「……誰?」

「意識はあるな。ちょっと待ってろ、すぐに救急車を呼ぶから」

 正直、これだけひどい傷だと助かるとは思えないが、見捨てることはできない。

 櫂奈がスマホを取り出そうとすると、女性が力なく首を振る。

「そんなものじゃ、私は助からないよ」

「何言ってんだ、諦めるな!」

 女性が弱気になっていると思い、櫂奈が鼓舞するために力強い声をかける。

「私は別に諦めてるわけじゃないの。ただ、違うことを頼みたくて」

「違うことって、何をしたらいいんだ?」

 こんな状況でも落ち着いている女性に違和感を持ちながらも、櫂奈は尋ねる。

「あまり声が出ないから、もう少し近くに来て」

 女性の言う通りに、櫂奈が近づく。片手ではスマホで救急車の番号を打っている。

 何かを言おうとする女性の口元に耳を近づけようとして、

「ごめんね」

 言葉と同時に、櫂奈の視界から女性が消える。

 針を刺されたような痛みと共に全身の力が抜けていく。女性に噛まれたと気づき、体を突き飛ばした。

 櫂奈が指の絆創膏を剥がそうとするが、急速な眠気に襲われて、立っていられずに片膝をつく。助けたことを後悔するが、すでに遅かった。

 滑り台の階段に叩きつけられた女性は、口元の血を手で拭う。顔の傷がみるみるうちに塞がっていく。まるで、時間が巻き戻っているかのように。

「ちょっとひどくない? 女の子に乱暴するなんて」

「人間を騙して、血を吸う奴には、言われたくない」

 強がって言い返すも、櫂奈の視界が徐々に暗くなっていく。

 目蓋を閉じる直前に見たものは、輝くような赤い宝石の瞳だった。




 急な眩しさを感じて目を覚ますと、そこは先ほどの小さな公園だった。

 地面に手をついて、櫂奈は鈍い体を起こす。

 遠くから昇る太陽の暖かさを浴びながら、逆方向を見る。青と紫が入り混じった幻想的な空が、寝起きの櫂奈を見下ろしていた。

「やっと起きた。お寝坊さん」

 聞く者を魅了するような甘い声に、櫂奈は瞬時に立ち上がる。

 滑り台の一番上の段差に、銀髪の女性が腰を下ろしていた。知り合いに挨拶するように、軽く手を上げている。

 何事もなかったかのような態度に腹が立つが、それよりも異変があることに気づく。

「お前、吸血鬼じゃないのか?」

「まあ、一応はそうなるかな」

「だったら、何で普通に太陽の光に当たってるんだ?」

 目の前の光景が信じられず、櫂奈は混乱していた。

 吸血鬼は太陽の光を浴びると、灰になって消えてしまう。だからこそ、彼らは夜に活動するのだ。

 櫂奈の問いには答えないまま、銀髪の女性がイタズラが成功したような笑みを浮かべる。

「私はただの吸血鬼じゃない。真祖の娘なんだよね」

「……真祖?」

「あれ、聞いたことない?」

 馴れ馴れしく話しかける女性に驚きつつ、櫂奈がゆっくりと頷く。

「え〜そうなの。せっかく、驚かそうと思ったのに」

 女性が露骨に肩を落とす。だが、すぐに何かを思い出したように顔を上げる。

「でも、大昔の話だから、仕方ないよね。うんうん」

 一人で勝手に納得する女性に、櫂奈は混乱していた。一体、何が起こっているのだろうか。

「真祖っていうのはね、吸血鬼を生み出してる本物の不死の存在のことなんだよね」

「……」

「分かりづらいかな? なんていうか、吸血鬼の生みの親って感じ」

「お前も、同じ吸血鬼じゃないのか?」

「違う違う。全然違うよ」

 首を振って否定する女性の動きに合わせて、長い銀髪が揺れていた。

「お母さんの血を人間に与えると吸血鬼になるんだけど、私はお母さん自身から生み出されたの。だから、お母さんと同じ真祖ってわけ」

「つまり、お前の母親が吸血鬼を増やしてるのか」

「そんな怖い目で見ないでよ。お母さんもこんなに増えるとは思わなかったらしいし」

 殺意がこもった櫂奈の視線を、女性は涼しい顔で受け止める。

「今すぐ連れて来い。その真祖ってやつを」

「落ち着いてって。短気だと女の子に嫌われるよ」

 おどけた調子で言う女性を無視して段差を登ると、櫂奈は胸ぐらを掴む。

「先に、お前を殺してもいいんだぞ?」

「じょ、冗談だって。気に障ったのなら謝るから」

「いいから、答えろ。何が目的で俺を生かした?」

 吸血するだけが目的なら、櫂奈を生かす理由もない。そのうえ、起きるまで公園で待っていたことから、目的があることは明確だった。

「今から話すから、その手を離してよ。ね?」

 癪に障る口調に腹が立つが、櫂奈は渋々手を離す。

 絆創膏を剥がすと、赤黒い籠手を両手に纏う。

「もし何か変なことをしたら、殺すからな」

「分かりました。本当に乱暴なんだから」

 ブツブツと文句を言いながら、女性が咳払いをして再び話し始める。

「不死の存在とは言ったけど、真祖だって怪我をしないわけじゃない。刃物を刺されば痛いし、血も流れる」

 昨日の夜、銀髪の女性が公園で血を流していたことを思い出す。

「吸血鬼も同じだけど、彼らは不死ではなく、太陽の光が弱点なの」

「太陽に光を浴びれば、灰になるんだろ」

「正解。でも、もう一つ弱点がある。それがーー」

「血操術だろ」

 遮った櫂奈の言葉に、女性が頷く。

「君たち『結川家』の血は吸血鬼に対しては猛毒で、だからこそ恐れているの」

 結川家は元々は陰陽師だったらしく、吸血鬼が病だと考えられた時代から、祓うことを役目として与えられていた。

 だからこそ、吸血鬼にならないように自分たちの血液に度重なる呪術を施した結果、吸血鬼に対して猛毒の血液を操る『血操術』が生まれたと、良牙から聞かされていた。

「なんで、お前がそんなことまで知ってる?」

「全部、お母さんの受け売り」

 ここからが本題だと言いたげに、女性が櫂奈を指差す。

「そんな血操術だけど、実は私たち真祖には効かないんだよね」

 思わず、自分の首元を触る。たしかに、彼女は櫂奈の血を吸っても特に苦しんだ様子はなかった。それどころか、顔の傷が完全に治ったほどだ。

「それに気づいた吸血鬼たちが、お母さんの血を奪おうとしたの」

 今まで明るく振る舞っていた銀髪の女性が、初めて悲しげに俯く。

「お母さんは抵抗したけど、ほとんどの血が奪われてしまったの」

「じゃあ、死んだのか?」

「ううん。お母さんは長い眠りについている。起こすためには、奴らから血を取り返すしかない」

「そのために、俺たちの力を借りたいってことか」

 素直に頷く女性に、櫂奈は怪訝な顔をする。

「そもそも、俺たちが吸血鬼に協力するわけないだろ? しかも、その親玉を復活させるために」

 真祖に血操術が通じないと分かった以上、復活させようとする彼女に協力することはできない。

「それは大丈夫。元々、母さんは人間を殺すつもりはないから」

「信じられる根拠がない。お前が言っていることも、全てが本当とは限らないしな」

「……疑り深い人だね」

 女性が呆れたようにため息をつく。

「分かった。私が裏切らないような根拠があればいいんだね」

 女性が自分の細長い指に噛み付き、血の玉がぷっくりと浮かび上がる。

 滑り台の段差から降りると、櫂奈に血が出た指を差し出す。

「これを舐めて」

「何言ってんだよ⁉︎ 俺を吸血鬼にするつもりか?」

「その程度の血じゃ、吸血鬼にならないって。今から血の盟約をするの」

 疑問符を浮かべる櫂奈に、女性が説明する。

「お互いの血を交換することで、相手に一つだけ命令を従わせることができるの。本来は吸血鬼が裏切らないようにする契約なんだけど」

「人間の俺にも可能なのか」

「うん。この命令は絶対だから、お互いは逆らうことはできないんだ」

 重要なことをサラッと言う女性に、櫂奈が疑いの視線を送る。

「だが、お前が俺に今すぐ死ねって命令する可能性もあるだろ」

「大丈夫だって。そんなに心配なら、私の命令を聞いてから、決めて。何も言わなければ血の盟約は成立しないから」

「まあ、それならいいが」

 女性の指に浮かんだ血を、櫂奈が指ですくいとる。

「え、直接舐めないの?」

「そんなことできるわけないだろ」

 真祖とはいえ、女性の指を口の中に入れることなどできない。男子高校生にはハードルが高すぎる。

 恐る恐る指に付着した血を舐めると、女性が目を瞑る。

「それじゃ盟約を始めるよ」

 女性の小さな口から、歌声のようなものが聞こえてくる。

 櫂奈の耳には言葉として認識できないが、何か呪文のように思えた。

 突然、女性が目蓋を開ける。

「私は命じる。少年が私と共に真祖の血を集めることを」

 彼女の目配せを合図に、櫂奈が口を開く。

「俺は、お前が他の人間を襲わないことを約束してくれれば、それでいい」

 そう告げると、女性が柏手を打つ。

 周囲の空気が清められたような感覚。朝日が降り注ぐ小さな公園が、神聖な儀式場へと変わったような気がした。

「はい。これで終わり」

「本当に、これでいいのか?」

 にわかには信じ難い櫂奈に、女性がニヤリと笑みを浮かべる。

「じゃあ、私に攻撃してみて」

「は?」

「いいから、やってみて。絶対に無理だから」

 流石に本気ではできないので、赤黒い籠手を纏った右手で軽く殴ろうとする。だが、彼女へと拳が届く寸前、空気の壁に阻まれたかのように、動かなくなる。

「私と共に真祖の血を集めるって命令したから、私を殺そ雨とすることはできないってこと」

「血の盟約と言っていたが、一生解けないのか?」

「私が死んだら、解除されると思うよ」

 不死の存在を殺すなど、ほぼ不可能だと思うが。

「お前も、他の人間を襲えないんだな」

「そうだよ。これで信用してくれるよね?」

「とりあえずは、な」

「本当、疑り深いんだから」

 そう言うと、銀髪の女性がクスリと小さく笑う。

「それにしても、君って意外と優しいんだね」

「は?」

「だって、自分のことより他人のことを殺さないようにするんだもん」

 櫂奈にとっては当たり前のことなのだが、何を言ってもからかわれるような気がして、口を閉じる。

「これから、どうするつもりだ?」

「そうだね。夜まで吸血鬼は動かないから、今日の夜にどこかで集まろうよ」

「駅前はどうだ? 人も多いから吸血鬼が紛れてるかもしれないし」

「分かった。じゃあ、七時くらいで」

 そのまま立ち去ろうとした女性が、何かを思い出したかのように振り返る。

「名前言うのを忘れてた。私はサクヤ」

「……結川櫂奈」

「じゃあ、カイナだね。よろしく」

 太陽を背にしたサクヤが、満面の笑みを浮かべて、去っていった。

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