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血の盟約  作者: カワチ
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序章

「絶対、怒ってるよな」

 兄からのメッセージを見た結川櫂奈は、足早に路地裏へと入っていく。駅前のきらびやかな光が遠ざかり、薄暗い闇を突き進む。

 アスファルトの壁に挟まれた道を歩く間にも、メッセージの通知音は鳴り止まない。

 兄の良牙には大輝と映画に行くと伝えているが、ここまで遅くなるとは思っていなかったのだろう。映画を観終えてスマホを確認すると、数十件以上のメッセージが来ていた。

 良牙は既に外出しているので何時に帰ってもいいのだが、わざわざ怒られる原因を増やす必要はない。

 もうすぐ家の付近に出るところで『男』がうずくまっていることに気づく。

 くぐもった声を漏らす男が心配で近づくと、金臭い匂いが漂う。慣れているからすぐに分かる、血の匂いだ。

 櫂奈に気づいた男は殺意がこもった目で睨みつける。大きく開いた口には、鋭い八重歯が覗いていた。

 暗かったので分からなかったが、男の背後には青白い顔の少年が倒れている。首元には二つの穴が開いていて、汚れたアスファルトに血が流れていく。

「……吸血鬼だな」

「キシャアアアア!」

 櫂奈の言葉には返答せず、吸血鬼が襲いかかる。

 目にも留まらぬ速さで櫂奈の腕に牙を突き立てようとして、

「うるさい」

 絆創膏を剥がした右腕を振るうと、吸血鬼は勢いよく壁に叩きつけられる。

 痛みに悶える吸血鬼の視線の先には、血液で作られた赤黒い籠手。

 見る者に威圧を与える凶々しい右腕を確かめるように、櫂奈が何度も掌を開く。

 久しぶりで不安だったが、幼い頃から叩き込まれた『血操術』は忘れていないようで、複雑な気持ちになる。

「お、お前、仲間か?」

 赤黒い籠手を凝視したまま、吸血鬼が呆然と呟く。

 血操術を知らないので、吸血鬼になってからそんなに日は経っていないのだろうと予想する。

 今は驚いて動きが止まっているが、本気で逃げられれば追いつけない。そうなる前に、櫂奈は吸血鬼の懐に素早く入ると、襟を掴む。

 反射的に逃れようと暴れる吸血鬼を押さえたまま、チラリと少年を見る。

 意識はないようだが、胸が上下しているので生きているのは間違いない。だが、出血が多く、襲われてからどれほど時間が経っているのかは分からないので、あまり長くは放置できない。

 急いでスマホを取り出し、良牙に電話をかける。

「何時だと思ってるんだ! 今すぐ家に帰ってこい!」

 鼓膜を破壊しようとする怒鳴り声が、路地裏に響き渡る。

 怒られるだろうと予想してスマホを耳から離していたが、それでも聞こえるほどの声量だ。未だに耳の中を金属音がこだましている。

「吸血鬼に襲われた人がいるから、急いで来てほしいんだけど」

「……今どこにいる?」

「スマホで位置情報送るから、そこに来て」

「分かった」

 電話を切ると、すぐに位置情報をメッセージで送る。とりあえず、倒れている少年は助かるだろう。

「離しやがれ、このクソガキ! ぶち殺してやる‼︎」

 掴んでいる櫂奈の腕に吸血鬼が噛み付くが、赤黒い籠手を貫くことができず、叫ぶことしかできない。

「お前は、人を殺したことがあるか?」

 なぜそんなことを聞くのかと言いたげに、吸血鬼は怪訝な表情をする。

 こんな事を聞いたところで意味がないと分かっていても、櫂奈は再び尋ねる。

「吸血鬼になってから、人を殺したことはあるか?」

「てめえには関係ねえだろうが!」

 赤黒い籠手に何度も牙を立てる吸血鬼に、櫂奈はため息をつく。

 吸血鬼になったばかりの時は。人の血を吸うことを嫌悪するが、衝動に抗えずに何度も吸血することで、次第に人を襲う事が当然になる。

 この男も、目撃した櫂奈にすぐに襲いかかったので、今まで何人もの人間を殺してきたのだろう。

 以前の櫂奈なら確実に殺しているが、今は殺す気にはなれない。

 自分の手を汚したくないからではなく、この男にも家族や恋人がいたのかもしれないと考えてしまうからだ。

 櫂奈が殺した、翔太のように。

「……!」

 わずかに意識が逸れた隙をつかれて、吸血鬼が力任せに蹴る。

 間一髪、櫂奈が後ろに跳んで回避する。

「ぐちゃぐちゃにして、喰い殺してやる!」

 獣のように姿勢を低くし、鼻息を荒くする吸血鬼。

 突き刺すような殺意を全身に受け、櫂奈が拳を構える。二人の視線が交錯し、吸血鬼が一直線に突進する。

 待ち構えた櫂奈と交差する瞬間、吸血鬼の体を複数の赤黒い刃が貫く。掠れた悲鳴を上げた吸血鬼が、徐々に灰となって崩れる。

「油断するなって言ってるだろうが」

 夜空に溶けていく灰を見送った後、櫂奈が振り返る。

 サングラスをかけた金髪の青年ーー結川良牙が、苛立たしげに櫂奈を睨んでいた。黒い袖をまくった右腕 から赤黒い刃が伸びていて、生き物のように蠢いている。

「それぐらい分かってる」

「だったら、殺すのを躊躇するな」

 吸血鬼に逃げられたところを見られたと悟り、櫂奈は密かに舌打ちをする。

 緑のフライトジャケットを翻して、良牙が押しのけるように前を通り過ぎる。右腕には何事もなかったかのように、傷一つない肌が露わになっていた。

「ともかく帰れ。説教は後だ」

「……分かった」

 言いたいことは色々あるが、倒れた少年の脈を確かめる良牙を見て、渋々路地裏を出ようとする。

 この場に残っていても、櫂奈には何一つできることはない。

 悔しさに歯噛みしながらも、櫂奈は再び家へと歩き出した。

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