第3話ジョン・レノンの第二の音楽アカウント
ジョン・レノンが生きているという事実は、かつてのバンド仲間、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターも共有していた。それぞれの思いは複雑だっただろう。
特にポール・マッカートニーとの間には、ビートルズ時代から音楽性の違いや主導権争いといった、拭い去れない確執があった。ジョンは、音楽の世界においても、ポールとは別の「アカウント」を作り、静かに競い合っていたのだ。
そのジョン・レノンのセカンドアカウントは、90年代以降の世界の音楽シーンに、計り知れないほどの衝撃と影響を与えた。日本では、ビートルズ時代からの根強い人気を持つポール・マッカートニーの支持が厚かったが、世界の多くの国々では、ジョンの別名義のアーティストが、CDセールスにおいて圧倒的な記録を打ち立てていた。
その影響は、海を越えて日本にも及び、90年代以降のJ-POPブームの潮流にも、深く関わっていたという見方もある。ジョンは、このセカンドアカウントを通じて、長年の懸案であった「どちらが優れたミュージシャンか」という論争に、明確な終止符を打ったと言えるだろう。
ちなみに、ジョン・レノンの音楽におけるセカンドアカウントとは──グランジロックのカリスマ、「カート・コバーン」その人であった。