第94話『対価』
「……俺、病み上がりなんだけど」
しばしの静寂が部屋の中を支配した後、腕組みをしていた『狐』から、そんなくぐもった声が聞こえた。
「……そうでしょうね。
あれほどの、陰陽術。
代償が無いこと自体、不自然です」
「……大体、俺は今日、そんな話をしにきたわけじゃない」
そう言いながら、『狐』はゆっくりとこちらを指さす―――――。
「用があるのは、そこのクソメガネだ」
指を指された張本人。
支倉秋人は不敵な笑みを口に携えたまま、真っ直ぐに『狐』を向かい合っていた。
「……あの時の「約束」、忘れていないよな?」
佐伯支部長は、訝しげな瞳を秋人へと向ける。
「……秋人、どういうことです?」
「……やっぱり、覚えていたんだね……。
霊災のゴタゴタで有耶無耶にできるかと思ったんだけど」
イタズラが見つかった少年のような、バツの悪い表情。
膝を軽くと叩き、秋人は同じく卓を囲む重役、そして佐伯支部長に向けて。
かつて自身が『狐』と交わした約束を語り始めた。
***
「清桜会として、『狐』に全面協力する……!?」
「『狐』の願いを一つ……!?」
「いや~、そうなんですよね……」
タハハ、と情けない笑みを浮かべている秋人。
秋人の口からは、三ヶ月前の霊災の調査に『狐』を秘密裏に参加させていたこと。
その対価として『狐』に全面協力をすることを、当時の支部長支倉秋人が約束していたことが語られた。
「職権乱用もいいところだ!
大体、当のお前は既に支部長職を退いているではないか!!」
「いやはや……、宗一郎さんにご相談も無く、勝手に決めてしまって、申し訳ない」
コイツは本当に、昔からヘラヘラ何を考えているか……!!
にわかに騒がしくなる支部長室内。
それもそのはず。
秋人が結んだ約束は、責任感の欠片もない!
せめて重役を招集し、決議を採ってからとかできなかったのか!
「いやいや、本当にできることなら、『狐』君の望みをきいてあげたかったんですけどねぇ。
霊災の時も、新太と二人で、楓を止めてくれたし……」
「……!」
誰も、何も言わない。
いや、言えない。
あの未曽有の大災害を、この場にいる誰しもが鎮圧することが不可能だったからだ。
清桜会の息のかかった新太はともかく、『狐』はそもそも我々に関わる必要もない中、楓を止めてくれた――――――。
秋人。
霊災のことを話題に出されれば、誰も何も言えないことを知っていて……。
「……『狐』には、来栖まゆりの一件でも借りがあります」
すると。
一連の流れをずっと聞いていた、佐伯支部長が静かに口を開いた。
「……分かりました。
私の名において、貴方の望みを聞きましょう。
……力になれるかどうかは、また別の話ですが」
「……」
腕組みを解き、真っすぐに支部長に向き直る『狐』。
「……『暁月』と敵対する意思があるのは、俺も同じ。
お前らと同じタイミングで戦闘になるときもあるだろう。
その時に―――――お前ら、清桜会の指揮権をよこせ」
「「「……!!」」」
現場の陰陽師を指揮する権利。
それは、支部長や「至聖」並みの権限――――――。
多くの命を預かる責任のあるものにのみ許され、託されるもの。
「……その条件を呑めば、お前は清桜会に……?」
「……?
入るわけないだろ」
「……ふざけっ……!!」
コイツは、一体何を言ってるんだ……!?
そんな横暴、あっていいはずがない……!
自分は清桜会にその身を置かないのに、現場の人間を動かすと言うのか!!?
「……いいでしょう」
「なっ……!!」
しかし。
たった一人。
たった一人だけが。
――――――『狐』の提案に、肯定した。
「支部長……!!」
周りを見ると、他の重役たちも目を見開き『狐』と支部長に目線を向けている。
「……貴方達が、何を言いたいのかは分かります。
しかし、手段を選んでいる暇はない。
―――――これで、勝率が一%でも上がるのであれば、私は彼の提案に乗ります」
「正気とは、思えませんな……!」
「なんとでも。
綺麗ごとだけでは、人がいたずらに死ぬだけです」
「……決まりだな」
『狐』は颯爽と踵を返し、外へと出ていく――――――。
俺らはただそれを見つめることしか、できない。
結局『狐』が、最後まで面を取ることはなかった。
つまりは奴にとって俺らはその程度の相手ということに他ならない。
そんな油断のならない相手の指揮権を得る……。
――――――お前は一体、何を考えているんだ?
俺が問いをもったところで、眼前のドアはただ、無慈悲に閉まるだけだった。




