第86話『羅雪』
《……!》
大嶽丸は、困惑していた。
突如、舞い散る雪が閃光を放った―――――。
思考よりも先に体が動いた。
咄嗟にとった回避行動だが、結局閃光に巻き込まれたのだろう。
視界が基に戻った際、左腕が消えていた。
肩から指先まで、まるで刀で切り落としたように綺麗に。
しかし。
大嶽丸が真に困惑しているのは、左腕の消失などではなかった。
―――――なぜ、再生しない?
体の欠損など、妖は無傷と等しい。
数秒さえあれば、元の状態に戻すことなど容易。
しかし。
《ぐう……!》
消失した左腕の感覚が無い。
不可思議なことだが、痛みも皆無。
一体、どんな術を……。
状況を確かめるべく、大嶽丸が周囲に目線を送ると。
《……!》
壁の壁面や、歪んだ固い地面。
雪が舞い散っていた箇所が。
いくつも球状に抉れている。
目の前の状況に困惑していたのは、大嶽丸だけではなかった。
術を発動させた『狐』こと、黛仁も歯を強く食いしばっていた。
―――――……何で今のが、避けれるんだよ。
術発動までのラグは限りなく無に等しい。
光と、何ら遜色ない速度。
発動のタイミングも、完全に見切ることは不可能だったはず。
完全に甲冑の全身を射程に入れていた。
それなのに。
体の反射速度だけで……!
黛仁の、成神《・》最終奥義。
『羅雪』
雪に似せた霊力を広範囲に拡散し、術を発動。
半径1メートルの範囲、球状に抉るように閃光が放たれる。
閃光の内部で行われていること、それはすなわち―――――『分解』。
閃光内に存在する物質の結合を、分子レベルで破壊する。
それは生体光子も例外ではない。
原子、光子、物質のなせる最小単位を更に超越するほど―――――細かい乖離。
『有』を『無』へ。
不死性を持つ『妖』は、自身を生体光子で形成している。
故に。
身体の欠損が生じても、再度大気中に霧散した自身の生体光子を集め、形作ることでその不死性を保っていた。
しかし。
生体光子ごと破壊することは、再生するという手段そのものを破壊することと同義。
大嶽丸の存在した千二百年前には、存在しないであろう術。
警戒しているわけがなかった。
それなのに……!
《予想を遙かに超える強者。……名を覚えた》
羅雪による破壊の跡を、悠然と佇んでいる甲冑。
既にそこには無いはずの左腕を庇うように右腕で押さえながら、甲冑を翻した。
霊力が徐々に霧散し、やがて甲冑の輪郭がぼやける。
《おい……、逃げんのかよ……!!》
コイツを、野放しにしてはダメだ。
ここで仕留めきらなければ。
後にどのような災厄をもたらすか―――――。
《此度の目的は、征伐に非ず。
また手合わせ願う》
《―――――!!!》
逃がすか……!
満身創痍の最中、ありったけの霊力を込め、制御を試みる。
が、しかし。
《……!》
いともたやすく。
握られた手を振りほどくかのように、簡単に。
制御を外された。
《さらば、黛仁》
その一言だけを残し。
大嶽丸は姿を大気中へと消した。
大嶽丸の霊力の消失を確認した後―――――。
仁は力なくその場に倒れ込んだ。
これ程長時間『成神』を維持したことは無い。
そして、解放率も現状の限界値まで上げた。
解放率が少しずつ低下するのと引き替えに、忘れていた全身の痛みが戻ってくる。
「ぐ……、がはっ……」
口内から溢れる血の塊。
失血により全身が酷く、寒い。
《……仁!
おい、聞いているのか、仁!!》
遙か彼方で聞こえる天の声。
分かってる。
聞こえてる。
……ただ、応えられないだけだ。
薄れゆく意識を必死につなぎ止める最中、心中をかすめた懸念。
―――――アイツらは無事、だろうか。
それを確かめる術が、今の俺にあるはずもない。
途絶える
落ちる。
暗闇へ―――――。




