第38話『―――月白に舞う』
十二天将『天空』。
芦屋の血を受け継ぎし術者。
そして、仁の発動した―――――『成神』。
驚こうと思えば、いくらでも驚くことが可能だった。
しかし。
驚愕よりも先に、―――――俺は、ただ見とれていた。
目の前で展開されている光景に、言葉を失う。
『天』がその姿を消したのと、仁の姿が白く染まってゆくのは、ほぼ同時だった。
額の狐の面を中心にして、髪も、その漆黒の服も、瞳の色ですらその色を変えてゆく―――――。
それはまるで、仁が従える式神『天』の毛並みのようで。
―――――成神。
それは、神との同化を促す術式。
蘆屋道満の提唱せし外法、と俺は先生からそう聞いた。
しかし。
眼前で輝く霊力を放出する仁は、邪悪なものなんて微塵も感じない。
いや、感じさせない神性を放っていた。
あんな醜い姿じゃなく、これが本当の……。
「じ……ん?」
「っ、京香……!」
蚊の泣くような微かな声。
声の方向を見ると、京香が唇を震わせながら言葉を紡いでいた。
「き……れい……」
意識はまだ朦朧としているのか、その瞳は虚ろなまま。
しかし、その視線の先に仁が居ることは言うまでもないだろう。
『成神ダと!? 馬鹿ナ!!
ナゼ……、なゼお前がぁァァアァぁぁぁ!!!!!』
転瞬。
仁は、先生の眼前に肉迫していた。
《成神は式神との同化。
故に式神の発揮しうる発現事象を、ほぼ限界まで再現することが可能》
《こんな風にね》と、仁は静かに嗤った。
「……!」
その光景に、俺は思わず息を呑んだ。
なぜならば。
仁を含めた、俺の視界に写る範囲全てのモノが宙へ浮かび上がり、そして。
―――――舞い始めた。
倒壊したビルの瓦礫。
未だ燃焼を続ける炎。
地面の焦げた土埃。
破裂した水道管から溢れる水の一滴一滴でさえ水玉となり、新都の空へゆっくりと吸い込まれていく。
それは肉塊と化した先生の巨体も、例外ではない。
《何だ……、何なんだコレハ!!》
その鈍重な体は既に制御を失い、中空で声を発することしかできない肉塊。
―――――「斥力」なんかじゃない。
あの夜仁から聞いた、『天』という式神の発現事象。
そんな簡単に説明がつくものじゃなかった。
法則を完全に無視した広大な範囲での力場の形成。
中空に浮かんだ物体は等しく体の制御を失う。
つまりは、その抵抗することすら叶わない。
これは恐らく―――――『重力制御』。
《……重力制御、じゃないぞ》
「……!!」
口の端を軽く上げ、仁はこちらを見ている。
そして、改めて向き合うは―――――肉塊。
『何だ、何なんだ、これは……!!』
《黄泉の手向けに、教えてやるよ》
―――――仁の発光した健脚が、宙を薙いだ。
それは真っ直ぐに先生を捉え、衝撃波を伴うほどのインパクト。
『アガアっ!!!』
「……!?」
生まれる違和感。
仁の一撃を受けた肉塊は、背後に吹き飛ばされることなく空中に浮かんだまま。
つまりは、その場に留まり続けている。
《まだまだぁっ!!!》
肉塊を、閃光を伴う連撃が襲った。
一発一発が致命傷となりうる重撃。
拳を振るうごとに、その霊力の爆発が、風圧となってこちらまで飛来している。
《辛いよな……? コレを受け続けるのは!!》
『アっ……、ガっ……!!!!』
《お前自身を空間に座標固定している。
つまりは、打撃による運動エネルギーを逃がすことができないってわけ。
その身一つで衝撃を吸収する苦痛って言ったらないよな?》
座標固定……?
一体どれほどの事象を制御して……!
《こんなことも、できるぞ?》
「……!!!」
舞い上がった瓦礫が、運動を開始する。
瓦礫は周囲に舞う砂塵を巻き込みながら、魚群のごとく縦横無尽にうねりながら上空を舞う―――――。
瓦礫らも仁の、制御下……なのか?
《はい、プレゼント♪》
転瞬。
中空を待っていた瓦礫が、一斉に肉塊に向かって発射される。
着弾による摩擦で火花が生じ、爆風が周囲を薙ぐ―――――。
何だ、コレは。
一体何が起きているんだ。
重力制御でもない、既存の科学では説明がつかない。
《そろそろ……動きたくなってきたか?
ずっと浮かびっぱなしってのも、疲れるだろ》
『ウ……アガ……』
《……じゃあ、動かしてやるよ》
『ウ……ア……!?』
ゆっくりと運動を始めるその肉塊。
その重力を思い出したかのように自由落下。
しかし、急激にその運動の方向を変える。
その鈍重な体躯からは考えられないほどの―――――加速。
近隣の倒壊したビルへと叩きつけられ、瓦礫が舞う。
そしてまた、肉塊は宙を舞う。
焼けただれた地表、瓦礫の中、燃え盛る炎熱の中へと幾度となく叩きつけられる巨躯。
「……!!」
一体どれほどのエネルギー量が働いているのか。
目で追うのも精一杯な急加速、急制動。
《……『天空』の発現事象は、『空間内事象制御』。
指定する空間内では、霊力を除く全有機物、全無機物を制御下に置くことができる》
「それって……」
《……空間内では、あらゆる事象の再現が可能》
「……!」
それはまさに、従属。
動くことはおろか、抵抗することも許されない。
ただ許されるのは、人智を越えた力の前に屈することのみ。
『っ……ゥ……!!!』
《……声だけは出せるようにしてあげているんだけど。
もう言葉も出ないか》
上空に向かって大きく浮かび上がる肉塊。
瓦礫を巻き込みながら遙か上へ上へと加速してゆく。
そして、いつの間に移動していたのか、その先に佇む―――――月白に染まる少年。
爆発的な霊力がその拳に集中され、大気を振動させる。
《墜ちろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!》
《……!!》
裂帛の気合いと共に放たれた―――――、一閃。
打撃の衝突の瞬間、爆風にも等しい衝撃波が周囲へと広がった。
「……!!」
漆黒の闇の中、中空を舞う砂塵。
地響きを轟かせながら鳴動する大地。
森羅万象が、発生する事象に啼き、一人の陰陽師の前に隷属する。
《アァ……、ガッ……!!》
砂塵の間を縫って見える周囲の様子。
地面には巨大なクレーターができていて、その中心に先生はいた。
その表情は苦悶に歪み、グチャグチャになった全身を痙攣させている。
思わず目を覆いたくなるグロテスクな光景。
『……ルナ』
《……あぁ?》
『……フザケルナ』
肉塊の隙間から、俺らを見据える二つの眼球。
充血し紅く染まったその眼からは、様々な負の感情が滲み出ている。
《私ガ、この日を……ドレだけ、待っタと思っテイル……!!》
それは、……「憎悪」。
それは、……「苦痛」。
それは、……「怨恨」
それは絞り出すかのように、肉塊の周囲を纏い始めた。
《オワッて……タマルカ……!!
ソンナの、ミトメナいっ!!
ワタシハぜったイに、認めルカアアアァァァァァァァァァァァァァ!!!!!!!》
「……!!」
肉塊から立ち上る邪悪な霊力の奔流。
『燐火』発動時と、よく似た霊力出力。
先生の頭上には、球状の高密度の霊力が顕現しつつあった。
《ワタシガ、スベテヲ手に入レル!!!
ワタシこソが真の陰陽師っ!!!!!!》
周囲の生体光子すらも巻き込み、更にそのサイズを肥大化させる霊球。
《京香の式神から術のノウハウを得たんだろうな。
……発動までのタメが同じだ》
「仁……!!」
いつの間にか、俺の隣でその様子を伺っている仁。
《アレは純粋な霊力の塊。つまりは『天空』の制御対象外。
あればっかりは俺にもどうにもできない。
どうする? 新太》
俺を試すように、口の端を上げながら仁はこちらを見ている。
―――――そんなの。
わざわざ聞かなくても分かっているだろ、仁。
「……止めるよ」
『六合』と『虎徹』の護符を眼前に掲げ、重ねる。
そして―――――霊力を解放。
俺の霊力は、これまで常時『六合』へと供給されていた。
それが当たり前すぎて気付かなかったんだ。
常人よりも少ない霊力が当たり前だと、ずっと思っていた。
俺は、無能で、最下位で、落ちこぼれで、劣等生。
その現実を受け入れ始めていた。
でも。
「十二天将『六合』、『虎徹』同調!!!!」
爆発的な漆黒の霊力を発しながら、再度顕現する一振りの黒刀―――――。
「仁、行こう」
―――――今なら、やれる。