第36話『ただ、万物は漆黒に染まる―――』
―――――自分の体じゃないみたいだ。
これまでの式神の起動とは、一線を画する充足感と全能感。
これが俺本来の霊力……なのか。
溢れ出す漆黒の霊力の恩恵を一身に受けながら、先生へと剣線を合わせる。
『六合』の発現事象は『拡大・拡張』。
あくまでも予想でしかないが、その発動対象には恐らく『霊力』も適応されている。
意識しなくても全身にみなぎる霊力が、何よりもその証拠……。
『発現事象……!』
斬撃を受けた箇所から鮮血が飛び散り、苦悶の表情を浮かべている先生と視線が交錯する。
『虎徹』の発現事象は『加速』。
俺自身実際に発動させたことはなかったが、その機構と術式は頭に叩き込んでいた。
それは、運動エネルギーと慣性の制御―――――。
想像でまかなえるところはあれど、やっぱり実際の動きには誤差が生じる。
片方は未知の式神だが、もう片方は手に馴染みすぎている既知の式神に他ならない。
『六合』の事象発現を、どのように『虎徹』に転用できるのかは未だ不明。
解析の時間は存在しない。
であれば……。
「……霊力で押し切る!!」
―――――『加速』。
先ほどの誤差を前提に、動きを再演算。
もっと、精密に、コンマ数秒単位まで想像しろ。
動きのイメージをつくり、そこへ体を滑り込ませる……!!
『やらせルかぁっ!!!』
「……っ!」
裂帛の気合いと共に、先生は肉塊から飛び出た腕に蒼炎を纏わせる。
―――――俺を追い詰めた波状攻撃。
被弾すればまず間違いなく無事では済まない。
回避行動の強制。
それ自体、行動範囲の縮小を余儀なくされ、演算を狂わされる。
顔面のすぐ傍を腕が薙ぎ―――――炎が制服を焦がす。
先ほどまでとは違う。
弱者をいたぶるのではなく、確実に命を刈り取るための猛攻。
『調子ニ乗るなァ!!! 宮本!!!!』
「……!!」
霊力の外部供給。
それは霊力の枯渇という陰陽師が抱える根本的な問題への最適解。
奴は霊力を遺体から供給している。
その上、地上でもコイツは多くの陰陽師を喰った。
故に、霊力の枯渇は無いものと考えて良い。
それが何を意味するか。
それは……、『燐火』のような広範囲高火力の陰陽術を連発できる、ということ。
だが、対抗策は存在する。
術発動までの一瞬のタメ。
奴はまだ『燐火』の制御が完全じゃない。
それ故に生じるタイムラグ。
狙うならそこしかない。
『お前如キっ……!』
先生自身へと集中する霊力と上昇する周囲の温度。
俺自身、既に体感済みの現象。
それは『燐火』の予備動作。
刻一刻と、霊力が分子レベルで圧縮され、その密度を高めてゆく。
『燃え散れえェェぇぇぇぇええええええエエぇぇぇえ!!!!!!!』
もう一度、ここで『燐火』を発動させるわけにはいかない。
術自体を無効化させるためには―――――。
「……」
あの日、あの時。
俺ができなかったこと。
どんなに頑張っても、同級生に届かなかったこと―――――。
想像。
体の奥底から霊力を呼び覚まし、精神統一。
その後、一気に式神に纏わせていく。
刀剣型はより鋭く。
地面が高温で融解し、吸い込む空気で気道に痛みが生じる。
時間的な猶予はない。
「先生。……俺が止めてみせます」
―――――解放。
周囲へと爆発的に放出される漆黒の霊力。
濃密な生体光子の奔流は大気を振るわし、未だ炎上を続ける新都の夜へと満ち満ちていく。
一瞬で良い。
全てを。
込めろ。
『燐火』発動までの、一瞬の間隙。
『……死ネ!!!!!
宮本ォおおおおおおぉぉォォォぉぉぉ!!!!!!!』
前方に大きく踏み出し、―――――『加速』。
先生の背後へと駆け抜ける一閃。
剣から発された漆黒が、俺を、周囲を、瓦礫を、肉塊を、燃え盛る炎を、全て飲み込む―――――。
『……ア?』
「……霊力装填。
先生が、教えてくれたことです」
両断。
後方の肉塊が、弾け飛んだ。
行き場を失った蒼炎は、その肉片と共に周囲へと飛び散り―――――爆散。
周囲へ吐き出された熱エネルギーは、目を覆うほどの風圧と共に新都の大気へと溶けてゆく。
―――――霊力装填。
陰陽師における式神戦闘の基本であり、師から教えを受けた業。
霊力における瞬間的火力を式神を通して発動する。
『……霊…力……装……』
バラバラになった先生の肉体。
どこが、先生だった部分なのかもう判別は不可能。
「融解」の発現事象を以てしても、ここまで細切れになってしまっては……再生も難しいだろう。
……時間の問題か。
周囲に散っていった蒼の炎はすでにその制御を失い、元の煌々と紅く燃える紅蓮へと変化しているのが見えた。
「……っ、京香っ……!!」
―――――肉塊に取り込まれて数刻。
仁は「まだ生きている」と言っていた。
周囲を見回す。
飛び散った肉片、その中に京香がいるとは考えたくない。
そんな結末は嫌だ……!
頼む、生きていてくれ……!!
「……っ!!!」
そして、俺は見つけた。
燃え盛る炎の間に横たわっている、一人の陰陽師。
「……!!!」
それは、俺が助けられなかった少女の姿。
「……京香ァっ!!」
炎をかき分け駆け寄ると、視界に飛び込んでくるのは鮮血で汚れた制服。
脈も……ある。
呼吸もしている。
重傷を負ったはずの腹部は、傷自体は既に塞がり、血が僅かに滲んでいる程度。
『赤竜』を使用するために、『病符』で……。
「あ……ら……」
「……京香!」
耳を澄まさなければ聞こえないほどの、本当に小さな声。
それが乾燥した京香の唇から漏れていることに気付く。
瞼を微かに開き、京香の長い睫毛が揺れている。
「う……ぐっ……」
「今は喋っちゃだめだ……!」
傷は塞がっているとは言え、重傷なのには変わりが無い。
医療部隊でもいれば……。
周囲を見回してみるが、それらしい影も形も無い。
「あ……ら……」
「いいってば、京香! 今は安静に……」
「うし……ろ……」
京香の呟きと、背後からの爆発的な霊力に俺が気付いたのはほぼ同時だった。
「……!!」
―――――嘘だろ。
先ほどまでと何ら遜色ない、禍々しい狂気に満ちた霊力。
その発生源は言うまでもない。
俺の背後。
そこには、一つに集まっていく肉片達。
そして再度その形作られる醜悪な肉塊。
融合するほどに霊力が強まり、言うならば「個」としての邪悪。
それが、再度俺の前に顕現する―――――。
『殺したト、思っタのか? 宮本』
「……!」
『こんなモノでハ、私を止められナい』
溶けた顔面、そこに出現する「口」のようなもの。
そこから、語りかけるような声―――――。
『古賀のシキガミ……、それを解放したトコロで、私にはまだ霊力がアル』
一点。
先生の肉体に集中していく霊力。
遺体から供給していた霊力を全て注ぎ込んでいるのだろう。
それはもはや視認できるほどの密度。
紫色の光子が周囲に発散され、大地は呼応するかのように鳴動を始める。
「まだ上がるのか……!!?」
『……ここカラが、本番ダ』
「っ……!!」
先ほどの霊力装填で俺も霊力の大部分を使い切った。
しかし。
先生を止めないと、新都が終わってしまう。
……いや、ここだけじゃない。
影響だけを考えれば、新都だけに留まらない……!!
「……はああああああぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
手元の式神に霊力を込めた矢先だった。
「……っ!?」
微弱な霊力の残滓をまき散らしながら、『六合』と『虎徹』は元の護符の状態に戻った。
「……何で、どうしてっ!!」
声を荒げたところで、現状が回帰するわけでもない。
俺の叫びが周囲に響くだけ。
『……ドウした? 式神を発動してみロ』
「……!!」
何で、何で急にっ……!!
「初めての同調で、発動が安定していないんだろうな」
炎の切れ間から響く声。
ゆっくりと目線を上へとスライドさせると―――――その声の主がいた。
煤まみれの狐の面を引っさげ、静かにその霊力を揺らめかせている『旧型』。
「……京香を、助けたんだな」
俺の傍らで横たわっている京香を確認し、安心したように息を吐いた。
「仁が、俺を信じてくれたから……」
「……違うだろ。
自分の功績を人に転嫁すんな。お前がやり遂げたんだ」
仁は狐の面をずらし、その顔を見せる。
すると彼から立ち上る霊力同様に、静かな笑みを携えていた。
ザリ……と地面を踏みしめながら、ゆっくりと先生へと歩み寄る。
「……もう、『何もできない』なんて言うなよ。新太」
「『狐』カ……。もうこウなっテしまっては、お前でもどうにもできナイ!!!」
「……」
先生から放出されている霊力の奔流を一身に受けても、仁は歩みを止めない。
外法により異形と化した『新型』と、対峙するは『旧型』の『狐』。
ただ俺だけが、その二人の陰陽師を見ていた。
 




