第215話『追憶の狐-久遠-』
[新都北区近郊 桐月邸]
「よし!
それじゃ見ててくれ、仁!!」
「う、うん……!」
奏多の傍らに置かれている一振りの日本刀。
それが淡い光を放つのと、ほぼ同時――――。
「っ――――!」
眩い光を放つ霊力が周囲へと溢れ出し、そして奏多の両手へと収束を始める。
そして、奏多の手に顕現する一つの球状の物体。
それは他でもない――――。
「……ボール?」
「正解っ!」
「へぇー……すごいね!
ボールを作り出す陰陽術だ……!」
目を輝かせながら、感嘆の声を上げる仁を奏多は少しだけ困ったように笑いながら見やる。
「別に作れるのはボールだけじゃないんだけど……。
……今の俺には、これが精一杯かな」
「ほいっ」と投げられるボールを受け取り、何回か触ることでその質感を確かめる仁。
今しがた目の前で創り出されたボールは、店で売っているのと何ら遜色ない、いかにも普通の「ボール」といった感じ。
「……その式神の、発現事象なんだよね」
仁が指さす先にある、一振りの日本刀。
鞘で覆われているが故に刀身こそ見えないが、それでもどこか溢れ出る神性に仁は静かに息を飲んだ。
「それが、『近衛家』相伝の……十二天将?」
「あぁ……ううん。
これは違うよ。
爺ちゃんが言ってたんだけど……、何か『近衛』にとって重要な式神なんだって」
「そうなんだ……」
『近衛』家相伝の十二天将――――『六合』。
そう従者から聞いてた仁だったが、実際発動しているところはおろか、その基本形態も見たことがなかった。
というより、何なら『近衛』自体がその存在を秘匿している、という話も。
「『近衛』の十二天将は、屋敷の中でも多層結界の中にあってさ。
誰にも持ち出しできないようになってんだ」
「それって……、僕に教えちゃってもいいの?」
奏多の話からは、多層結界で守るほどに、その存在が機密扱いされているのは明白。
そもそも当主であるはずの奏多ですら、その接触が禁じられていること自体疑問が残る。
質問を投げかけたのも束の間、奏多は「余計なことを口にした」という表情を浮かべながら、仁に向かって手刀をきる。
「……ごめん。
今の話は無かったことに……」
「……あ、うん。
やっぱりそうだよね。
……分かった、大丈夫だよ」
別に他の家の事情を詮索するつもりも、ましてや、それを外部へ漏らすつもりもない。
仁は改めて話題を元に戻そうと、奏多の傍らにある日本刀を指差した。
「……それで、この式神は……?」
「あぁ……、コレね!?
これは爺ちゃんが保管してる式神なんだけど……、隙を見て練習してんだ。
名前は……何だっけな。
きゅーてき?
……びょーてき?
確か、そんなんだったと思う」
「へぇ……」
……仇敵?
……病的?
変わった名前……。
とりあえず適当に知っている熟語を当てはめてみるが、いずれにせよ知らない響きに仁は頭を捻る。
「……まぁ、これは遊び。
ただの暇つぶし、かな」
奏多が指を鳴らすのと同時に、仁の手にあるボールが形象を崩壊させる。
霊力となり霧散するその残滓を、仁は目で追った――――。
「……よしっと。
それじゃ――――今日の修練、始めようか!」
転瞬。
眩いまでの霊力が奏多の全身を包み、その出力を上げてゆく。
『肉体強化』を司る式神を既に発動させている奏多を横目に、仁も自身の相伝式神を発動させるべく、護符を取り出した。
「……十二天将『天空』、発動!!」
全身に霊力が充填されてゆく感覚。
右手の甲に淡く浮かびあがる、五芒星。
心強い充足感をその身に感じながら、仁は構えの体勢をとる。
「時間制限無し!
三本先取!」
奏多の間合いを計り――――一気に霊力出力を高める。
そして。
「「っ……!!」」
ほとんど同時に、二人は互いの間合いへと飛び込んだ。
***
最早日課となりつつある、奏多との修練。
互いの屋敷を行き来し、日が暮れるまで遊ぶか、修練に明け暮れる――――そんな特筆することもない、しかし、仁にとって大きな意味を持つ平穏。
「あー、疲れたぁ!!!」
オレンジ色の夕陽が差し込む屋敷の片隅で、庭の水道――――蛇口から勢いよく流れ出る清流を頭に浴び、奏多は犬のようにブルブル震えながら水滴を飛ばしている。
「……動物みたいだね」
仁は屋敷の縁側に座り込みながら、その様子を微笑ましく見ていた。
そして、自然と込み上げてくる欠伸。
全身を包み込む、心地よい疲労感。
結局、午後はずっと奏多と組み手に興じていた。
きっと今日は気持ちよく眠ることができるだろうな、と二回目の欠伸を噛み殺した。
「……お互いに、体捌きは悪くないと思う。
仁の課題はやっぱり……発現事象?」
「うん……。
やっぱり、『天空』の発現事象は難しいね」
――――空間内事象制御。
万能にも聞こえるかのような響きでも、その実術者の制御能力がいかんなく問われる発現事象。
「相手の動きを止めたりなんかもできるみたいなんだけど……、座標平面上の対象を正確に補足しなきゃいけない上に、常に霊力出力において凌駕しなきゃいけないっていう制約があるんだよね。
まずは感覚として理解しやすい「自分自身」にその効果を適応させるのを第一にした方がいいのかな……。
動きの速度の制御……でも人体の限界を超える速さもダメ……かな。
霊力で身体への負荷を補填させることも一案としてあるけど、それでも充填させるときのバランスもとらないといけないから……奏多はどう思う?」
視線を今しがた奏多のいたところに向けると、そこに本人の姿は当になく。
庭の中心――――例の日本刀式神で創ったと思しきボールで、楽しげにリフティングに興じていた。
《……奏多は本当に元気だな》
不意に、仁の傍らに現れる一匹の狐。
その視線の先は、恐らく仁と同じモノを捉えているのだろう。
口の端を僅かに上げながら、微笑ましそうに何度も何度も頷いている。
いかにも爺臭いその仕草に、仁は苦笑いを浮かべながら「……ホントだね」と呟いた。
「――――奏多が蹴っているアレは?」
「……?」
自身の背後。
部屋の最奥にある引き戸の方から聞こえる声。
後ろを振り向いて、その人物の姿を視界に収めたとき――――仁の表情が驚愕に染まる。
「パッと見た感じ、霊力で創られたボール……?かな。
あれだけ普通にリフティングできるってことは、かなり精巧に物質化されてるよね」
目にかかる黒髪の奥から覗く――――鴉色の瞳。
ブレザーの制服を身に纏った一人の男子学生。
ゆっくりとこちらへ歩みを進めてくる姿を目線で追いながら、仁はその名を口にした。
「――――泰影、さん」
「……うん。
お邪魔してるよ、仁、天空」
そう言いながら仁の隣に腰を下ろし、縁側から足を投げ出す泰影。
疲れたように首を回し始め、そして肩を揉み始める。
「新都に……、来てたんですね」
「あぁ。
ちょっと、用事があってさー」
「……」
眠たげに欠伸をする姿。
そしてその喋り方も、仕草も、端から見ればいかにも「普通」「凡庸」といった言葉が似合う男子学生の姿にしか見えない。
――――しかし。
仁は、この「土御門泰影」という少年が、どうしようもなく苦手だった。
――――土御門泰影。
齢十三にして、土御門の家督と十二天将『貴人』を受け継ぎ、翌年には十二家紋合議機関『会合』における御意見役を実父より任命される。
しかし、合議機関と銘打っているはずの『会合』は既にその大部分は形骸化し、今や「土御門」による意志決定の場へと成り果てている現状――――。
そして、何より――――。
「――――仁も、奏多も、元気そうだね」
何を考えているのか分からない、この貼り付けられたような表情。
純粋に笑っているのか、それとも……嗤われているか。
思わず、その笑顔の裏、発言に込められた真意を勘ぐってしまうような。
直接脳内に警鐘を鳴らしてくるような、そんな本能に訴えかける言いようのない不安感。
得体の知れない不気味さを仁は、泰影に感じていた。
「……で、アレは?」
再度、泰影の指さす先にいる奏多。
今も尚、当人はこちらの様子に気付くことなくボールを楽しげに蹴りあげている。
「あっ……、はい。
『近衛』に伝わる式神らしいです。
霊力を物質化し、ボールの形にしてる……って言ってました」
それを聞き、泰影の表情が僅かに強ばるのを、仁は見逃さなかった。
――――何か、マズいことを喋ったのかな。
仁は自身の失言の可能性に考えを張り巡らせるが、刹那、泰影の表情に笑顔が戻ってくる。
「……へぇ、面白い発現事象だね」
「……!」
それは、仁が半ば直感的に悟った感情だった。
後悔。
悔恨。
自責の念。
歳を重ね、数多の言葉を覚えれば、そんな言葉で表現こそ可能。
――――しかし、年端もいかない仁の胸内に浮かんだのは、どこかドロッとした例えようのない嫌な予感。
「っ……」
背中と額に汗が滲むのを感じながら、仁は慌てて泰影から視線を逸らした。
「――――泰影様」
「っ……!」
「――――梢か」
仁が声の方を見ると、泰影が先ほど入ってきたばかりの引き戸の所に佇む、一人のパンツスーツ姿の女性。
泰影から「梢」と呼ばれたその女性は、腰程までの長髪を後ろで一つに束ねていて、切れ長の瞳を以て、仁と泰影の方を静かに見据えている。
「……用事はお済みで?」
「……うん、大丈夫。
済んだよ。
ちゃんと見れたし」
そう言いながらその場に立ち上がる泰影を、仁は視線で追う――――。
「おい、桐月の当主」
「っ……」
女性から発された、最早名前ですらないその呼び方。
しかし、仁が今更違和感を覚えるはずもなかった。
……「近衛奏多」が、異常なのだ。
それは、他の十二家紋からすると、『桐月』に対する態度としては至極妥当。
「……泰影『様』だ。
間違えるなよ」
――――十二家紋『草薙』家当主、草薙梢は冷たさを内包した声で言葉を紡ぐと、「戻りましょう」と泰影を促した。
「……忙しいなぁ。
じゃあ、仁。
俺は行くよ」
「……はい」
踵を返し引き戸の方へと歩みを進める泰影だったが、唐突にその場に足を止め、再度仁の方を向く――――。
「――――一つ、教えておくね」
「……?」
「霊力の物質化は、未だかつて誰も成し遂げたことのない奇跡なんだよ」
「っ……!!」
奏多によろしくね、最後にそう言い残し、泰影はその姿を引き戸の奥へと消した。
「……」
泰影が去った後も、仁はずっと屋敷の中を視線を向けていた。
例えようのない不安感が、ずっと心の中に燻っていた。
奏多の式神のこと。
それが後に、この「日常」の崩壊を招くような。
根拠なんて何もない。
ただ――――。
《……刻を、動かすか》
「……?」
これまでずっと沈黙を貫いてた天空が静かに呟いた。
傍らへと視線を移すと、天の不安げな視線が、真っ直ぐに奏多の姿を捉えていた。
《……》
「……」
夕刻の陽はとうに沈み、残光はその残りを空へと浮かぶ雲へと反射。
藍色へと変えてゆくその時間の中で、仁は静かに拳を握りしめた。
――――日常の崩壊。
そんな得体の知れない不安が、現実のものとなったのは半年後のことだった。
――――近衛奏多の死去による、近衛家の壊滅。
それに伴い、桐月家自体も土御門泰影による圧力により、新都を離れることを余儀なくされる。
それもこれも、桐月仁が一連の渦中におり、「目撃者」となってしまったことに起因するものだった。
その日も、普段通り奏多と仁は夕刻まで遊び、修練をして別れた。
その笑顔も、元気いっぱいに手を振る姿も。
奏多という友達の一切合切、その全て――――。
「最後」だと分かっていれば、もっと交わす言葉もあったのに。
もっと、想いも込められたのに。
ただ仁は、それが最後となった笑顔を、いつまでも鮮明に覚えている。
夕暮れの群青の中で笑う――――一人の少年のことを。




