第213話『覚悟』
「……俺に頼み?」
小首を傾げた龍太朗に対し、虎ノ介は頭をガシガシ掻きながら「……闘う力が欲しいんだよ」と言葉を紡ぐ。
すると更に龍太朗は不思議な表情を浮かべ、顎に手を当て考え込む仕草をする。
やがて何か得心がいったかのように深く頷いた。
「……厨二病?」
「っ……ちげぇよ!!!
陰陽師として、闘う力が欲しいんだよ!!」
言葉を荒げた虎ノ介を一瞥し、龍太朗は「……あぁ、そうか」と呟く。
「外の話、聞いているだろ?
近々『旧型』との大規模な戦闘がある。
俺も清桜会として参加することにした」
すると、龍太朗は意外そうな表情を浮かべ、「……お前が?」と虎ノ介の全身をジロジロと舐めるように見回す。
「戦力にもならないだろう?
見たところ、『末那』も解放していないようだけど」
「……」
――――そんなことは、分かっている。
だから、こうして兄貴に会いに来た。
わざわざ上層部に掛け合って、パスキー手に入れてまでここまで来た。
兄貴なら何とかしてくれるんじゃないかと。
俺には考えもつかないことを提示してくれるのではないかと。
――――そんな希望を抱いた。
「……兄貴は、何でまだこんなとこにいるんだよ。
旧新都支部特A区画の連中は第二支部に移されたんだろ?」
虎ノ介の脳裏に浮かぶのは、ここに来る前に通過した、既にもぬけの殻となっていた部屋の数々。
「……あぁ、それね」
一転、めんどくさそうな表情で以て虎ノ介を一瞥し、そして欠伸を一つ。
上へ向かって思い切り腕を伸ばすと、龍太朗の肩から気持ちよさそうな音が鳴った。
「……移動するの、めんどくさくてね。
機材やら計器やら必要なモノは全部揃っている。
尚且つ、ご飯もいつでも食べれるし……好きな時に寝れる」
「……」
――――めんどくさい。
言ってしまえば、それはただのワガママでしかない。
既に都市機能を失っている中央区にわざわざインフラを残してまで、そして飯や風呂などかいがいしいまでに世話をしてまで、兄貴の言うことに従う理由が清桜会にはある。
「それよりも、『第三世代』の調子はどうだ?
『末那識』を搭載してから、大分時間が経ったはずだけど」
「……」
――――そう。
清桜会は、自分達の都合で兄貴を閉じ込めておきながら、利用価値があると分かった途端、掌を返した。
収監者であるはずの兄貴の身分に似つかわしくない、計器類がその証拠。
『旧型』や『妖』に対抗しうる可能性として、その存在を否定した『末那識』という概念に白羽の矢が当たった。
かつて、非人道的と兄貴を非難した連中が、我が身可愛さに金を投入している様は、俺に目には酷く滑稽に映る。
周りの連中は、本当に馬鹿だ。
――――俺は。
俺だけは、最初から知っていた。
兄貴が、いかに優秀な陰陽師であるかを――――。
「……第三世代の大半は、伝説級のヤバい『妖』にやられた」
龍太朗は表情を変えることなく、虎ノ介の言葉を聞き「そうか」とだけ返事を返す。
そして、口の中で何やらモゴモゴと言葉を転がし始めた。
「魂の縮減制限は取っ払ってある、……その上での敗北と言うことは術者自身がかなり日和ったな」
「……誰も彼も、死ぬ覚悟ができているわけじゃねぇよ」
「それもそうだな」と龍太朗は静かに口角を上げ、そしてデスクへと頬杖をついた。
「――――で、本題だ」
「……」
「そんな理の外側にいる連中に、正攻法では通用しない。
であれば、――――外法しかないだろう」
「……」
「『第三世代』やその他有象無象に搭載されているのは、『末那弐式』。
魂を縮減し、その膨大な情報を全て霊力へと転化する。
……でも、虎。
お前は違う
お前に搭載されているのは……」
「――――『末那零式』、だろ?
知ってるよ。
魂の縮減で得られる情報の転化先を、指定していない」
不意に目を見開き、意外そうな表情のまま、龍太朗は弟の姿を見やった。
「……覚えていたのか」
「……」
――――忘れるはずもない。
兄貴が残してくれたモノを。
「ならば、話は早いな。
歴史上において、人智を越える力を望んだ者はすべからく同じ発想へと帰着する」
息を呑む音。
それが自分自身のものであることに、虎ノ介は気付かなかった。
「――――〝魔〟との契約」
「……」
「『悪霊』、『怨霊』、『妖』……別に何でもいい。
負の生体光子より生まれ出ずる存在は、悉くを凌駕しうる」
「……そいつらとの契約に、俺の『末那』を使うってことか?」
龍太朗は首肯し、「知っての通り、前例はないけど」と続きを紡ぐ。
「悪性を内包する霊力をその身に受け、心身共に無事であるはずがない。
人間性の喪失、それに準じる……何か。
もちろん最悪、死ぬことだってあるだろう」
「……」
所謂――――代償。
「人智を越える力」を手に入れようとしている者は、それと同等、あるいはそれ以上の対価を支払わなければならない。
龍太朗が言うところは、その覚悟があってのことなのか、という確認に他ならない。
虎ノ介は一瞬の逡巡の後、静かにその口を開いた。
「――――ダチがいる」
「……」
「命懸けて闘ってんだ。
まだ高校生なのに……、だぜ?」
どこか諦観にも似たような笑みを浮かべ、虎ノ介は言葉を紡ぐ。
「誰か他の連中に任せて逃げればいいのに。
負わなくてもいいもの、全部背負ってんだ」
――――我が強い友人を持つと本当に大変だ。
説得が意味を成さない。
古賀も、新太も、自分自身のことなんて全然顧みちゃいない。
現清桜会の保有する戦力として、アイツらが卓越しているのは分かりきっている。
――――でも。
常に前線で血を流し、食らいつき、何度も何度も死にそうな目に遭っておきながらも、前へ進むことを止めない。
ただ、他人のためだけに、力を行使する――――。
「――――俺だけ、立ち止まっている場合じゃねぇんだよ」
ただ真っ直ぐ、虎ノ介は目の前に座る兄を見据え、そう呟いた。
***
『狐』は、夢を見た。
まだ幼い頃の記憶、その残滓――――。
一人の少年と、一人の少女を想いながら瞼を閉じたのが、そもそもの間違いだった。
その過去が「最高最善」だったと呼べる類いものではないのは確か。
しかし――――。
それが、今の『狐』を造り上げたのは言うまでもない事実。
微睡みの中目を覚ますと、既に陽は昇りきっていて、荒れた部屋の中を陽光が満たしていた。
それを確認し、『狐』はもう一度目を閉じた。
もう――――何も考えたくなかった。




