第208話『群青と月白』
「絶っ対に、嫌っ!!!!」
「何度言えば分かるの!!
いいからさっさと準備しなさいってば!!」
「ウチはやらなきゃいけないことがあるのっ!
お母さんだけ行けばいいって、何度も言ってんじゃん!!」
「「……」」
――――隣を見ると、虎は呆気にとられながら目の前の有様を視界に収めている。
右手に握るスマホの画面に表示された座標、新都南区刈谷町にある住宅街の一角。
到着した俺達の目の前で言い合いをしている、二つの人影。
その内の一人は他でもない、俺らをこの場所へと誘った張本人――――来栖まゆり。
そして、もう一人。
来栖とよく似た見た目をしている、一人の女性。
栗色の髪を後ろで一つに結び、そして大きな瞳で真っ直ぐにまゆりを視界に収めている。
「……もしかしなくても、まゆりの母ちゃんだよな?」
「多分……。
「お母さん」って言ってるし……」
当の本人達は俺らの存在に気付く様子もなく、互いに目くじらを立てながら怒声をぶつけ合っている。
「新都にいる意味だってもうないの!
アンタだって、肩身狭い思いしてんでしょ!?
陰陽師の養成学校なんてもう辞めて、どっかの普通科の高校に編入しなさいって!!!」
「ちょっと、何勝手なこと言ってんの……!?
そんなことウチが決めるし!!」
双方共になかなかにヒートアップしている。
周りに人気はないものの、それでも真っ昼間、しかも道のど真ん中で言い争いをしているのも見栄えがよいものでは無いだろう。
「あの……」
「「っ……!!」」
恐る恐る声をかけると、眉間に皺を寄せながら新太の方を睨む二人。
さながら、邪魔すんな!と言わんとするが如き形相。
しかし、一方は新太の姿を見ると同時にその表情を緩ませ、「新太さん……!」と頬を上気させながら笑みを浮かべた。
「来栖、さっきのメッセって……」
「っ……そうなんですよ新太さん!
助けて下さい!!
お母さんが、さっきからずっと訳わかんないこと言ってくるんです!!!」
「訳わかんないって……!
アンタが聞き分けないからでしょ!?」
「……」
……察するに、緊急を要する事態では……なさそう?
傍らの虎も、既に欠伸を噛み殺しながらめんどくさそうに頭を掻いている。
「というか……、貴方達は……?」
突如表れた俺達を訝しげな視線で以て射すくめる来栖(母)。
自己紹介を始めようとしたタイミングで、「この人はウチの先輩っ!!」と来栖に遮られてしまった。
「お母さんがあまりにもしつこいから、応援呼んだのっ!!」
「……先輩」
まるでドラマの名探偵よろしく、顎に手を当てて何やら考え込む来栖(母)。
固く引き結ばれた口は、一瞬の逡巡を経て、静かに開かれる。
「……もしかして貴方達のどちらか、ウチの娘と付き合ってます?」
「「……」」
――――そう言えば……まゆりは俺のことを、家族にどれほど伝えてるんだ?
事故とは言え……客観的に見たら、「彼女の母親との邂逅」、という一大緊張イベントに他ならない。
背中に冷たい汗が伝うのを感じながら、何と答えたものか……と苦笑いを浮かべていると。
「あー俺っす、俺俺。
まゆりちゃんの彼氏は俺っす」
「……あっ、そうなの。
雰囲気的にこっち(新太)の方かと思ったけど……」
迷っているのも束の間。
……ただでさえ適当な男が、これまた適当なことを口走っていた。
「っ……!!?
はあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!?
何言ってんですか!!?」
顔を真っ赤にして虎へと詰め寄り、ポコポコとおもむろに腹部を殴り始める、まゆり。
「いや、すいません。
嘘です、適当言いました。
ホントにごめんなさい。
あのちょっとマジで痛いっす。
あっ……、ちょっ……」
最早ズドムズドムと重い一撃となりつつある、まゆりのボディブローを横目に、俺はまゆりの母親と目配せをし……、そしてどちらともなく吹き出す。
「まゆりと、仲良くしてくれてるみたいね」
「……アレを、「仲良く」って言いますかね?」
「ふふっ、アタシは来栖さゆり。
娘がお世話になってます」
「あっ……えっと、俺は宮本新太って言います。
来栖……いや、まゆりさんとは……、その……」
「まゆりが、色々とお世話になっていることは聞いてるよ」
「……!」
色々と……!?
それはどっからどこまでを指すのだろうか……。
不意に脳内にフラッシュバックする、諸々のまゆりとの記憶――――。
すると、顔へ血液が集まってゆく俺の紅顔を見て、さゆりさんは意地悪そうな笑みを浮かべた。
「……安心して。
二人がどこまで進んでいる、とか。
そこまでは知らないから」
「……」
……なるほど。
とりあえず一安心、なのだろうか……?
さゆりさんは嬉しそうな笑みを浮かべ、そして現在進行形で虎へコブラツイストをかけている自身の愛娘へと視線を移した。
「……君が、色々と助けてくれたんだよね」
虎の断末魔とまゆりの絶叫が響き渡る中で、さゆりさんはポツリと呟く。
「……。
いや、俺は何も……」
すると、さゆりさんは軽く首を振り、俺の返答を否定する。
「君は、あの子を助けてくれたんだよ」
「……」
「あの子がおかしくなっちゃって、家からもいなくなっちゃったとき、私は泣くことしかできなかった。
なんて無力なんだろうって……」
「……」
それは、今年の初夏に勃発した泉堂学園生徒襲撃事件。
序列戦『朱雀』に係る、来栖まゆりの暴走――――。
「学園に復学するどころか、あのままじゃ、お天道様の下も歩けなくなってしまうとこだった。
それを、君が救ってくれた」
「……お礼、遅くなってごめんね」と、さゆりさんは困り顔のまま口角を上げる。
「……」
――――その一件について、まゆりも被害者。
精神系の発現事象をその身に受けて、もがき苦しんでいた一人の少女に他ならない。
見ていられなかった。
助けたかった。
ただ、それだけ――――。
「……あの子、頑固だからさ。
今もそう。
一緒に疎開しようって言ってんのに、全然言うこと聞いちゃないし……」
「それで……、さっきの言い合いに……」
「……ごめんね?
ヘンなモノ見せちゃって。
でも……、私はやっぱりあの子が闘う必要はないと思うの」
「……」
いつの間にか。
さゆりさんお呆れ顔が、娘の身を案じる一人の母親へと変わっている。
思わず口をつぐみ、俺は静かに再度まゆりの方を見やった。
「『暁月』には、別れた私の旦那……あの子の父親ね?
それと、八千代ちゃんがいる」
「そう……ですね」
今や、その両名はれっきとした『暁月』構成員として、討伐対象認定されている。
さゆりさんの口ぶりからすると、元夫である来栖亮二はともかく、八千代とも多少なりの面識があったことが伺えた。
この親子が置かれている状況は、一連の騒動に「無関係」とは言えない立場にあるのは明白――――。
「――――だから、ウチがやらなきゃいけないんだよ!!」
「……!!」
唐突に住宅街に響き渡る声。
声の方を見ると、既に路上でノビている虎の傍らで真っ直ぐにこちらを見据えているまゆりの姿。
「……まゆり」
「ウチはこのままじゃ納得できない!!
クソ親父も!
ちよちよも!!
一発ぶん殴って、話を聞きたいの!!
何でこんなことになっちゃったのか、自分の耳でっ!!!」
「……」
既に、この住宅街に住まう者は限られているのか、まゆりの声は晴天の空に吸い込まれてゆき、静寂が俺達を包み込む――――。
「……」
「……」
「……ほんっと、頑固ね。
父親と同じ……」
「……」
「私はまた、引き留められないんだ」
どこか昔を懐かしむように、宙を仰ぎ、そして小さな溜め息を一つつく。
また、引き留められない。
その言葉が何を意味するのか。
それは、自身の娘のかつての所業。
それとも、別れた旦那さんへの――――。
「安心して。
ウチは――――天才だから」
「……」
この場にそぐわない、まゆりのその言葉を聞き、さゆりさんはただ頭を垂れる。
その心中に渦巻く感情を堪えるかのように静かに二、三と口の中で言葉を転がし、やがて、それを全て吹っ切るかのように「……勝手にしなさい」と踵を返す。
「……さゆりさん」
「……新太君。
ごめんね。
こんなことを、君に頼むのは間違っているけど」
横を通り過ぎる傍ら、さゆりさんと交錯する視線。
どこか寂しそうな、しかし、その瞳に映る強い意志の色。
どこかで見たことのあるその瞳――――。
「まゆりを、お願い」
俺の返答を聞くこともなく、さゆりさんは傍らの一軒家へと歩みを進め――――玄関のドアを開けた。
***
[同刻 某所]
「っ――――」
自身の肉体に深々と突き刺さる掌底。
同程度の霊力出力で相殺を図るが、その行為そのものに意味はない。
なぜならば。
――――コイツは、『成神』の解放率でその出力を変動することができる。
《……》
真っ白にその身を輝かせ、霊力を迸らせる黛仁。
肉体の形状変化が生じていないことから、まだ解放率は二桁台前半――――。
「……」
――――熱い。
沸騰しそうなほどの熱を伴った血液が全身に送り出され、筋繊維が断続的に千切れる激痛を感じながら、服部椿は眼前の怨敵を見据える。
《――――そんなもんか?》
「っ……!!」
印象的な狐の面でその顔を覆う黛仁は、ため息交じりに霊力を僅かに緩める。
月白の光が周囲の大気中へと霧散し、その残滓が輝いているのを、紅く染まった視界の中で捉える。
臨戦態勢の解除――――それは明白な椿に対する挑発行為に他ならない。
その表情こそ窺い知れないが、面の下では恐らく嗤っている。
どこまでも馬鹿にするように。
姉に向けたであろう同質の笑みを携えているのは容易に想像できた。
「っ――――」
――――ふざけるな。
姉の敵への憎悪を。
臓腑に蠢く怨嗟を。
憎めば憎むほどに、生体光子はその輝きを増す。
十二天将は、意志に応えてくれる――――。
――――どうなってもいい。
僕の身体も精神も、既に壊れきっている。
ただ、俺は――――。
「……お前は、俺が殺す」
《……》
「――――死ねよ」
《……!!》
眼前から既に死に体である椿の姿が消失するのとほぼ同時、仁の右耳に直接飛び込んでくる声。
《っ――――!!》
瞬間的に出力を増幅させる霊力の奔流。
椿の顔面に顕現している――――般若の面。
両の手に構えた得物を振り抜き、霊力と編み込んだ術式を乗せる。
「格下である」と、油断しているが故の慢心。
その一瞬の隙をついた――――一閃。
その光撃は仁の全身を飲み込み、壁際までに後退を余儀なくさせる。
――――椿が受け継ぎし十二天将。
柊家相伝式神『太陰』。
発現事象、『相対する術者、発現事象の強制解除及び無効化』。
しかし。
対十二天将術者間における戦闘では、より強大な霊力出力を発揮した術者に発現事象発動の主導権がある。
――――故に。
霊力出力で劣る椿は、『成神』発動下の黛仁に対し、有利に戦闘を継続することは不可能。
「……」
舞い上がる砂塵の中で、光り輝く二つの眼。
やがて砂煙の間を裂き、その身を白く染め上げた少年が姿を現す。
……ただ一点。
その身に異質な箇所を残しながら――――。
《……これは》
椿の剣戟を受けた右腕、肘より下――――。
『成神《・》』が解除され、生身の身体を曝け出している。
どこか既視感のある、自身のその風体。
そして、椿の顔を覆う般若の面。
その術式の正体を、仁は瞬間的に察した。
遠くない過去、その術式を使用した一族の嫡子の姿が脳裏に浮かぶ。
《――――鬼人降魔》
「……」
砂状になり消失を始める般若の面の下から姿を見せるのは、感情を感じられない椿の無表情。
しかし、それも束の間のこと。
次の瞬間には能面の如き無表情を醜く歪ませ、霊力を爆発させる。
「っ……!」
――――こんな鬼人降魔では、黛仁を殺すことはできない。
それは他でもない、寧々《・》さんが証明した。
【終式】を以てしても、最大の陰陽術の発動を以てしても――――。
「っ――――」
もっと。
もっとだ。
僕にはもう、何もない。
何もなくなってしまった。
……いらない。
捨らない。
除らない。
壊らない。
――――命も、いらない。
「っ――――」
――――阿頼耶識。
それすなわち、魂の座を知覚すること――――。
そして、魂を霊力へと昇華する業――――末那識。
「もう、僕は、何もいらない」
手に握る『太陰』の切っ先を仁へと向け、椿は息を吸った――――。
『――――月に水銀、後夜に喪主』
《っ……》
――――その懐かしい響きに、人しれず仁の喉が音を立てる。
思い出される、かつて自身と共に夜を駆けた一人の少女。
『――――花に金糸雀、暮夜に蜉蝣』
目の前の椿が。
在りし日の姿と、どうしようもなく重なる――――。
――――御琴。
『七小町――――〝寂光〟』




