第206話『終焉への序曲』
新太達のいなくなった理事長室に訪れる静寂。
向かい合って座る秋人と朱里は、互いに声を発することなく、ただ無言を貫いていた。
先ほどの『暁月』による布告。
その余韻を、只噛み締めるかのように――――。
「……」
今も尚、紫煙をその口から吐き出している、自身のかつての直属の上司を一瞥し、秋人は松葉杖を片手にその場に立ち上がった。
「……僕は、新都支部に戻ります。
朱里さんは、今日から新都付き……ですか?」
「……あぁ。
一応、新設部隊の指揮を執る、という名目で堅苦しい職を捨ててきたからね」
「……」
――――朱里さんほどの人材が東京本部を離れたとなると、向こうは今、混乱の最中であることは容易に想像がつく。
しかし、秋人自身、「辰巳明里」という人間が下した判断に、異を唱えるつもりは毛頭無かった。
過去にその哲学に触れ、目指すべき道をその背中から感じ取り、研鑽を積んだ。
今の自分を形作る全てのモノは、あの日々《・》で培われたと言っても過言ではない。
――――あの日々。
それは、遠い追憶の彼方。
「――――白蓮曹純」
「……」
「お前の報告を聞いたときには、『そんな馬鹿なことがあるか』と思ったけど。
……まさか、本当だったとはね」
笑みを携えながら、短くなったタバコを一吸いし、思い切り吐き出す朱里。
天井に消えてゆく、その煙の軌跡を見つめながら秋人は先ほどの宣戦布告で、土御門泰影の背後に佇んでいた一人の老陰陽師の姿を思い出す。
自身に式神戦闘を仕込んだ、かつての師――――。
刻まれた皺の数だけ歳を重ねたことは伺えるが、それでも過去よりも遙かに卓越した戦闘力を有する者に他ならない。
「――――楓の、忘れ形見も」
「……」
「一度だけ、幼い頃の弟君に会ったことがあるけど……成長すればするほどに、あの頃の楓と、よく似ているね」
「……そう、ですね」
朱里さんが言う、あの頃。
今の椿君は、あの頃の楓と同い歳ぐらいのはずだった。
「陰陽道」という神秘の存在に魅せられ、自ずからその道を歩み始めた、あの頃の僕らと――――。
記憶の中に在るのは、屈託無く笑う――――年端もいかない男の子。
後ろについて歩き、姉に抱きかかえられ、無邪気に手を振る――――。
「……一体、どうして……」
自然と拳に込められる力。
表情を歪める秋人を、朱里はただ静かに一瞥する。
「どうして……、こんなことに……!」
「……」
秋人、と朱里は言葉を続ける。
「――――それを、お前は背負わなくていい」
「……!!」
「弟君の目を、見たろう?
生気のない瞳の中に渦巻いている、激情。
「恨み」や「憎しみ」なんて、陳腐な言葉じゃ足りない。
奪われた者の気持ちが、分からない私達じゃないはずだよ」
「っ……!!!」
そんな非情な現実を許すことができなくて、僕は――――。
思い切り噛み締めると、歯の根が音を立てる。
「弟君は自分で、それを選んだ。
だからこそ――――お前は、背負わなくて良いんだ。
さもなければ……行き着く先は、カリンと同じ」
「っ……」
朱里はタバコを消し、再度懐からボックスを取り出して――――火をつける。
もう何度見たか分からないほどに手慣れた、その仕草。
「……純粋だったからね。
どんなに取り繕っても、根本は変わらない。
あの子はただ、守りたかっただけ。
……失いたくたかっただけ」
「……」
深く息を吸い――――そして、紫煙を吐き出す。
「強い善性を持っている人ほど、他人の悪意に気付かないのと同じさ。
夏鈴は……、今の今まで気付くことができなかった……」
「……」
どこか物悲しげな表情を浮かべているのは、秋人の見間違いじゃないだろう。
加えて、朱里の気持ちが分からない秋人ではない。
「……全く。
皆、色々と背負ってしまうようになって……嫌になるね」
「……」
自嘲気味に笑う朱里に、秋人はかける言葉が見つからなかった。
「――――ほんと、嫌になる」
そう言いながら、朱里はタバコの火を携帯灰皿へと押し当てた。
***
[cafe mill 20:51]
ぼんやりとした光源が照らす、落ち着いた店内。
まゆり自身元々気になっていたカフェ。
夜はお酒も出しているお店らしく、マスターっぽい人が何やらお酒を整理しているのけど、今現在まゆり以外の客の姿は見られなかった。
それが、先ほどの配信の影響故のものかどうかは分からない――――。
「……」
まゆりは、窓の外が見えるカウンター席に腰を下ろし、待ち人の到着を待っていた。
マドラーで注文した紅茶をゆっくりと混ぜ、頬杖をつきながら。
――――先の配信の後、清桜会新都第二支部にて招集命令が下り、新太さんはそちらへと向かっていった。
あまり遅くならないと思う、そう言い残して約束の時間と場所を決めて別れた。
「……」
壁に掛かっているアンティーク調の時計へと目線を送ると、定刻を僅かに過ぎている。
話が立て込んでいるのか、それとも、緊急の出撃要請が舞い込んできたのか――――。
新太さんの現清桜会における立ち位置を考えると、仕方のないことだとは思う。
『三妖』玉藻前を単身撃破した功績。
それは、劣勢が続いている現状、是が非でもすがりつきたい希望。
……そして、新太さんはどこまでもそれに応えようとする。
――――大切な人たちを、守りたい。
そう、新太さんは言った。
だからこそ、ウチは――――。
「……!」
カランコロンと入り口の小さな鐘が鳴り、店内へと入ってくる一人の少年。
どこか焦った表情で、「待ち合わせしてまして……」とマスターに話しかけ、そしてウチのいるカウンター席を案内されている。
「っ……!」
ウチの姿を見つけ、嬉しそうな、でもどこか申し訳なさそうに眉を八の字にしているのが分かった。
目線が合った瞬間、心臓がその拍動を強める。
栗毛の頭が小走りに合わせ、揺れているのが可愛い。
「っ……来栖、ごめん遅くなった……!」
ウチの隣の席に腰を下ろし、手刀をきる新太さん。
「……呼び方、違う」
少しだけ頬を膨らまし、ウチはわざとらしくそっぽを向いてみる。
「……二人きりの時は、何て呼ぶんだっけ?」
すると、新太は少しだけ躊躇いの表情を浮かべ、顔を赤らめる。
ほんの少しの逡巡の後――――。
「――――まゆり」
そう、呟いた。
***
「招集内容は、辰巳さんから聞いたことがメインだったよ。
『破吏魔』の解体と、新設部隊の設立――――。
その指揮を辰巳さんが執ることと……そして、俺と京香が特記戦力として認定されること」
新太は注文したコーヒーに口をつけ、小さく溜め息をつく。
「特記戦力……?
それって……」
「……『北斗』が倒れた今、妖に対抗する象徴が必要らしい。
そして、現状それを担えるのが、俺と京香――――」
「それって……『北斗』と同じように、妖と……?」
新太はまゆりの言葉に首肯する。
つまりは、『北斗』の担っていた任を引き継ぐ、という形に他ならない。
対『暁月』特殊殲滅部隊『北斗』――――。
『暁月』による一連のテロ行為を防ぎ、本丸の殲滅。
それが、宮本新太と古賀京香に与えられた役割――――。
「……」
目に見えて複雑そうな表情を浮かべる、まゆり。
その心中が想像できない新太ではなかった。
矢面に立ち、妖、そして『暁月』と相対する。
その危険性を、新太は身に染みて理解していた。
そして、それは恐らくまゆりも――――。
「新太は、『狐』と――――闘える?」
「……!!」
それは、唐突な問い。
僅かに動揺してしまい、喉の奥が鳴る。
「ウチは……、ちよちよと闘れる。
そして、もう一度だけ。
一度だけでいいから――――ちゃんと話したい。
どうしてこんなことになったのか、ちゃんと聞かないと、このままじゃ納得できない」
強い意志の籠もった瞳で、まゆりは窓の外を眺めていた。
まゆりは既に、自身の身の振り方を決めている。
それは、どこまでも強く、固い――――。
「――――俺も、仁と闘う」
「……」
「アイツを止めるよ」
すると、まゆりは「……そっか」と呟き、視線を傍らへと向ける。
互いに何も言わないまま、束の間の静寂が支配する。
ただ聞こえるのは、店内に流れている小気味よいジャズのみ――――。
「――――どうぞ」
そんな静寂を破ったのは、テーブルに何かが置かれる音だった。
「……?」
音の方向を見てみると、傍らに立つ、先ほど新太が話しかけた白髪交じりの初老のマスター。
そして――――、テーブルに置かれている二人分の小さなパフェ。
「えっと……、注文していないんですけど……」
頭に疑問符を浮かべながら、パフェを持ってきたと思しきマスターへと声をかける。
すると、男性は年相応の皺を作りながら、笑みを浮かべた。
「サービスです」
「「……?」」
一体、何の……?
「今日で――――店を閉めます。
この店最後のお客様に、サービスです」
すると、マスターの言葉に、まゆりは「えぇっ……!?」と驚愕を滲ませながら反応する。
「新都も、色々と、キナ臭くなってしまいましたから。
ここいらが引き際だと思いましてね」
「……」
「新たな戦禍に晒される前に、私も地元へ帰ります。
きっと、同じ考えの者も多いのでは無いかと」
『暁月』による配信、泰影は今年最後の大晦日、新都にて、宿願を果たすと、そう言っていた。
――――宿願。
それが何を意味するのかは分からない。
しかし、これまでに『暁月』が行ってきたことを考えると、自ずとそれが良い結果を生み出すモノではないことは、何となく理解できる。
ましてや――――新都は今年、多くの血が流れた。
人為的な大霊災に始まり、度重なる『暁月』の侵攻。
統計上、人口は年度当初より35%弱減少した、と言う話も聞いた。
しかも、至る所に戦禍の爪痕が残っている。
それが意味すること。
それは、新都は既に安全な場所ではなくなってしまった、という一つの事実。
「その制服、泉堂学園のもの、ですよね。
お二人は、新都に残るのですか?」
「……はい」
新太は軽く顎を引き頷くと、マスターは神妙な面持ちになり、「……そうですか」と呟く。
――――陰陽師に対する世間の評価は、今や厳しいものとなっている。
「新型」と「旧型」を巡る諍いに、多くの一般人が巻き込まれ、日本国の治安を大きく乱している現状。
元々は一治安維持機構だったはずの「陰陽師」。
それが今や、「陰陽師」としての存在意義に端を発し、生存競争のような局面に移り変わりつつある。
当事者としては、ただ式神を振るい、全身全霊で抗うのみ。
しかし。
守るべき者達がどう考えているかは、火を見るよりも明らかだった。
「……」
申し訳なさから、新太は頭を垂れ、唇を噛み締める。
マスターの男性の言葉が、今になって重くのしかかってくるようで――――。
「――――私達の新都を、お願いします」
「……!!」
見上げた先、そこには先ほどまでと同様に穏やかな笑みを携えたマスターの姿。
糾弾する様子もなく、ただ静かにマスターは言葉を紡ぐ。
「これは、貴方達のような若者に、頼むことではないと思います。
でも、年老いた老人の『願い』として聞いて欲しい」
「――――また新都で、私はお客様を迎えたいです」
「……」
「餞別です、ぜひ食べて下さい」と、そう言い残し、マスターは踵を返した。
「……」
その後ろ姿を二人で見送り、そして今しがた卓上のパフェへと同時に視線を向ける。
チョコっぽいムースの上に、生クリーム、お菓子やらサクランボが乗ったそのパフェを一瞥し、まゆりは「頂こっか」と呟いた。
「……これから、どうなっちゃうんだろうね、ウチ達」
「……」
細いスプーンで生クリームをすくい、口に運ぶと、甘い香りが鼻腔を抜けてゆく――――。
――――どうなっちゃうんだろうね。
脳内でまゆりの言葉を反芻させる。
それは、俺達陰陽師のこと。
それとも「新型」、「旧型」。
劣勢故に「抗う」しかない現状。
次から次へと浮かぶ、可能性。
そして、即座にそれら全てを否定する
まゆりが言いたいのは、きっと――――。
「――――新太」
「……?」
横を向くと、小首を傾げ、頬を微かに染めたまゆりの姿。
「――――」
不意に、閉じられる瞳。
それが何を意味するのか――――。
心音が高鳴るのを感じながらも、新太は唇を引き結ぶ。
終焉へと着実に歩み始めている街。
そこから去りゆく、数多の人々。
来たる血戦の日はたった二ヶ月後。
それは勝機の無い、無謀とも言える――――。
胸に残る不安は燻ったまま。
ただ誰もいない店内で、新太とまゆりは静かに唇を重ねた。
互いの存在を確かめ合うかのように、何度も。
ただ、静かに。




