第204話『布告』
「辞めたけどね」
そう言いながら、辰巳朱里、とそう呼ばれた女性は煙を吐き出した。
すると、秋人は目を見開き……その動きを止める。
何を言っているのか分からない――――。
そんな表情を朱里へと向けながら、「……え?」と零す。
「たった今、辞めてきた。
話の通じない馬鹿と喋るのは労力を使うからね」
「……それって、どういう……」
朱里は驚愕に瞳を見開いている秋人を一瞥し、つまらなそうにその先の言葉を紡ぐ。
「……上層部は、『暁月』との徹底抗戦を謳う派閥、共生を是とする派閥に完全に二極化している。
―――――くだらないだろう?
客観的に現状を見ることができる人であれば、その議論そのもの自体が不毛であることに気付く」
「……」
朱里の言うことは、新太も頭ではなく感覚で理解していた。
新太だけではない。
今この部屋に集められた者は、多少なりの差はあれど実際に『暁月』と相対した者達ばかり。
それ故に、胸に抱くことは皆同じだった。
「――――まだ、上層部連中は、我々「新型」が『暁月』に対抗できると思い込んでいる。
先の一件を、『教訓』として何も生かしていない……」
つまらなそうに紫煙の漂う先を見つめる朱里。
モヤモヤと理事長室の上方を対流する、行き場を失った煙。
その生まれる軌跡を横目に、朱里は慣れた手つきで携帯灰皿に灰を落とし、再度咥え吸う。
「……『暁月』は、私たちを遥かに凌駕する戦力を有している。
それ故に、私たちが取れる手段はたった一つしかないんだ」
すると、それまで黙っていた京香がゆっくりと目を見開いた。
「――――ただ、抗うだけ」
腕を組みながら静かに呟く京香。
すると朱里は、「その通り」と、火のついた煙草の先端を京香へと向ける。
「全てにおいて、後手に回っている現状。
唯一の希望だった『北斗』も潰された……」
「……!」
新太の目線が向かう先―――――それはソファに座る、この場唯一の『北斗』。
―――――鷹羽真幌。
まほちゃん先輩は、朱里の言葉を聞いた途端唇を噛み、静かに俯く。
その様子を見た朱里は煙草を咥え、フィルターを噛み――――傍らに煙を吐き出す。
「……失礼。
配慮が足らなかったね」
「……いえ、そんなことは……」
笑みを浮かべてはいるものの、真幌が両の手で制服の端を握りしめているのを、まゆりは見逃さなかった。
『北斗』第七星、鷹場真幌。
彼女の置かれている状況を思えば、そのやるせなさを想像できないまゆりではない。
真幌以外の『北斗』は先の戦闘でその大半が重傷を負った。
身体の欠損に留まらず、今も意識の回復も危ぶまれるほどの瀬戸際を行き来しているとも聞いている。
ただ一人、「無傷」で先の一戦を生き延びてしまった―――――。
その事実こそが、真幌を苦しめることを知っていた。
まゆり達に出会った当初、まほちゃん先輩は他の『北斗』のメンバーを「怖い」と言っていた。
しかし、まほちゃん先輩と親交を深めるに従って、「鷹羽真幌」という人となりを知った。
『北斗』である以前に、そもそも一人間として慈悲深い。
他人を思いやり、他人のために自身の命を懸けることができる。
そんな心優しい少女が、仲間の現状を憂いているのは極々自然のことのように思われる。
「……私が『北斗』として、やならければいけないことは分かっています。
そしてそれは……辰巳さんがおっしゃる通りのことであることも」
「……。
『抗う』。
そう、それしか我々に選択肢はないんだよ。
奴らの圧倒的な力によって滅ぼされるか……それが嫌なら、抗うしかない」
「私たちに残されている道は、それだけ」と、朱里は懐から二本目の煙草を取り出し、火をつける。
「「「……」」」
部屋中にいる者は、皆一様に口を紡ぐ。
朱里の口にしたことが妄言虚言の類ではなく、ただの「事実」であることを実感していたからである。
静寂。
重苦しい雰囲気が、朱里の吐く煙と共に部屋中に立ち込める。
やがて、新太には誰かが深く息を吐く音が聞こえたが、そのタイミングで秋人が静かに口を開いた。
「……今こうして僕達がここへ集められたのも、『抗う』ためですか?」
「……」
朱里はその問いに答えることなく、壁掛けの時計を見やる。
部屋に集う者達も、つられるように視線を向けると、長針と短針が指し示すのは――――「16:15」。
定刻は16:20。
そしてそれは、辰巳朱里による招集時刻ではない。
この部屋にいる誰もが、それを理解していた。
「それは……、『暁月』のご意向とやらを聞いてから、話そうか」
***
同刻―――――。
「全快、かな?
玉藻」
「……うん。
大丈夫」
艶やかな単を身に纏い、自身の数多の尾に埋まるシルエット。
……光源一つない闇の中に横になっている一匹の妖狐。
その両目が獣よろしく怪しい光を放っている。
控えめに欠伸を噛み殺している『玉藻前』を、泰影は目を細めながら満足げに見つめている。
数日前、宮本新太によって風穴を開けられた腹部は既に元通り塞がっている。
一時は衰弱し、雀の涙ほどになってしまった霊力も回復し、平常時の出力を取り戻していた。
まさしく「三妖」に相応しい回復力と身体強度。
「―――――もう、皆揃っているよ」
すると、玉藻は目の端に滲んだ涙を拭いながら、その場にゆっくりと起き上がった。
「……そう。
妾が、最後」
起き上がった玉藻に対し、泰影は羽織を翻しながら頭を振る―――――。
「さあ、行こうか」
およそ、十六時間前。
とある動画投稿サイトに、一件の配信予約がなされた。
配信のタイトルは――――、『宣戦布告』。
配信元は『暁月』。
現在進行形、世間を混乱へと陥れているテロ組織の名が記載されてあるその配信は、瞬く間にネットで拡散された。
『旧型』の陰陽師によるテロ組織の愉快犯を疑う者。
ついに本丸が世間に向け声明を出したと騒ぐ者。
ネット内、そして世の人々の反応は多種多様―――――。
しかし。
数多の人間が、その動向に注目しているのだけは紛れもない事実。
「……」
泰影とその後ろを歩く玉藻が足を踏み入れたのは、とある一室。
その中では多くの人影やら人ならざる存在が雁首を揃え、自分たちの行く末を明示してくれる主導者の到着を待っていた。
「お待たせ」
「……泰影さん、遅いです」
糾弾するような八千代の膨れた顔を一笑に付し、泰影は自身の背後をチラリと流し見る。
「いやぁ、すまない。
文句は玉藻に言ってくれ」
矛先を向けられた当の本人はすまし顔。
明後日の方を向きながら、袖で隠しながら欠伸を一つ。
「皆、揃っているね」
泰影の言葉に返事をするものはいない――――。
しかし。
泰影はその沈黙を肯定と判断し、口の端に笑みを浮かべた。
「―――――カッコよく、キメようね」
10月26日土曜日、16:23。
配信開始前にして同時接続数は既に400万を突破。
多くの人々が固唾を飲み、各々の手に握りしめられた、ないし眼前の端末の画面を見つめる。
そして。
それは、唐突に始まった――――。




