第201話『黑』
「っ――――」
崩れ掛けのビルを出た、まゆりの前に広がる光景。
それは酷く現実離れした、ここが戦場と忘れてしまうような光景に、まゆりはただ息を呑む。
炎上を続ける炎も。
地面を濡らす、誰のモノとも分からない血痕に至るまで。
何もかも――――。
薄汚れた破壊の跡が、微粒子へと姿を変え―――――暖かな光を発しながら宙へと浮かび上がってゆく。
それは、まるで満天の星空の下にいるかのような。
そんな――――幻想的な光景。
上空へと立ち上り、空を覆っていた白煙も次第にその量を減らし、一筋の光が差し込んでくる。
――――それは紛れもない、陽光。
ドス黒い世界の中に現れる光。
それが照らすのは、一人の少年。
光り輝く粒子をその身に集めて尚、その「黑」は明度を落とす――――。
「綺麗……」
その神々しい光景から、まゆりは目を離すことができなかった。
***
自身の周囲に積み上げられた瓦礫が、淡い光を放ち消滅してゆく様を、秋人は薄れてゆく意識の中で感じていた。
「っ……」
――――何が、起こって……。
秋人は気力だけで身体を起こし、辛うじて動く右手を何とか這わせ、その全容が見える位置まで、軋む全身を引きずるように移動する。
そして。
ぼんやりとした視界に飛び込んでくる――――「黑」。
光を集めながらも尚、高まる「黑」の密度。
「……あら……た」
遙か彼方にいる、「黑」を纏う少年。
それが「宮本新太」であることを、秋人は半ば直感的に理解した。
――――この、発現事象。
この、力。
新太の全身を包むのは、既に「霊力」と定義される類モノではない。
あの玉藻と同等の――――。
……いや、それ以上。
周囲の物質を分解し、自身の身体に馴染む霊力として分子レベルでの転化が、行われている――――。
「……新太」
秋人は最後の力を振り絞り、自身の目の前に佇む少年へと笑みを向ける。
――――君が、奴を。
***
「……お前。
彼の泰成と同じ」
玉藻は、心の底から溢れ出る笑みを押さえることができなかった。
蔑み、見下し、馬鹿にしていた童が纏う、「黑」色の光――――。
熾光。
妾達と同じ段階に、ただのヒトである陰陽師が至った。
その信じがたい事実は、玉藻が久しく忘れていた感情を呼び覚ます。
伝説の「三妖」、玉藻の前。
自身と匹敵する濃密な熾光の奔流に、全身の神経が逆立つ感覚を味わう。
そして――――。
自身の充填しうる、全熾光をその身に宿す。
呼応するかのように、鳴動する大地。
衝撃波を伴う風圧が、質量の軽微なモノから彼方へと吹き飛ばす。
生命力を極限まで熾し、昇華――――。
それは紛れもなく、玉藻の臨戦態勢に他ならない。
「……」
その様子を一瞥し、新太は空いている左手を宙へかざした。
『……!』
その左手に、集まってゆく――――熾光。
そして。
形作られる、一振りの黒刀。
「――――『黑威、閃慧虎徹』」
転瞬。
玉藻の細い首を、黑の凶刃が撫でる。
息のかかりそうなほどの至近距離に、いつの間にか肉迫していた童。
『っ――――!』
強引に身体を捻り、自身の躁演する数多の尾で牽制をしつつ回避。
そのまま物理的に距離をとったのも束の間。
自身の首を伝う鮮血に、玉藻はその呼吸を乱す。
斬られ――――。
『っ……!!!!』
不意に自身の身に生じる、違和感。
それは玉藻の背後。
「……」
振り向くと、そこには。
黒刀を振り抜く、一人の少年。
彼の剣線は熾光と共に揺らめく数多の尾の一つを、捉えていた。
スローモーションのような、ゆっくりとした刻の流れの中で。
毅然とした美しい毛並みを持つ尾が身体から離れ、霧散していく様を玉藻は凝視していた。
『っ――――小癪っ!!』
――――意識外からの二撃。
両の手に得物を握っている故に、手数も単純に倍――――。
しかし。
『『三妖』を、舐めるなよ。
――――童』
――――妾は、『玉藻の前』。
遅れは、とらない。
思考も、肉体も、その悉くを捨て置け。
『っ――――!』
玉藻が委ねるのは、身体に備わりし反射。
熾光を纏わせた尾で黒刀を受け、周囲へ光の粒子が飛び散る。
新太から発される殺気へと反応し、自身の身体を強制的に反応させる――――。
そう。
あの陰陽師のように――――。
玉藻の脳裏に浮かぶのは、先の情景。
『北斗』、速見幸村との一戦。
「っ――――」
新太の黑い熾光が、その眼孔と共に揺れた。
『っ……!!』
玉藻の背後、それすなわち、死角からの一撃。
一太刀を受ける度に、微細な粒子が宙を舞う――――。
その間に第二、第三の刃が玉藻に到達。
連撃に次ぐ連撃。
高速を越えた高速――――。
呼吸の暇すら与えることのない、熾光の輝き。
目で追う暇などない、高速を越えた――――新太の『加速』は。
『伝説』に、肩を並べる。
『はっ……!!』
――――なんだ、これは。
『はははっ!!!』
声を上げて笑うなんて、はしたない。
美しくない。
しかし――――。
玉藻はこみ上げる笑みを、抑えることができなかった。
ただ楽しくて、愉しくて、仕方がなかった。
これが。
これこそが。
妾の求めていた――――。
『っ……!!』
黒刀を弾き、新太の身体に生まれた僅かな隙。
それを歴戦の覇者である玉藻が、逃すはずがない。
即座に新太の身体に鋭尾を叩き込み、追撃――――。
体勢を立て直そうとした瞬間こそが――――好機。
「……っ」
新太の顔面に迫る――――玉藻の尾。
好敵手を殲滅せしめる玉藻の最大最高密度の熾光が、新太の瞳に映る。
しかし。
その尾が、新太の顔面を捉えることはなかった。
『……!!』
頬を擦るようにして、新太の後ろへと抜ける玉藻の尾――――。
――――此奴、臆することもなく……!!
新太の頬から滴った鮮血が滴る先――――それは、左手に握られた黒刀。
時間にして刹那の流れの中で、玉藻は黒刀が宙へと霧散するのを見た。
そして。
左手に顕現する――――焃い刀。
「『黑威、蛍丸』」
転瞬。
玉藻の全身を、業火が包みこんだ。
『――――――!!』
――――。
熱い。
何故。
「炎」など、妾には……。
自身の身体を取り囲む業火の最中、輝く黑色の微粒子――――。
これは。
――――『熾光』を、付与した陰陽術。
『っ……!!!』
玉藻の全身を包む、白銀の光。
『熾光』による陰陽術を、同じく『熾光』を以て制する。
『童……、お前の術など……』
徐々にその勢いを衰えさせる焔。
――――しかし。
『っ……!!!』
玉藻が全身を熾光を漲らせた瞬間。
――――先ほどの比でない、滅却の絶炎が全身を包み込んだ。
『っ……な、ぜ』
「――――今、『蛍丸』の発火指定対象は、お前のその『光』」
――――光。
つまり今、燃えているのは、妾の熾光。
業炎の最中、眼前に佇む少年。
その左手に握られた日本刀は、ただ朱い光を発し――――童の熾光と共に揺らめく。
その真っ直ぐな瞳からは、未だ衰えぬ計り知れない固き意志の色――――。
――――何だ。
此奴は、一体――――。
『――――至上の、気分』
「……!」
『ふふっ……、はははっ、あはははははははははははっ!!!!!!』
業火を身に纏い、嗤う一匹の妖狐。
爛れた皮膚の最中、見え隠れする狂気をはらんだ瞳。
苦悶に喘ぐわけでもなく、怒りに打ち震えるわけでもなし。
ただ――――玉藻は自身の内から沸き上がる「愉悦」にその身を委ねる。
『良いっ!!
良いぞ、新太ァっ!!!』
玉藻へと収束を始める――――熾光。
同時に。
『蛍丸』の発現事象により爆炎がその勢いを増すが、そんな事は気にも止めない。
ただ、玉藻はこの状況をどこまでも愉しんでいた。
「……」
眩いまでに収束を続ける玉藻の前の力を前に、新太は『蛍丸』の発現事象を解除。
熾光を集中させる玉藻の真意を理解し、眼前の妖狐同様に自身の熾光を肉体へと――――。
新太の足下、同心円状に地面が抉れ、煌めく輝きとなって宙へ。
崩壊しかけのビルも。
破裂した水道管から溢れる、行き場を失った水の一滴に至るまで。
輝く光が更にその光度を増し、そして、新太の前に集まってゆく――――。
***
――――新太さん。
まゆりは両の手を胸の前で組み、目の前の偉容を視界に収めていた。
人智を越えた、濃密で純粋なまでの『力』の塊が二つ。
それには、近づくことも叶わない。
ただのヒトであるまゆりは、静観していることが唯一できること。
「っ――――」
意図せず、組む手に力が入る。
――――ウチができることは。
ただ、祈ることだけ。
まゆりは、今にもぶつかり合おうとしている『力』、その行方を――――想う。
***
『――――もう、いい?』
「……」
今にも決壊しそうな『力』の奔流をその身に宿しながら、玉藻は静かに嗤う。
玉藻の目の前に顕現せし――――月白の霊球。
耳の劈くような異音を発しながら、周囲へとその『力』の一端が溢れ出す。
その『力』に照らされ、触れた部分はその瞬間、「消滅」という結果へと至る。
森羅万象。
一切合切。
その理に抗える者など――――いない。
「……」
――――ただ、宮本新太を除いて。
新太は白銀に光り輝く日本刀を前へと突き出し、その切っ先へと一極集中させた熾光。
周囲の物質を分解、転化し、創り出す。
全てを飲み込み、自身へと隷属させる〝王〟の力――――。
「『竜笛』〝破〟ノ段――――」
『っ――――』
「――――『黑』」
神々しいまでの光と、万物を鎖す黑が――――今。




