第197話『たった一つの想い』
人影一つない、北区へと通じる通り。
そして、そこら中に乗り捨てられた乗用車。
その中にいた人たちは皆、既に近隣へのシェルターへと避難を完了させているものと思われた。
――――佐伯支部長による、「厳戒令」の発令。
それは、命の保証がないことと同義。
新都大霊災での一件で、ウチ達は知っていた。
思い知らされた。
それは――――いとも容易く、人の命を摘んでしまう存在がいるということ。
ウチ達がどんなに研究を進めて、研鑽を積んで、陰陽師として力をつけたように思っても。
それは、ただの錯覚。
人はその遙か彼方に君臨する存在を畏れ、崇め奉ることしかできない。
――――だからこそ。
「っ――――!」
ウチは、はやる気持ちを押さえることができなかった。
ただ自分の中に渦巻く気持ちのままに、足を動かしていた。
ただ、頭の中には――――たった一人の、男の子の姿。
「まゆりちゃんっ!!」
「――――」
後ろから追いかけてくる声。
でも、ウチはその声を無視したまま、ただ自身の持ちうる全霊力を充填し――――。
「待って、下さい!!」
「っ――――!」
不意に腕を掴まれ、強制的に動きを制止される。
それすらも振り切ろうとしたところで、「待ってぇ!!!!」という叫びが、閑静な通りに響き渡った。
それは、どこまでも悲痛な気持ちの込められた声音――――。
「……離してください」
振り向くと、その顔に玉のような汗を浮かべ、肩で息をしている――――まほちゃん先輩。
「心配なのは、分かります……!
私だって、第一部隊の皆……、幸村君や灯織ちゃん……、樹君のことが、心配なんですっ……!」
まほちゃん先輩は呼吸を整えながらも、何とか言葉を紡ぐ。
「でも……、私達が行ったところで、敵わないんです……!
仮設第一部隊の人達は、紛れもない……現清桜会の最高戦力。
その人達が、敗北してしまうような相手なんですよっ!?」
「……」
「闘ったらダメなんです!!
支部長が退却を命じたのは、そのため……!
私達の『全滅』を避けるために!
……次へと繋ぐために、支部長はっ!!」
「それでもっ!!!」
「っ――――」
「ウチは!
行かなきゃいけないの!!
支部長の想いも、もちろん知ってる……!!
ウチが行ったところで、どうにかなる相手じゃないのも!
全部全部知ってる!!
分かってるよ!!!」
「……!」
まほちゃん先輩は口を固く引き結び、悲しそうな表情を浮かべた。
ごめんね、まほちゃん先輩。
――――でも、決めたんだもん。
ウチが、新太さんを助けるって。
そう、決めたんだ。
「まゆり、ちゃん……」
三年、鷹羽真幌先輩。
――――まほちゃん先輩。
この人は、本気でウチのことを心配してくれている。
まだ知り合って少ししか経っていないのに。
あの『北斗』は思えないほどに、優しくて――――。
「だから、ごめんなさい」
そして。
「――――ありがとう」
「――――!」
ウチの手に顕現した一丁の拳銃。
既にその銃倉には――――対悪霊特化型麻酔弾が装填されている。
まほちゃん先輩が息を呑んだのも束の間。
乾いた発砲音が、辺りに響き渡った。
「っ――――」
霧散する、まほちゃん先輩の霊力。
そしてその全身からは力が抜け、その場に崩れ落ちる。
「まゆ……り、ちゃん……!」
目を必死に見開き、自身の身体へと生まれた睡魔に必死に抗っていたけど、次第にその目は閉じられ――――やがて、健やかな寝息を立て始めた。
――――本当にごめんね、まほちゃん先輩。
でもウチは――――。
「っ――――」
まほちゃん先輩の揺れる長い睫毛を最後に視界に収め、ウチは踵を返す。
――――ただ、足を動かす。
燻る不安を掻き消すように。
目的地へと近づくほどに、これまでに感じたことのない異質な霊力が肌に触れる。
悪寒が身体を包み、冷や汗が背中や顔を伝う。
それは、この先にいる者への恐怖心が生み出す、身体的警鐘。
今すぐにでも、逃げたい。
怖い――――。
でも、それ以上に怖いものがウチにはある。
自分の命以上に大切な、失いたくないモノ――――。
「新太さんっ……!」
押しつぶされそうな感情を必死に耐えながら、ウチは。
14:56。
来栖まゆり、 新都北区屯田町、杉嗎通りへと現着。
――――何、これ。
火の粉と共に爆ぜ、吹き上がる業炎。
視界を埋め尽くす、ドス黒く変色した数多の瓦礫。
抉れ、捲れたコンクリートの残骸。
染みついたこの世のものとは思えない、どこまでも冷たい性質をはらんだ霊力の残滓。
硝煙と生き物の焼ける匂い――――。
そして。
そこらかしこに、散乱するそれら。
鮮血で塗れ、恐らく数刻前まで人だった、可哀想な――――何か。
直視、できない。
「っ……!」
込み上がってくる吐き気を抑えきれずに何度か咳き込み、涙で濡れた両の目を再度その光景を網膜へと焼き付ける。
北区随一の繁華街。
今、ウチがいるこの場所が、元々多くの人で賑わっていたとは、到底思えない。
戦闘による破壊の跡。
ここで何が起こったのか――――それを如実に表している残酷なまでの惨状に、まゆりはただ言葉を失う。
――――新太さんは?
「っ……新太さんっ!!
新太さんっ!!!」
叫んだところで、まゆりの声は炎上する杉嗎通りへと吸い込まれてゆく。
その声に応える者は――――誰もいない。
『――――ことろ、ことろ』
「っ――――」
不意に。
爆炎渦巻き爆ぜる最中に聞こえてくる、違和感を感じるほどに鮮明さを伴った声。
周囲を見回しても、やはり、まゆりの周りには誰の姿も無い。
しかし――――。
『どのこを、ことろ』
「っ――――!!」
――――涼やかなその声の聞こえる方へと、まゆりは走り出す。
『あのこを、ことろ』
脇目も振らずに、まゆりは燦々たる地獄絵図の中をただ走る。
ただ、導かれるように。
その先に何が待っているかなんて考える余地もないほどに、ただ一心不乱に。
『とるなら、とってみろ』
――――声は、すぐそこ。
転瞬。
視界が開けた。
「……!!!」
そこらかしこから現在進行形で白煙を上げている、クレーター状に抉れた地面。
それは――――中央区、新都大霊災の爆心地を彷彿とさせた。
察するに、強大な効果範囲をもつ陰陽術の発動。
それが敵か味方によるものかは――――判別不能。
様々な生体光子が交ざり、乱れ、周囲の空間に満ち満ちている。
その中心、混沌渦巻く中に、それはいた。
『――――ことろ、ことろ』
謳っていたと思われる、その声の主。
数多の尾が揺れる、花魁のような艶やかな着物を身に纏った絶世の美女。
さながら、『狐』。
しかし、その全身から発される霊力――――いや、これを「霊力」と定義するのは強引。
呼吸することすら躊躇いが生じる、生物としての段階を遙かに超越した――――圧倒的なまでの圧力。
「……!!!」
――――嘘。
『狐』よりも、ずっと――――。
「――――はて」
「っ……!!!」
全身が、硬直。
涼やかなその声は、まゆりの背後から。
見ていた風景の中に、今しがた見ていたはずの狐女の姿は無い。
――――いつの間に。
「――――このようなところに、いたいけな娘が一人」
まゆりの頬を、白いモノが触れた。
それが、狐女の周囲を蠢いていた尾であることに、一拍遅れて気付く。
――――ただでさえ今にも押しつぶされそうな中、全霊力を体中へ充填し、それに抗っている現状。
動けない。
動くことすら、叶わない。
ましてや、闘うことなんて――――。
「妾の熾光に耐えうるとは。
娘、お前も陰陽師か」
「っ――――」
ゆっくりと振り返ると、そこには無表情――――まるで地面を這いずる虫でも見るような瞳をこちらに向けている狐女。
「娘、何故このような所へ来た、申せ」
「っ……」
こみ上げる恐怖心を何とか噛み殺し、まゆりはゆっくりと言葉を発する。
「新太さんはっ……!
新太さんは、どこにいるのっ……!?」
「……?
あらた……?」
無表情のまま、玉藻はまゆりから出た言葉を口で転がす。
「――――知らんな。
なにせ……」
無表情だった玉藻の顔が、醜く歪む。
ただ面白かったモノを思い出すかの如く、蹂躙の記憶を反芻させているのか。
口の端を上げ、それを袖で隠す。
「――――多くの人間を、壊したからな。
分かるはずもない」
「……!!」
――――コイツっ……!!!
しかし、玉藻はやがて何かを思い出したように小首を傾げた。
「――――まて。
……そう言えば、そう何度も呼ばれている奴がいた。
『あらた』……、確かそんな名だった」
「っ――――新太さんは、どこっ!!!?」
まゆりの絶叫を受け、玉藻はゆっくりと指をとある方向へと指し示す。
無残なまでの様相を呈した瓦礫の間――――。
クレーターの傍らに辛うじて残っている、上階は既に倒壊し骨組みだけになっているビル群。
その中の、一つ。
「――――あそこに、逃げた」
「っ――――!!」
「覚悟もなく、ただ揺れる感情に定まらない霊力。
殺す価値もない。
遊戯にすらならない、あのような輩をまさに――――『おぼつき』という」
「っ―――新太さんっ!!」
玉藻の言葉を最後まで聞くこともなく、まゆりは走り出した。
――――今はただ、会いたい。
ただ、その顔を見たい。
それだけでいい。
唇を思いっきり噛みしめながら、滲む視界を手で拭いながら。
まゆりは走る。
新太の元へと――――。
「……」
――――強い娘。
走り出すまゆりの後ろ姿を、玉藻はつまらなそうに見つめながら、小ぶりな口で欠伸を一つ。
「強さ」とは能力や膂力、霊力の話だけではない。
妾に向かって来る人間は、皆一様に強い「想い」を持ち合わせていた。
先の男も、そう。
「あらた」とかいう屑のために、率先し命を捨てた。
「――――分からない」
いつの世も、「人」という矮小な塵芥の本質は何も変わらない。
その行動原理も複雑怪奇。
度しがたいこと―――この上ない。
玉藻はただ未だ炎上を続ける周囲の焔を見やり、そして――――その瞳を閉じた。




