第195話『子』
「っ―――――新太ァ!
下がれ!!!!」
「……!!」
宗一郎の叫びを背中で受けながらも、新太は全身全霊の霊力を手に握る『閃慧虎徹』へと込める。
―――――生半可な霊力の充填じゃ、話にならない。
十二天将と同調させ、全霊力を反撃へ回したところで、玉藻の足元に及ぶかどうか。
「はああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
裂帛の気合と共に、新太の全身から溢れ出す極黒の霊力。
先ほどの重力を操る童、そして雷の陰陽師とは明らかに異なる、目の前の少年から溢れ出す異質の霊力に、玉藻は僅かに心を動かす。
「……それ、見たことある」
「っ……!!!」
力任せに思い切り『閃慧虎徹』を振りぬき、玉藻の体を背後へと大きく飛ばす。
―――――『閃慧虎徹』、発現事象「加速」発動。
僅かな時間の刹那の中、思考も身体も、今この場において新太こそが最速―――――。
目の前に佇む玉藻へと肉迫、必中距離にして間合いの中。
確実に、殺る―――――!!
最大霊力充填。
玉藻の細い首筋目掛け、下段から斜め上方に式神を滑らせた。
――――――しかし。
「なっ……!」
今まさに、玉藻へと到達するかのように見えた新太の式神。
それを真正面から防ぐ―――――玉藻の尾。
発現事象発動下における超高速戦闘。
「加速」を、知覚して―――――。
「……ふふっ」
驚愕に目を見開く新太が捉えたのは、愉しげに微笑みを浮かべる一匹の妖狐。
その姿は、どこまでも美しく。
どこまでも凛と、まるで愛玩動物と戯れるかの如く。
「―――――主たちにできることを、妾ができないはずがない。
そうだろう? 人の子よ」
「っ―――――」
―――――俺達は。
人ならざる存在に立ち向かうために、力を欲した。
その力こそ、式神、発現事象―――――。
「伝説」はいともたやすく、そんな領域など、とうに超えた先に鎮座している。
「ほら、こんな風に」
周囲に展開される、眩いまでの閃光。
耳を劈く炸裂音を発しながら溢れ出す膨大なエネルギーの奔流。
それを、新太は見たことがあった。
何度も何度も、手合わせしたから分かる。
これは―――――。
「『建御雷神』っ……!」
新太の言葉を聞き、玉藻は馬鹿にするように雷撃を迸らせる。
「面白い。
古の神の名を、簡単に語るなんて」
転瞬。
玉藻の姿が、新太の前から立ち消える。
「っ……!!」
―――――大丈夫。
『建御雷神』とは、何度も闘り合った。
攪乱から反撃までの時間的齟齬や、その熾りなど、頭だけでなく体が覚えている。
玉藻が俺たちの式神を完全に再現しうるのならば。
対応しきれないはずが、ない。
しかし。
その思考こそ、「慢心」と呼ばれるものであることに、新太は気づかなかった。
―――――圧倒的なる格上は。
格下に策を講じない。
ただ純粋に。
「力」で捻じ伏せる―――――。
「っ……!!」
自身の遥か直下、地面を縫う光の奔流。
雷を纏う、数多の尾が新太の眼前へと迫っていた。
霊力を注ぎ込み、すんでのところで式神を構える防御態勢。
―――――しかし。
新太の黒刀、それは例え十二天将を同調させていたとしても。
「伝説」の前には、ひとへに風の前の塵に同じ。
「なっ……!!!」
乾いた音と共に、砕け散る黒刀。
宙を舞うその残骸は雷の光を乱反射し、そして消えてゆく――――。
得物を失った陰陽師。
それは反撃の手段を持たぬ、ただの人。
空いた新太の腹部に迫る、玉藻の凶刃と化した尾―――――。
「っ……させんっ!!!!」
今まさに新太を貫かんとする、その僅かな時間の間隙の中。
烈火に舞う紅蓮を、新太は見た。
「……!」
大きく吹き飛ばされる玉藻の体、その先を見送りながら新太は来訪者の存在を視認した。
「父さん……!」
「勝手に先行するな!!
お前は退却と言っただろ!!
行けぇ!!!」
決して目線は玉藻から外すことのないまま、檄を飛ばす宗一郎。
その手に握られた式神の霊力が、瞬間的に爆発する。
「『朱栄』、【終式】っ!!!!」
―――――【終式】。
その存在を、新太は知っていた。
陰陽師であり、「旧型」である父親の戦闘を、その鍛えられた数多の業を、これまでに幾度となく見てきた。
【終式】、それは言うならば「特別」を扱う「旧型」の陰陽師における―――――式神操演の奥義。
それを、いともたやすく。
いや、……違う。
【終式】でなければ、通用しない―――――。
「―――――燎原之火、『灼』!!!!!」
宗一郎の全身を纏っていた炎が瞬時に立ち消え―――――『朱栄』の刀身が紅く染まる。
朱く、赫く―――――。
「―――――!」
一瞬にも満たない微かな瞬きの中で、宗一郎は玉藻の懐へと飛び込んでいた。
そして―――――。
その手に携えた式神を、玉藻の煌びやかに彩られた着物へと当てた。
転瞬。
眩い閃光が新太の視界を満たし―――――轟音が轟く。
宗一郎の発揮しうる『朱栄』の最大火力、その一極集中。
行き場を失った焔が、清桜会の陰陽師を束ねる長としての矜持が、今まさに「伝説」へと放出。
数刻のラグを経て、爆風と轟音が大地を揺らす―――――――。
呼吸をも妨げる熱波を全身に受けながら、新太はただ爆心へと意識を向けていた。
「……!」
やがて開けた視界の中。
焦土と化した爆発地点を中心に、倒壊した周囲の建物の瓦礫が未だ炎上を続けている。
その、同心円状に抉れた地面の中心地。
そこには。
「っ……!!」
「……単が、汚れてしまったな」
信じられない表情を浮かべている宗一郎と、軽く着物に付着した煤を手で払う―――――玉藻。
―――――【終式】を、以てしても。
脂汗を浮かべる宗一郎に、ただ玉藻は微笑を浮かべる。
「っ……!!」
―――――式神をいともたやすく破壊し、父さんの「奥義」を意に返さない。
そんな化け物が、存在する。
父さんの言うように、退却するべきなのは目に見えて明らか。
いともたやすく式神を破壊し、有象無象を蹴散らす力を持つ。
言ってしまえば、奴の力は既に―――――神域。
人智の行き届かない、そんな遥か彼方の高み。
「ぐっ……!!!」
そんなこと、どうだっていい。
まだ俺は、立っている。
式神を振るえる。
そうだ。
近衛奏多だって、絶対に諦めない……!
だったら。
俺は。
「―――――まだ、俺はっ!!!!!」
再度、新太の手に顕現する一振りの灼刀。
『蛍丸』と『六合』を同調させ、玉藻へと肉迫―――――。
「……新太っ!!」
驚くように見開かれた父の横をすり抜け、刀を振りぬく。
――――――俺が、玉藻をっ!!!!
「―――――――え?」
「―――――童。
遊戯は終いと、言ったはず」
ただ、事も無げに。
玉藻は指で『蛍丸』をつまみ、つまらなげな表情を新太へと向ける。
そして。
――――――砕ける『蛍丸』の刀身。
それとほぼ同時。
新太の瞳に映る、自身へと迫る数多の尾。
濃密に凝縮された時間の中で、感じ取る命の終焉。
「死」への音―――――。
いずれ来るその時を思い、新太は瞳を閉じた。
「―――――」
何かが、新太の顔に滴る。
一粒、また一粒と、温かいそれは絶え間なく新太へと降り注ぐ。
その正体を確かめるべく、ゆっくりと瞳を開ける。
「……!!」
父の狩衣が、血で濡れていた。
その腹部からは強靭な尾が貫通し、夥しい鮮血が零れ落ちる。
「とう……さ……」
「ぐっ……」
口内から絶え間ない血を滴らせながら、玉藻の尾を一身に受けている古賀宗一郎は、新太へと目線を合わせた。
「……、何で……、何でだよっ……」
―――――何が、起こった。
新太の心が、魂が、現状の理解を妨げる。
理解したくない。
分かっちゃいけない。
―――――それだけは、確か。
「……馬鹿者。
親が、子を助けない道理が、あるか」
子。
誰が。
―――――俺?
違う。
俺は。
古賀宗一郎の、子じゃ、ない。
「……俺はっ、父さんの、子じゃっ……!!」
「息子だ」
宗一郎は、顔を歪め言葉を紡ぐ新太を遮る。
「お前は、俺の息子だよ。
――――新太」
穏やかな笑みを浮かべる宗一郎を、新太は信じられない心持で見やる。
「父……さ……っ―――――――!」
突如として身を焦がす豪炎が、新太を遥か後方へと誘う。
それは他でもない、『朱栄』の発現事象によるものだった。
「……っ!!」
地面を何度も転がり、そしてようやく慣性を思い出したかのようにその体が止まる。
起き上がり、再度父の方を見やると。
父の全身を包む―――――蒼い炎。
「っ……父さんっ!!!!!」
叫ぶ我が子の声。
宗一郎は、その顔に浮かべた穏やかな表情を崩さなかった。
そして。
その身へと、自身の最後の霊力を漲らせる。
最後の一滴。
僅かな微量も残さない霊力の充填。
周辺の温度が、上昇を始める―――――。
「……お前」
「……最後まで、付き合ってくれよ」
訝し気な表情の玉藻へと笑みを向け、そして―――――宗一郎は、陰陽術を発動。
それは、正真正銘、最後の―――――。
―――――京香、新太、すまん。
燐の焔が揺らめく中、新太は。
「生きろ」と。
父の口が、動いたような気がした。




