第191話『猛き狂者も、つひには滅びぬ、』
「コイツっ……!」
「どうして、当たんないのよ……!!」
晴臣の発動した、『夢現』の強制解除。
有栖の水流の操演をいともたやすくかいくぐり、その身を純白に染めた『狐』が宙を舞う――――。
発現事象の優先権を握っているのは、他の誰でもない。
不退転の輩、『狐』は、前衛として先行した晴臣の眼前へと躍り出る。
「……!」
晴臣のすぐ目の前に出現する、狐の面。
その奥からくぐもった声が聞こえた。
《お前らを潰せ、という命令が出されててな。
恨むなよ》
「っ――――!」
自身の出力を遥かに上回る霊力の乗せられた拳が、晴臣の腹部を貫く。
転瞬。
炸裂音とともに、清桜会本部の一室に生じた崩壊を更に加速させた。
「春っ――――」
《女を嬲る趣味はないんだけどな》
背後へと吹き飛ばされた晴臣の方へと顔を向けた有栖。
そのすぐ傍らで聞こえる声。
全身を瞬間的に包む悪寒とともに、有栖の脳内に捻出される、たった一つの答え。
―――――無理。
ウチたちレベルじゃ、相手にすらならない。
先日の古賀京香との一戦。
そこで改めて、思い知らされた敗北の味―――――。
自身が敵わない化け物が、まだこの世にはたくさんいる。
狭い箱の中で、王様気分で天狗になっていただけの俗物。
何が、『第三世代』だ。
有栖の心中を占めていたのは、純粋なまでの――――絶望。
目の前に迫る『狐』の拳を前に、有栖は、既に戦意を喪失。
身を守る霊力を体に充填させることすら忘れ、ただひたすらに心の中で後悔した。
どうして。
どうして―――――――陰陽師になりたいなんて、思っちゃったのかな。
瞳から零れる物を拭うこともせず、有栖は瞳を閉じた。
断罪の時は、すぐそこに。
「っ―――――」
しかし、『狐』の拳が有栖に達することはなかった。
《っ――――!》
僅かな間隙の中、『狐』へと振り下ろされる大鎌。
間合いを読み間違えないよう背後へ回避し、ようやく割って入ってきた来訪者の姿を視界へ収める。
「……させません」
支部長、佐伯夏鈴は霊力を全身から立ち上らせ、眼前に佇む対象への警戒を解くことなく、背後にへたり込んだ有栖へと声をかけた。
「美波有栖、退却してください。
貴方はもう……」
工藤晴臣が瞬殺され、有栖自身も今しがた身の危険に晒された。
加えて霊力の充填もままならない状況。
有栖がこれ以上戦闘を継続することは、とても―――――。
「有栖、退却です……!
さあ、早く……」
佐伯が背後を確認し、視界に飛び込んできたモノ。
「っ―――――!」
どこまでも暗くて、昏い―――――闇。
その瞳から夥しい涙を流しながら、有栖は力なく笑っていた。
―――――――。
継戦判断なんて、いらないほどに。
有栖は、とっくに―――――。
「っ……!」
動揺。
佐伯は。
背後の有栖の有様に、臨戦態勢だった霊力の充填をほんの僅か緩める。
その一瞬の隙を、黛仁が見逃すはずがなかった。
《―――――よそ見なんて、いい度胸してるな》
「っ――――」
暴力的な霊力の奔流が、佐伯を捉える。
それはどこまでの無慈悲に、仲間の身を案じることも許されない戦闘の僅かな間隙を縫った一撃。
砂塵を巻き込みながら天井へと突き刺さる佐伯の体を、来栖まゆりは信じられない心地で見ていた。
「っ―――――支部長っ!!!」
砂塵の中、浮かび上がる一つのシルエット。
それは、どこまでも弱者を叩き潰す意思を携えた―――――一匹の修羅。
その『狐』へと肉迫する、一つの影。
「狐ェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!」
明智流星は、目を血走らせながら自身の最大出力の霊力をぶつけ。
そして、そのまま―――――。
清桜会本部に空いた風穴から『狐』を巻き込み、外へと飛び出した。
全身を進む冷たさを感じながら、流星はただ『狐』を自由落下へと誘う―――――。
―――――支部長はっ……!?
流星と『狐』が飛び出していった先を見据えながらも、まゆりは佐伯の姿を探していた。
「支部長っ!!」
硝煙の立ち込める部屋に響き渡る、まゆりの悲痛な叫び。
清桜会本部中に響き渡る警戒音がそれを無情にも掻き消す。
「―――――大丈、夫」
ドサリと質量を伴った何かが、苦しげな声とともにまゆりの前方に落下。
その正体が、今しがた『狐』の一撃を浴びた佐伯であることを認識し、まゆりは駆け寄る。
「……支部長!」
「大丈夫、です。
まゆりと真幌で、有栖を安全な所へ。
早くっ……!」
頭部から鮮血を滴らせながら、切迫した声を発する佐伯。
揺らぎを生じさせた支部長の霊力では、先の『狐』の一撃を完全に防ぎきることはできなかった。
「大丈夫」とは言いながらも、状況は芳しくないのは目に見えて分かる。
「……流星が先行している今が、体制を立て直す好機。
まゆり、真幌、……お願いします」
「っ……!
まほちゃん先輩っ!!」
「は、はいっ!」
焦りながらも有栖を無理やり起き上がらせるまゆりと、傍へ駆け寄ってくる真幌を横目に、京香は今しがた流星たちが飛び出していった大穴へと足をかけていた。
「……私は、流星と『狐』への追撃を」
「待ってください」
ハッキリとした意志を感じる支部長の声音に、今にも外界へと飛び出す寸前だった古賀京香が、その動きを止める。
そして、自身を引き留めた佐伯へと睨みをきかせた。
「……どうして、ですか」
佐伯は何度か咳き込みながらも、京香の問いに答えるべく必死に言葉を紡ぐ。
「流星の様子が、おかしい」
***
「ひゃはははははははああああああっ!!!!」
《っ―――――!》
掴まれた面の隙間から、見える男。
涎を滴らせながら、目を血走らせている金髪。
麻薬中毒者さながらの風体に、仁は面の奥で眉根をひそめた。
降下するほどに加算される、落下のエネルギー。
それを一身に受けながら、仁は地面へと―――――衝突。
その衝撃はコンクリートを穿ち、周辺の様子と地形を一変させる。
ここが、新都大霊災の爆心地付近による、人の往来がない中央区であったことが、唯一の救い。
傍らに駐車している工事車両を爆散させ、傍らには火の手が上がる―――――。
「おいおいおいおいおいおいおいおいおいっ!!
まさか、これで終わりじゃあねぇよなぁ!!!!」
舞い上がる砂塵と熱波の中、響き渡る咆哮。
両の手を広げ、流星は今しがた叩き落とした対象を探す。
―――――殺れる。
俺が、『狐』を殺す!!!
俺なら、やれるっ!!!!
「出て来いよぉ!!!
こんなもんでくたばるわけ、ねぇだろ!!!!」
霊力を構成する生体光子は、人の感情に端を発する。
術者が冷静であればあるほどに、その出力は沈静化。
逆に。
憤怒や悲哀といった『激情』を抱えたときこそ、陰陽師が最も力を発揮する―――――。
《……》
声高に吠える流星を、仁はただ静かに見つめていた。
―――――明らかに、正気を失っている。
精神的な発現事象によるものじゃない。
他の式神。
それが影響を及ぼしているのなら、大なり小なり霊力に不純物が混じる。
奴の霊力からは、奴自身の霊力しか感じない―――――。
―――――第三世代。
式神を身体へと内蔵することで、新たな陰陽師の在り方を確立した。
それがもたらすのは、正の側面だけじゃない。
副次的な……効果。
……いや、そんな生易しいものではない。
これは言うならば―――――副作用。
《……》
砂塵の間を縫い、仁はゆっくりとその姿を流星の前へと現す。
「っ―――――!!」
獲物を見つけた肉食獣のように。
流星の鋭い眼光が、白銀に揺れる『狐』の面を捉えた。
「っ……消し飛べぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
宮本新太との戦闘で見せた、数多の光球。
その数―――――百八。
明智流星、内蔵式神『A.A.A.P.C.アマテラス』最大の陰陽術。
《……》
辺りがにわかに明るく照らされ、膨大な霊力が練りこまれていくのを、仁は屹立したまま静観していた。
戦略も、駆け引きもない。
ただ、相手を粉微塵に消し飛ばすためだけに、その昂る感情によってもたらされた霊力を行使する。
《……おい、お前》
「……っ!?
喋りかけんじゃねぇよ!!!」
顔を醜く歪ませる流星を気にする様子もなく、仁は言葉を紡ぐ。
《お前、第三世代だろ?
……何のために、お前は闘うんだ?》
「……そうそう!!!
俺様はさぁ!!!
第三世代様なんだよぉ!!!」
《……》
「何で闘うのかってかぁ!!?
つえぇからに決まってんだろうがぁ!!!!」
一転。
流星は恍惚とした表情を浮かべる。
大仰な身振り手振りを交え、目の前の『狐』を見据えながら、声を荒げる。
「最っ高だぜ、この力はよぉ!!!!
雑魚共の上に君臨できる!!!
女も犯せるっ!!!
俺が、俺自身が法になれる!!!
最高の世界だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
《……》
「それが俺の、存在意義っ!!!
第三世代としての矜持ィっ!!!!
!!!!
……なぁ、『狐』。
お前もよぉ!!!
俺の快楽のための礎 《―――――もういい》
《もう、いい》
仁は、ゆっくりと自身の顔を覆う面へと手をかける。
そして。
手に取った面を、外した。




