第190話『妖と人と』
式神の「二重起動」――――。
それは『北斗』発足時にはまだ構想段階の技術だった。
服部楓の提唱した、「周囲の生体光子を陰陽師へと収束させ、式神の起動へと転用する技術」。
それは実用化にはまだほど遠い現状があった。
支倉秋人による理論へのアプローチはさることながら、一般化への道を拒む一つの壁。
それは――――収束させた霊力を、術者へと完全に適応させること。
霊力を収束させること事態はそれほど難しい技術ではない。
しかし。
型の異なる血液を体内に入れたときに拒絶反応が起こるように。
収束させた霊力が術者の身体に合わない例が後を絶たなかった。
「服部楓」がいかようにして、その問題を解消したのか――――。
清桜会は未だに、その最適解へと辿り着いてはいない。
「……だからこそ、アレはあくまでも術者の霊力へ強引に転化させた上での運用を想定した、実験型。
『北斗』は、その身体自体が式神における「機構」の役割を担う」
「……!!」
「最も、そんな強引な改造ができたのは、類い希なる肉体強度を持つ彼だけだけどね」
口の端には笑みを浮かべながらも、秋人の頬を汗が伝った。
――――我ながら恐ろしい。
まさに、鬼畜の所業じゃないか。
うら若い少年を、自身の研究の実験のために身体を弄る。
それを「鬼畜」と呼ばずに、何と――――。
『……どうして、第三世代なんかを認可したんですか』
不意に。
傍らに佇む少年――――宮本新太から向けられた糾弾するような視線が、頭をよぎった。
新太の言うことは尤もだ。
それは非道な行いをする『北斗』をどうして生み出したのか、という問いではなく、僕自身のこと――――。
どうして、人体を弄び、その結果として、人としての理を侵すような行いができたのか。
そう、あの瞳は語っていた。
そして、それは……今も。
「っ――――」
新太は眉間に皺を寄せ、歯を食いしばりながら眼前の光景を見ていた。
この状況を、「勝機」ではなく、「悲劇」として捉えているのは明白――――。
どんなに自分の気持ちや感情を押し殺していても。
周りを寄せ付けないような態度をとっても。
やっぱり君は、どこまでも――――。
***
童から溢れ出す燐光――――いや、この時代の人間は「霊力」と呼んでいたか。
童の霊力が更に、増幅の兆しを見せる。
――――次は、どんな手で以て、妾をもてなす?
「……」
相手の持ちうる手の読みあい、演算に次ぐ演算。
それすなわち、異能者の超速戦闘が再度再開されようとしていた。
「っ――――」
幸村が、動いた。
真正面からの突撃はブラフ、そして死角へ回っての頭頂部への薙ぎ払いも――――――ブラフ。
視界でその行方を追いながら、僅かに揺らぐ幸村の霊力を頼りに玉藻はその連撃の先を予測する。
――――童の狙いは、右方死角からの打突。
いずれ来る攻勢の色を読み取り、自身の操演する数多の尾へと霊力を集中――――。
反撃を気取られないよう、意識はあくまでも童の方へ。
そして――――その時は訪れる。
「―――――」
玉藻の予測通り、色濃い霊力の残滓を残しながら、幸村の姿が立ち消える。
――――諦めの悪い奴。
自身の異能が妾に通用しないことは、先の一撃を以て知ったはず。
玉藻の右方死角。
誘い込みの手は、既に此奴には通用しない。
奴の異能は恐らく、戦況の解析による――――最善手の強制。
人の領域では絶対に出ることのできない「認知」と「反射速度」の壁。
目の前の童は既にそこを脱している。
陰陽師の異能―――それすなわち「式神」によるものであることに至るのは、容易。
だからこそ。
それを逆手に取ることができる。
玉藻は、あくまでも幸村の一撃一撃を捌ききることに徹し、奴自身に得られる情報を限定化した。
つまり、わざとらしく弱点を露呈させれば、奴の身体は自ずとそこへと動く。
幸村の拳が玉藻に届くよりも速く――――数多の純白の尾は幸村へと肉迫していた。
―――――そんなものに、頼っているから。
お前は、妾に負ける。
命の鼓動を強制的に停止させうる暴力的な霊力が、幸村の顔面へと迫る――――その僅かな刹那。
「―――――!!」
――――玉藻の身体が、地面へと引き付けられた。
体勢を崩した玉藻の尾は、無情にも空を裂く。
その様子を横目に、幸村は瞬間的に自身の持ちうる全霊力を振りかぶった右拳に充填。
「末那識」によって可能となった、他の追随を許さない霊力の奔流が周囲の大気を鳴動させる。
「――――それも、もう読めてんだよ」
体勢を崩された玉藻の尾の間隙を縫い、幸村の一撃が玉藻の顔面を捉えた。
霊力が爆ぜ、強制的に背後へと吹き飛ばす右ストレート。
「っ―――――!!!」
玉藻の身体は何度か地面を転がり、砂煙の舞い上がるビルの残骸へと勢いよく飛び込みその動きをようやく停止させる。
「……?」
口の端から滴る赤いモノを拭いながら、玉藻はゆっくりとその姿を起こす。
――――何が、起こった。
童が肉迫した瞬間、身体が言うことをきかなくなった。
身体が重く―――――。
「―――――重力制御」
「っ―――――」
ゆっくりと玉藻の方へと歩みを進める幸村。
その口の端には仄かな笑みが浮かんでいた。
今しがた幸村が呟いた「重力制御」という言葉。
それは幸村に搭載された二つ目の式神、『伊邪那美』の発言事象に他ならない。
先に述べた、『伊邪那岐』の弱点。
それは身体の行動を強制させられている、という点。
しかし。
その弱点を、術者である幸村が把握していないはずがなかった。
いずれ来る強敵の存在。
『伊邪那岐』の弱点を看破し、適応しうる存在に向け設計された速見幸村、二つ目の牙。
それこそが―――――『伊邪那美』による「重力制御」。
『伊邪那美』は、『伊邪那岐』による演算能力を上回る妖を仮想敵に据え、その敵性勢力の演算を狂わせることを目的とし、幸村の身体へと刻まれた。
重力。
それは、この地球に生きるものであれば、誰しもがその影響を受ける共通の外的因子。
霊力により力場の形成、それに伴う重力の発生――――。
一術者が制御しうる範囲では、非常に微々たるもの。
しかし。
戦闘の最中、時間にしてコンマ数秒、敵との間合いを狂わせる上では十分すぎる効果をもたらした。
そして――――。
「――――っ」
その場に起き上がろうとした玉藻の全身にかかる、強い負荷。
屹立した身体は、地面へと押し返される。
見えない何かに押さえつけられているかのように。
やがて、玉藻は眼前の少年へ許しを請うかのように、その頭を下げる。
「――――平伏せ」
***
――――現段階における、清桜会の最高到達点。
まだ年端もいかぬ少年が、目の前で蹂躙する「伝説の妖」を平伏させている。
彼に搭載された式神、『伊邪那美』による重力制御。
事象発現圏内に存在するモノが、一様に彼へと隷属する。
加えて。
対陰陽師戦における発現事象のイニシアチブは、術者の霊力出力に依存する。
速見幸村の重力制御を、玉藻の前が振り切ることができていない、というたった一つの事実。
それが意味するのは、霊力出力において、速見幸村が玉藻の前を凌駕している、ということ。
「……ここまで、とは」
秋人はただ、言葉を失っていた。
『北斗』第一星、速見幸村。
人の身でありながら、「伝説」へと歯牙をかける才。
陰陽師としての実力は、自分や古賀宗一郎を含めても、この場にいる誰よりも上――――。
まさしく、頂点。
この者こそが――――次代の、君臨者。
「アレが……、新世代の陰陽師……」
陰陽師を統括する実働部隊の長――――「至聖」、古賀宗一郎は新太や秋人の傍らで静かに息を呑んだ。
「旧型」の陰陽師ながら、清桜会に身を置き、日々悪霊や妖から人々を守るために連日連夜邁進してきた宗一郎。
その戦闘経験に裏付けされる実力を携えた、戦力の頭数としては申し分ない実力者だった。
しかし――――。
自分が、「玉藻」相手に善戦できる未来が見えなかったのもまた――――事実。
娘や息子と何ら年の変わらない少年への末恐ろしい敬意と、それを可能にした現代陰陽道の行く末を思った。
――――アレが、『北斗』の王。
新太は式神を持つ手に力を込めた。
敗色濃厚だったはずの空気が一転、今や目の前の陰陽師一人に、この場にいる誰もが希望を託し、祈りを込めている。
「伝説」に、対抗できる。
それは言い換えれば、敵対する「暁月」そのものに対抗できることと同義。
「北斗」の存在については、最初から懐疑的だった新太。
それはその素行もさることながら、その在り方による所が大きい。
人とは異なる存在になることを受け入れる。
その結果として、妖を殲滅できるほどの戦闘力を得られるのならば……。
――――しかし。
『北斗』の増長も、また事実。
答えなんて出るはずもないのは分かっている。
新太はただ、混沌とした心持ちで眼前の「王」から視線を逸らすことは無かった。
***
伝説の妖怪、「玉藻の前」。
頭の簪を揺らしながら、目の前に佇む少年へと視線を向ける。
――――人の子も、矮小な存在でありながら、随分と力をつけた。
遙か昔――――それこそ陰陽道全盛期に闘った術者とは、どこか異質な雰囲気。
それにして、妾に頭を垂れさせる程の燐光。
賞賛に値する。
玉藻の心中を支配していたのは、僅かばかりの充足感だった。
自分が眠っていた千年の間、人は研鑽と研究を積み、悉くの術を編み出した。
そして今、それを以て玉藻を追い詰めている。
ちっぽけな存在だった人間が、「伝説」へと上り詰めようとしている――――。
久しく感じていなかった高揚感を胸に、玉藻は静かに幸村へと笑いかけた。
期待を持たせてくれて、有難う。
刹那の愉悦らしき感情を、妾は、忘れない。
「――――遊戯は、ここまで」
「っ……!!」
凜と響き渡るその言葉と共に、玉藻の前はゆっくりとその場に起き上がった。
――――何だ。
生じる違和感。
幸村の霊力は依然最高出力を維持。
しかし。
眼前の妖狐、「玉藻の前」の霊力が増幅――――いや、違う。
別物に変化していくのを、幸村を含めたその場にいた陰陽師全員が同時に観測。
霊力が幾重にも折り重なり、密度を増す――――それを、幸村は過去に見たことがなかった。
「っ――――!!」
全霊力を込め、対象を補足。
しかし、発現事象を諸ともせず、ただ悠然と妖狐は歩みを進める。
「――――熾光。
人の理を越えた、神の力」
「な……に……?」
一歩一歩歩みを進めるごとに、力を増す玉藻の前。
幸村の制御から外れた束の間。
過去一切合切に至るまで、感じたことのない霊力の波動を、玉藻は全身から発する。
それは、どこまでも神々しく。
どこまでも煌々と熾えているような――――。
「――――こう?」
「ぐっ――――!!!」
転瞬。
幸村の全身を襲う、見えない何か。
それはまさしく。
今しがた幸村が玉藻に発動していた、――――『伊邪那美』の発現事象。
気を抜けば意識を持って行かれるほどの圧力。
「あっ……、かはっ……!!」
肺腑に残っていた空気が、強制的に外部へと放出される。
押しつぶされるような圧迫感に必死に抗いながら、幸村は目の前に立つ妖狐を見上げる。
瞳。
小さく、可哀想なものを見る――――瞳。
その瞳と視線が交錯し、幸村は半ば直感的に悟ることとなる。
――――伝説は、「伝説」たらしめる理由が存在するから、「伝説」。
分かったつもりで、理解していなかった。
どうして。
どうして、俺は……。
「伝説」を、圧倒していると思い込んでいた――――?
「――――平伏せよ」
「っ――――!!!」
幸村の頭が、勢いよく地面へと押しつけられる。
接地面はその威力によって擦れ、皮膚を削る。
耳障りな音と幸村の悲鳴が、周囲へと響き渡る――――。
「――――妾は『三妖』、「玉藻の前」」
「……!!」
「――――妾は、退屈」




