第189話『ただ、君臨者であるために』
速見幸村。
序列戦「朱雀」にて泉堂学園最高位の序列を獲得し、清桜会の次世代陰陽師「第三世代」としても、その頂点に君臨している少年に他ならない。
しかし。
彼の学園入学当初の成績は、あまり芳しいものではなかった。
記録上、一年時の最高序列は学年八十人中―――――十八位。
座学においては勤勉な姿勢を見せてはいたものの、式神躁演や実践演習の分野では、あまり目立つことのない生徒だったと、彼の当時を知る教師は語っている。
「可もなく不可もなく」。
それが、過去の速見幸村に与えられていた評価そのものだった。
そんな彼を取り巻く状況が一変したのは、二年時からである。
既に一年時から頭角を現していた古賀京香と異なり、式神躁演の天性の才も持ち合わせていない。
霊力出力においても、特に他の生徒と隔絶した実力を有しているわけでもない。
これといって得意な系統の式神も存在しない現状、一つの式神を徹底的に極めるという道も早々に諦めた。
幸村は、才能の無い者がいくら研鑽を積んだところで、その道のプロフェッショナルには到底敵わない、ということを入学してからの数ヶ月で嫌と言うほどに思い知らされていたからである。
故に。
所謂平々凡々、特筆すべき事が何も無い速見幸村は、自身の陰陽師としての活路を肉体活性に見いだすこととなる。
そして、それは極々自然な帰着点だった。
――――式神躁演の才能の差を、術者の肉体強度で補う。
言うは易し。
式神によってもたらされる「奇跡」を、相対する術者本人の肉体を以て肉迫しようとする。
それは言うならば、銃弾が飛び交う戦場に生身で特攻を仕掛けるが如き愚行――――。
人間、という矮小な存在では悪霊に対抗できない故に、生み出された殲滅兵器である式神。
一言で言ってしまえば、逆行。
同級の中には幸村を笑う者も少なくなかった。
そんなことは無理だ、と。
馬鹿げている、と。
しかし。
幸村はその道をただひたすらに信じ、研鑽を積んだ――――。
「……お前、強い?」
不思議そうな、でもどこか期待を感じさせるような微かな笑み。
自身の前へと歩みを進めてきた少年を一瞥し、玉藻は呟く。
「試してみようか?」
幸村の全身を纏う霊力の熾り――――。
ただの霊力装填では、ない。
「末那識」により、魂を霊力へと昇華し、「妖」という人智を越えた存在へと肩を並べんとする――――禁忌。
幸村は濃紺色のジャケットを傍らへと投げ捨て、その身に刻まれた発現事象を起動させる――――。
「……」
幸村へと手をかざす玉藻。
それに呼応するかのように、周囲に展開される濃密な霊力を内包した幾多の塊。
「っ――――!」
大気中を劈くような異音を横目に、新太は目の前の少年へと視線を向けた。
否。
既にそこに、少年の姿はなかった。
「……!」
――――殺気。
自身の背後。
コンマ集秒という僅かな間隙の中で、半ば反射的に玉藻は自身の周囲に展開した霊球を背後へと射出。
しかし。
幾多の霊力の塊は無情にも宙をきり、周囲のビル群を飲み込む。
「……!」
耳を劈く轟音。
崩落し、生じる砂塵の中で玉藻は再度霊球を展開した。
破壊の跡を確認する暇も無く、再度向けられる殺気の行く末を追う。
「――――鈍いな」
「……!!」
左方。
聞こえた声の方向へと一斉に霊球を集める集中砲火。
舞い上がる砂塵を一文字に薙ぎ払い、視界が開く―――――。
しかし。
そこに、幸村の姿は無い。
「っ――――」
――――気配が、読めない。
隙を与えているのに、どうして、反撃してこない――――?
「――――誘っているのが丸わかり」
「……!」
晴れる砂塵の中から現れる一つの人影。
うざったそうにその長い前髪を掻き上げながら、その口の端には仄かな笑みが浮かんでいる。
「反撃狙い……ってとこか」
「……」
玉藻は幸村の言葉に肯定も否定もしなかった。
格下相手にまともに取り合う気も必要もない――――と。
心の底から思っていたが故の閉口。
「そっちがその気なら、それでいい」
「……」
「――――真正面から、打ち抜いてやるよ」
玉藻が瞬きをした、一瞬のことだった。
自身のすぐ目の前に。
霊力を昂ぶらせ、高々と拳を振りかぶった少年がいた。
――――分かっていて尚、正面から。
玉藻が急襲を狙っている……という幸村の先の言葉は、嘘偽りではなかった。
「――――つまらない」
玉藻の周囲に、突如として出現する霊球。
それは、先ほどまで周囲を浮遊していたものではない。
霊力を極限まで抑え、その気配すら消し去り――――相対する者の知覚の外から食い破るための不可視の霊球。
眼に見える霊球だけに意識を向けるのは自明。
玉藻が急襲を狙っていることは、幸村に悟られていた。
――――しかし。
そんなことは、別に大した問題では無い。
悟られたならば、悉くの手段を以て滅すればいいだけのこと。
急速にその出力を増幅させる――――数多の霊球。
「――――さよなら」
――――お前も、妾を愉しませることはできない。
転瞬。
爆発的な霊力の奔流が、周囲に溢れ出し、その体を貫く。
「っ――――」
それと、ほぼ同時。
玉藻は、背後から何かに貫かれた。
***
「――――!!!」
新太の目の前で、玉藻の全身が宙を舞った。
制御を失った身体は、一直線に倒壊したビル群へと突き刺さる。
――――玉藻の霊球は、完全に必中距離。
回避は端から見ても、不可能。
俺の『閃慧虎徹』を以てしても、完全に避けきることなんて――――。
「これでも、『つまらない』か?」
今も尚、桁違いの霊力を昂ぶらせながらゆっくりと砂塵から姿を現す速見幸村。
無傷――――。
あの僅かな間隙の中を回避し、玉藻前の背後から。
不可能。
そんなことは、不可能だろ。
――――玉藻が何をしようとしているか、最初から分かってでもいない限り。
「――――未来予測」
「っ……!」
「それが、彼に搭載された発現事象だ」
新太の傍らに佇む支倉秋人は、真っ直ぐに幸村の鎮座する前方を見据えながら口を開いた。
――――式神名、『伊邪那岐』。
発現事象――――『未来予測』。
周辺の環境要因や刻一刻と変わりゆく不確定要素から起こりうる未来を演算し、得られた情報を外部へと出力する。
しかし。
その発現事象自体は、清桜会でも主要なものといっても差し支えない。
例を挙げるならば、記憶に新しい来栖まゆりが使用する改造式神、『ダネル』。
それは元を辿れば、霊獣型実習用式神『木霊』だった。
『虎徹』と並ぶ、泉堂学園で採用されている式神操演の基礎を養うための式神なわけだが、発現事象は周囲の環境的要素、刻一刻と変化する可変要素を観測する『状況把握』。
つまり――――言ってしまえば、『伊邪那岐』と同じである。
現状を解析した上で術者へとフィードバックする技術は既に確立されており、その扱いやすさから実習用にまで簡略化されている。
では。
『伊邪那岐』、はどの点で他の式神と差別化を図ったのか――――。
それは、「得られた情報を出力する時間的猶予を、限りなくゼロへと近づけること」。
幸村は、観測、演算した情報を元に、確実に勝利するための動きを自身の肉体へと強制したのである。
それ故の、先の動き――――もはや不可避といってもいい玉藻の一撃を回避し、あまつさえ反撃へと転じる業を見せた。
肉体へとかかる負荷を完全に度外視し、ただ勝利へと向かう機械の如く、プログラミングされた存在。
それが――――。
「そんな、ことって……」
「……もちろん、通常の人間であれば無理矢理強制される動きに耐えられないだろうね。
隙を生じさせるための、陽動や手数。
キメにかかる霊力出力に至るまで、全てを委ね、己が身一つで戦闘を行う。
そんな馬鹿げたことをそもそも最初からやろうとも思わないし、いずれ……どこかで自壊する」
「でも、彼は違う」と、秋人は続ける。
「自身の限界……いや、極限まで鍛えられた肉体。
それが、『伊邪那岐』の発現事象を、発現事象として昇華させている」
新太は、秋人の呟きにただ息を呑むことしかできなかった。
眼前の光景。
人の肉体を以てして、神の如き力を有する妖に相対している。
それがいかに異常なことか、理解できない新太ではなかった。
「……っ!!」
不意に宙に浮かぶ瓦礫。
そして、その中から姿を現す――――数多の尾。
「伝説」にその名を連ねること。
それが何を意味するか。
玉藻の身に纏う艶やかな着物や装飾品は一糸乱れることなく、ただそこに鎮座する。
あれほどの一撃を受けて尚、無傷。
「……」
玉藻の霊力が、揺れる。
「伝説」は、伝説たる所以が存在するから――――伝説。
「――――っ」
幸村の健脚が、虚空を薙ぐ――――。
しかし、すぐさまその姿が立ち消え、玉藻の右斜め下。
大振りのアッパーを以て腹部を捉えんとする拳を、玉藻はその数多の尾で以て受け止める。
――――見えている。
玉藻も戦闘の最中、幸村の発現事象に順応し始めている。
「っ……!!!」
再度、その姿を眩ませる幸村。
死角からの連撃と、その霊力出力で玉藻の動きを翻弄する。
純白に染まった数多の尾と霊球での応戦は、最早意味を成していない。
「……『伊邪那岐』の解析は、現在進行形で続いている」
「……!!!」
それが意味すること。
それは、戦闘が長引くほどに。
相手の手の内が知れるほどに
――――幸村の勝利を勝ち取るための体捌きは、更に洗練されてゆく。
「すごい……。
すごいよ、幸村っ……!!」
「まさか……本当に、奴に……」
先ほどまで顔色を変えて引き留めていた「北斗」の二人も、いつの間にかその瞳に期待の色を浮かべ、「伝説」相手に善戦を繰り広げている同級の姿を見ている。
「っ……はあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
「……」
互いに予測し合い。
相手の裏をかき。
相手の思考の、先の先の先へ――――。
「伝説」に立ち向かう、現代陰陽道の最高峰。
清桜会の持ちうる今日までに確立された技術をその身に注ぎ込まれた――――少年、速見幸村。
秋人は、既に自分を優に超える可能性をその姿の在りように見た。
――――しかし。
重ねて言う。
「伝説」は。
伝説たる所以が存在するが故に――――伝説。
「っ――――!!」
玉藻の禍々しい霊力の込められた尾が、僅かに幸村を捉える。
体勢を崩したところへ、突き刺さる第二第三の尾――――。
慣性のまま、幸村の身体は瓦礫の中へと叩きつけられる。
「……っ!!」
現代陰陽道の極致を、「伝説」が微かに上回り始める。
「っ……さすが、「伝説」だな」
口腔内から血の混じった唾を吐き、玉のような汗を額に浮かべて尚、幸村は霊力の充填を緩めることはない。
「……童にしては、なかなかやる」
玉藻の身を纏う霊力が、更にその密度と明度を落とす――――。
「……なぜ」
「……?」
「どうして、俺が第一星か、分かるか」
唐突に。
何の脈絡もなく唐突にそんなことを口走る幸村を、玉藻だけでなく新太も訝しげな表情を浮かべた。
――――一体、何のことだ?
『第一星』。
それはつまり、『北斗』内の序列のこと――――。
「人造式神をその身に宿す、『北斗』。
……コレは、その中でも俺だけだ」
幸村は自身の両腕をまくる。
そして顕わになる――――二枚の護符。
一枚は右腕、もう一枚は左腕にそれぞれ縫い付けられている。
「一体、アレは……」
「……」
その様子を静観していた秋人は、その口を静かに動かした。
「―――彼は、二本の牙を持つ」
「っ――――」
秋人の言葉を反芻する暇も無く、新太は幸村の霊力の熾りを見ていた。
そして。
幸村の腕に縫われた二枚の護符が、同時に鈍い光を放つ――――。
「二重起動――――、『伊邪那岐』、『伊邪那美』」




