第188話『傾城の妖狐は、絢爛にして酷薄』
刻は僅かに遡る――――13時58分。
新都北区屯田町、杉嗎通り。
「……ねえねえ、アレ」
「?
……うわぁ、すご……!
花魁ってやつ??」
「おい、お前ちょっと声かけてこいよ!」
「いやさすがに無理だろ……」
通りを歩く人々の目線を集める、一人の女性。
腰ほどまである長い黒髪の頭頂は、艶やかな金色の櫛と二本の簪が彩る。
山吹色の単を肩までずらし、その上から桃色やら月白色の蓮の意匠の施された仕掛を羽織りながら悠然と歩みを進める――――。
現代風に言えば「厚底」の下駄を履いていることも、誰かが言ったように、「花魁」という印象を与える上での拍車をかけているように思われた。
それは、昼下がりのメインストリートに不釣り合いなほどの存在感。
密かにスマホを向け、シャッターを切る一般人もチラホラと見受けられる。
「……」
自身に向けられる数多の視線を感じながらも、渦中の女性――――玉藻はそれを別段気にする素振りもなく、周囲の様子を伺っていた。
――――随分と、人が増えた。
「……」
「……うわ、こっち向いた!」
「馬鹿、反応すんなって……!」
突如向けられた玉藻の視線に顔を赤らめ、急いで手に持った端末をジャケットにしまう男子二人組。
しかし、スマホを向けていたのはその男子達だけではないのは眼に見えて明らかだった。
玉藻の眼を盗みながら、撮影を続けている者達の存在。
それを認知しながらも敢えて咎めることはなかった。
――――眠い。
袖で口元を隠しながら、玉藻は小ぶりな欠伸を一つつく。
僅かに涙で滲んだ視界に映るのは有象無象。
物珍しい生き物を見るが如く、やんややんやと囃し立てている。
そして皆、口を揃えて玉藻のその現実離れした美貌を褒めちぎる。
しかし。
――――それは、いつの世も変わらない。
千年……いや悠久の刻を越えても尚、「人」という矮小な塵芥の本質は何も変わらない――――。
自身に愉悦を与えてくれる者なんて、たった一握りであることを玉藻は知っていた。
――――嗚呼、何て。
「――――退屈」
転瞬。
玉藻は溜め息と共に、自身の霊力を解放した。
長い黒髪が、白銀に染まる――――。
***
――――貴方達は、現清桜会の誇る最高戦力です。
清桜会新都支部前に招集された面々《・》の前で、支部長はそう静かに告げた。
仮設第壱部隊。
部隊の基本指揮権は佐伯夏鈴から「至聖」古賀宗一郎に委譲済。
しかし、有事の際には現場各自の判断に任せ、古賀宗一郎の指揮下を離れてもよい、という「部隊」としての根幹を揺るがす特別措置が許可されていた。
その代わりとして、佐伯夏鈴の提示した交換条件。
それは――――対象を、確実に殲滅すること。
最後に支部長は「――――頼みましたよ」と、至極真剣な表情を以て新太達を見送った。
普段の笑みを封じた支部長の心中を察することのできない者は、その場において一人たりともいなかった。
***
「っ―――――」
新太は、眼前の光景に言葉を失っていた。
目標地点は、新都北区屯田町杉嗎通り。
そこは、新太も過去に何度か訪れたこともある北区随一のメインストリートに他ならない。
昼下がりの時分であれば、多くの人通りで賑わっているはずだった。
ましてや。
妖の現界が観測されたともなれば、喧噪の最中、一般人の混乱が生じていることは容易に想像できた。
しかし――――。
杉嗎通りを支配していたのは――――静寂。
存在するモノ全てが、その動きを止めてしまったように。
まるで、そこだけ刻が止まっているかのように――――。
「宗一郎さん……」
「これは……、一体……」
新太同様に息を呑む気配。
それは傍らにいる新太の養父、古賀宗一郎と支倉秋人のもの。
新太同様、目の前の光景をただただ傍観し、両者共に言葉を失っている。
静寂の正体――――それは、目の前の凄惨な光景そのものだった。
新太達、今しがた現着した仮設第一部隊の足下に転がるそれら。
穴という穴から鮮血を垂れ流し、そして――――全身を異様な方向へと無理矢理変形されたが如く関節をねじ曲げられた人の群れ。
足下に無情にも積み上げられた、夥しいほどの「死」――――。
苦痛を感じる暇も無く、瞬間的に茫漠たる「生」を断ち切られた残骸達。
中には、女性やまだ年端もいかぬ子供の姿。
感情が感じられない瞳が、ただ新太を覗き込んでいる。
その横たわる屍達の中心に、それはいた。
「……!!」
狐。
そう形容するのが、最も適当であると思われた。
『狐』と呼ばれている彼の陰陽師――――黛仁のように狐の面をつけているわけではない。
しかし、それ以上の表現のしようが無かった。
花魁のような格好をした薄幸の美女。
艶やかな装飾品に飾られた頭頂部には、耳のようなモノ。
そして、その見た目を最も『狐』たらしめている、意志を持っているかのように動く――――数多の尾。
「っ――――!」
――――コイツだ。
コイツが、この惨状を生み出した張本人。
言うまでもない、この光景がその裏付け――――。
「――――脆い」
「……!!」
新太達の方を見ることもなく、涼しげな声で以て周囲の人間の鼓膜を震わす。
「妾は、玉藻。
お前達は、どう?」
明後日の方向を向いていた玉藻の視線がゆっくりと動き――――新太と交錯する。
「っ……!!」
それは自身がかつて味わった恐怖。
全身にフィードバックする、あの時の記憶。
――――伝説の妖、大嶽丸。
夏の時候。
その足下にも及ばず、無様に戦線離脱を余儀なくされた甲冑姿の妖。
あの時と同じ――――別次元の存在感。
冷や汗が一筋、頬を伝うのを新太は感じた。
「アレは……、何だ……?」
これまでに聞いたことのないほどに緊迫した秋人の声音。
既に霊力を全身に漲らせているのを横目に、新太は歯を食いしばった。
仮設第壱部隊の課せられた命は、対象の殲滅。
あの化け物を、殲滅する――――?
一体、そんなこと……、誰ができると――――。
「――――『至聖』」
不意に。
新太達の背後から聞こえる、聞き慣れない声音。
「奴を殲滅するためなら、俺は貴方の指揮下を離れても良いんですよね?」
「……!」
その声は、新太達と同様に仮設第壱部隊に編成された、とある人物のもの――――。
ただ悠然と歩みを進め、向かう先には――――異形の狐。
「っ……幸村!!
あんな化け物……、どう考えても……!」
「速見……!」
「――――灯織、樹。
下がっていろ」
同じ『北斗』の制止を振り切り、新太の脇を抜ける一つの人影。
すれ違う瞬間、その長い前髪から僅かに見える瞳と新太の視線がぶつかる。
――――黙って見ていろ、と。
その瞳が語っていた――――。
『北斗』第一星「破軍」、速見幸村。
「第三世代」の頂点に君臨する少年は、ブレザーのタイを緩めながら対象へとの距離を詰める。
「……?」
自身へと接近する少年を、小首を傾げながら薄目で見やる玉藻。
そして――――軽く笑みを浮かべる。
「……」
幸村の意識は、最初から足下に転がる屍には向いていなかった。
新太達が玉藻の圧力に臆していた間も、この場において、只一人、闘う意志を滾らせていた。
――――それが。
「速見幸村」という少年の矜持。
君臨者としての、「誇り」。
「――――伝説の大妖怪にして、殺生石に封印されし九尾の妖狐。
玉藻前」
幸村は、思い切り前髪を掻き上げ、そして――――「良かったな」と呟く。
「……?」
その言葉の真意が分からず、玉藻は再度小首を傾げた。
「今日この日は。
お前を、二度目の封印へと誘う記念すべき日」
「……」
転瞬。
爆発的な霊力が、幸村と玉藻の全身を包んだ。
「――――覚えとけ。
俺は速見幸村。
お前を封印する者の名だ」