第185話『決意の月夜に』
新太さんの声が聞こえた。
嬉しかった。
でも。
今考えたら、浮ついた気持ちのまま部屋に入ったのが間違いだったんだと思う。
待機室には新太さんと、虎先輩、古賀先輩が立っていた。
新太さんは、うつむいていた。
後の二人は、新太さんへ厳しい目線を向けていた。
でもウチは久々に会う、新太さんの姿を見かけて本当に嬉しかった。
だから、声をかけようとした。
その時だった――――。
「――――別れた方が、いいのかもな」
新太さんは、そう呟いた。
後のことは、何も覚えていない。
ただグチャグチャな心のまま、走った。
走って走って。
ウチは、ここにたどり着いた。
「……」
見渡す限りの暗黒。
屋上には、ウチ以外の姿はない。
新都大霊災で壊滅した中央区の夜景だけが、ただ目の前に広がっていた。
「……」
ほんの少しだけ、明るい。
上を見上げると、そこには半月と満月の中間くらいの月が出ていた。
心許ない光だけが、ウチを照らす。
フェンスに手をかけ、しばしの間。
周りの風景を見ていた。
何も考えないようにぼーっとしているけど、頭はしっかりと覚醒していて、嫌だ。
「別れた方が、いいのかもな」
―――――どうして?
何で、そんなこと言うの?
「来栖、好きだよ」
病室で、そう微笑んでくれたのに。
ウチのこと……、好きって言ってくれたのに。
視界が、滲む。
自然に頬を伝う、モノ。
でも――――確かに。
ウチ達、思い返すとそこまで仲良くなかったのかもな。
初デートで、妖にお互いボコボコにされるし。
夜の浜辺での告白も、チンピラに邪魔されるし。
ようやく新太さんの怪我が治って、いっぱいイチャイチャしようと思ったら……失踪しちゃうし。
……え、思い返すと散々じゃん。
全然良いことない。
「……」
これまでに失恋なんて、たくさんしてきたじゃん。
その度にたくさん泣いて、甘いものいっぱい食べて。
友だちに、たっくさん愚痴を聞いて貰って。
そしたら、……笑顔。
笑顔で、頑張っていけた。
今回も同じ同じ。
きっと、大丈夫だもん。
「来栖」
そう新太さんが、笑っている。
いつもの優しい笑顔で。
お弁当作っていったら、すごく照れてた。
可愛かった。
キスの話したら、顔真っ赤だった。
愛しかった。
いつでも優しかったなぁ……。
序列も最下位なのにさ。
あんだけ人に蔑まれても、捻くれなかったのって普通にすごいよね。
どんだけ心広いの?
あーあ、闘う新太さんかっこよかったなぁ。
だからウチは、好きに……。
「っ……」
あ、やっぱダメ。
無理だ。
次から次へと溢れ出てくる涙。
考えるな、と思っても全然無理っ……。
「うっ……、ひぐっ……」
ダメダメ。
考えちゃダメなのに。
もう、いいのに。
拭っても拭っても、溢れてくる――――新太さんの笑顔。
いつでも、ウチの心には新太さんがいる。
無理。
無理だよ。
だって、好きだもん。
もう引けないくらい、好きになっちゃったんだもん。
フェンスに寄っかかって、そのままその場にうずくまる。
泣いても泣いても、きっと無理。
色々と頑張ったんだけどな。
我慢とか、たくさんしたんだけどな。
もっと、たくさん会いたかったな。
デートしたかったな。
抱きしめられたかったなー……。
大声で泣くのはうるさいかもしれないけど……、許してね。
今だけ。
今だけだから――――。
「――――まーゆちゃん」
「?」
「どしたの?
そんなに泣いて」
ちよちよだ。
え、何でこんなとこにいんの?
目の前に立っている親友を見上げると、ちよちよはいつもの優しい笑顔で微笑んでいた。
***
まゆちゃんが超泣いてた。
明日から本格的に『暁月』が忙しくなるから、最後の挨拶を、と思って来てみたんだけど。
月明かりの綺麗な屋上で、子供みたいにうずくまって大声で泣いている。
どうしたのかな。
宮本先輩関連かな?
多分。
「うえー……、ちよちよぉ」
「……はいはい。
どしたのー?
話、聞くよー??」
鼻を詰まらせながら、たどたどしく事の顛末を語るまゆちゃん。
ふむふむ、なるほどー。
宮本先輩がそんなことをねぇー……。
先輩も酷いなぁ。
こんな一途な子を泣かせるなんてさぁ。
ポンポンと背中を叩くと、それに合わせて涙を浮かべるまゆちゃん。
まぁ……。
何か宮本先輩がおかしくなっているーってのは、まゆちゃんから聞いていた。
その延長線のことだとは思うけど。
「うぅっ……ねぇ、ちよちよ。
ウチ、どうしたらいいの……??」
どうしたら……?
普段だったら、ここで相手の悪口で盛り上がって終わるんだけどなぁ……。
最後の最後まで恋愛相談って……。
でもまぁ、まゆちゃんらしいか。
制服のポケットに入れた護符に手をかける。
まゆちゃんは以前に「妄想性」の被験体として頑張ってくれた。
精神系の発現事象との相性は抜群に良いことは分かりきっている。
最後の最後に。
頑張ってもらうのも……いい。
***
いつだって、すがりつく相手はいつもちよちよだった。
いつでも正しい答えをウチにくれる、大親友。
もう分からない。
ウチは、どうすればいいの?
何をするのが、正解?
目の前のちよちよは少し困ったように笑い、そして。
「――――やっぱ、やめよ」と、ウチに向き直った。
「……?」
「まゆちゃん」
「……何?」
「まゆちゃんは、どうしたい?」
「どう?
どうって……」
「まゆちゃんは、宮本先輩と……別れたいの?」
「絶対に嫌!!!」
別れるなんて、考えただけでも涙が止まらなくなる。
それだけは絶対に嫌だ。
絶対に。
絶対に……!
「……うん。
他には?」
「他……」
最近の新太さんを思い出し、生まれる欲求。
「――――助けてあげたい」
「……」
「新太さんを助けてあげたい。
ウチは新太さんにたくさん、助けてもらった。
だから……、ウチも助けてあげたい……!」
すると、ちよちよは「答え、出てるじゃーん」と仄かに笑みを浮かべた。
「それが、まゆちゃんがやるべきことだよ」
「……」
「宮本先輩を、……助けてあげて。
まゆちゃん彼女でしょ?
困っているときに支え合うのが、彼氏彼女って関係だよ」
「そっか……」
「そうそう。
そうだよ」
「でも……ウチに、できるかな……」
新太さんは、何か大きなモノを抱えているのは知っている。
それをウチが……。
これまで、一線を引いていたけど。
ウチに、できることなんて……。
でも、目の前のちよちよは満面の笑みを浮かべた。
「できるよ」
「……」
「だって――――、来栖まゆりは「天才」なんでしょ?」
そう言いながら、ちよちよはウチの目の前に手を差し出す。
「ちよちよ……」
ウチの心に生まれる――――暖かいモノ。
さっきまで、ただ泣くことしかできなかった。
やっぱり、ちよちよは凄い。
ほんの僅かでも、希望と呼べるモノがウチの中にあることに気付かせてくれた。
「っ――――!」
ウチは差し出された手を取り、その場に立ち上がる。
「頑張れ、まゆちゃん」
「……うん。
ありがと、ちよちよ」
繋いだ手を強く握り、どちらともなく笑い合う。
そんなウチらを、ただ十月の冷たい外気が包み、月光が照らす。
絶え間なく流れていた涙は、とっくにどこかへと行ってしまった――――。
新太さんのために頑張ろう――――そう、心の底から思えた。




