第184話『千切れた、アイ』
あの日、あの時、あの演習の時と同じ冷たい性質をはらんだ瞳―――。
温度という温度の感じられない冷たさで、新太は虎達の方を見ていた。
「……驚いた。
何でここにいるのよ」
眉間に皺を寄せながら、部屋の中へと入る京香。
そして新太の傍らにあるソファにどっかりと座り込み、わざとらしく目線を逸らす。
その声には怒気が含まれていて、突然の来訪者に明らかに不機嫌になっているのが分かった。
その京香の問いに、新太は静かに口を開く。
「秋人さんと、待機室で落ち合う約束をしたんだ。
ただ……それだけ」
「……」
ピリついた雰囲気を一身に受けながらも、虎ノ介は中へ足を踏み入れる。
「……親父と話したんだって?」
「……」
「随分な物言いだったみたいじゃない。
恩知らずもここまで来ると、笑えるわね」
「――――別に。
育ててくれなんて頼んでいないのは、本当のことだ」
「っ――――!」
その場に立ち上がる京香。
瞬間的に沸騰する感情を唇を噛むことで何とか押さえ込み、京香は「……そうね」とだけ返事を返した。
何を話しているのかは、虎には分からない。
恐らく……。
二人の間にある「家族」としての在り方の話であることを察し、自分が出しゃばるべきではないと判断、それ故に虎は口をつぐんだ。
「アンタが何を考えているかは、知らない。
……知りたくもない。
でも、それに意味はあるの?」
「……」
「自分を内包する関係性を否定することに、本当に価値があるのかって聞いているの。
――――私達は……、別にいい。
アンタのことを、今更どうこう言おうとは思わない」
「……」
どんなに変わってしまっても、新太は新太だと割り切ることはできる。
新太とは長い関係だから。
苦楽を共にした間柄だからこそ、感覚的に分かることがある――――。
あえて意図的に俺達と距離を置いていることも。
それが、今の新太には必要なのだと言うことも。
京香の思いは、虎と同じ――――。
――――そう。
俺達は、別にいい。
「――――どうして、まゆりに何も言ってあげないの?」
部屋の中を、静寂が支配した。
「アンタ……、彼氏でしょ?
何も言わないのが優しさ、とか思っているのならお門違い。
まゆりは多分、今のアンタを、凄く不安に思ってる」
「……」
「アンタが変わってしまった、って。
何とかしてあげたいって。
あの子は強いから……、それを外へと出そうとはしないけど」
「……」
「……そうやって、黙っているだけ。
何もしないことが、一番の悪なのよ……!
自分だけ不幸みたいな顔するな!!
反吐が出るのよ……、今のアンタの顔を見ていると!!!」
糾弾する、京香の鋭い目線。
しかし。
新太は、それを正面から黙って受け止めているだけ。
感情のない表情は、動くことがない。
「……何とか言いなさいよ!!
新太っ!!!」
力ない新太の瞳が、僅かに揺れる――――。
「――――気持ち悪いだろ」
「……は?」
「記憶が無い奴と、一緒にいるなんて。
そんな得体の知れない……だったら、距離を置いた方が良い」
「アンタ……、何言って……」
力なく口角を上げながら、新太は再度京香と虎の方を見据える。
そして。
一言。
「――――別れた方が、いいのかもな」
と、言った。
転瞬。
虎の頭に浮かんだのは、寂しげに微笑む一人の少女。
『……新太さんは、今辛いんだと思います』
連絡すらまともによこさなくなってしまった、自身の彼氏を悪く言うこともなく、ただそれだけ。
新太のことを一番信じていて、一番心の底から想っている。
そんな少女の姿――――。
「っ――――!」
虎の中で、何かが音を立てて弾けた。
感情を昂ぶらせる京香よりも先に、虎は動いていた。
固く握られた拳。
それをただ、目の前のクソ野郎めがけて振り抜いた。
「ぐっ……!」
背後へと思い切り吹っ飛ぶ新太を見下ろしながら、虎は今しがた頬を殴りつけた右の拳の痛みを感じていた。
脈拍に合わせ生じる痛み。
それすらも忘れさせてしまうほどの激情が、虎を支配していた。
「――――いい加減にしろよ、テメェ」
虎は新太の制服を掴み、無理矢理持ち上げる。
「まゆりが、一言でもそんなこと言ったか!?
お前を、「気持ち悪い」なんて言ったのか!!!?
……そんなこと言うわけがねぇ!!!」
「……」
「別れた方がいいって……それお前、まゆりの前で言えんのかァ!? あぁ!!?
ぶっ殺すぞ、クソがァ!!」
「……」
僅かに、吠える虎を見る新太の瞳に温度が宿る。
そして。
その場に立ち上がる。
「お前が、一番想わなきゃいけない奴は誰だ!!?
忘れてるようだから教えてやるよ!!!」
「……お前に、俺の何が……!」
「あぁ!!?」
「何が……、分かんだよ……!!」
新太は口の端に滲む血を拭いながら、敵意の込められた瞳を虎へと向ける。
正に、一触即発。
そんな空気感を切り裂いたのは、京香の嬌声だった。
「まゆりっ!!」
「「っ――――!」」
虎が咄嗟に視線を向けたその先――――。
部屋の入り口で佇む、長い黒髪にピンク色のハイライト。
揺れる瞳で、対峙する二人を呆然と見つめている少女。
それは正しく、渦中の人物。
――――来栖まゆり。
一体いつから、虎ノ介と新太のやり取りを聞いていたのか。
「まゆり……!」
虎の叫びに、瞬間的に表情を歪め、そして――――。
「っ――――」
少女は部屋の外へと飛び出していく。
「京香っ!」
「分かってる!」
言うが早くまゆりの後を追う京香を確認し。
そして、虎は。
目線を下へ落としながら、唇を噛んでいる新太へと向き直る。
「お前は、追わないのか?」
「……」
「どうして、ここで動けないんだよ。
お前、本当に新太なのかよ……!?」
虎の蔑むような、すがるような目を受けても尚、新太はその場に立ちすくんだまま動こうとはしなかった。
「――――俺は行く。
見損なった、ただそれだけだ」
そして。
虎ノ介は京香の後を追って部屋の外へと跳びだしてゆく――――。
「……」
誰もいなくなった部屋で、只一人。
新太は唇を噛みしめていた。
何度も何度も、頭の中で反芻させたこと。
考えても考えても、分からないこと。
――――近衛奏多なら、こんな時どうする。
新太のその問いに答える者は、誰もいない。




