第183話『対価』
「――――末那識って、何だ?
古賀ァ、お前も使ってんだろ?」
休憩を終えて、いよいよ修練を再開しようとしていた矢先、唐突に虎先輩がそんなことを口走る。
カップを手に持ちながら見据える先の人物、――――古賀先輩とまほちゃん先輩。
つい先ほどの一件で致死量の血を鼻から滴らせていたまほちゃん先輩。
その小さい可愛い鼻穴には丸められたティッシュが詰められ間抜け面そのものといった顔が、虎先輩の問いかけに首を傾げたことでさらに間抜け度に磨きがかかっている。
虎先輩の言葉で蘇る、それは記憶に新しい数日前の――――。
『……お前も、『末那識』をっ……!!!?』
古賀先輩と相対した『北斗』工藤春臣の、その言葉。
あの時の古賀先輩達のやり取りと状況から察するに、それは清桜会内でも秘匿扱いのもの、というのは分かる。
「……」
答える気は無い、そう口を閉ざす古賀先輩に対して、まほちゃん先輩はキョロキョロと古賀先輩の方を伺っている。
「きょ、京香様……?」
「……話しても、大丈夫だと思います。
私は正規の段階を踏んで会得したわけではないので、控えますが」
「そ、そうですか……」
まほちゃん先輩は、やがて意を決したようにウチ達と向き直り、霊力を滾らせた。
「――――『末那識』は、妖に対抗できる霊力出力を発揮するために、魂を削り、己が霊力へと昇華する術式です」
「―――――!!!!」
転瞬。
爆発的な霊力がまほちゃん先輩から溢れ出し、修練場内を揺らす。
「……私は元々、ここまでの霊力を持っていませんでした。
ですが……、人工的に造られた人造式神、すなわち異物ですね。
それを体内へ取り込むことで、相対して自分の魂と呼ばれるモノの存在を認識することができました」
「魂の認識……」
「魂を知覚する感覚器官を、阿頼耶識。
その阿頼耶識を開き、その上で魂を削る――――。
それが……」
「『末那識』ってことか……」
「言うは易し、ですね。
私は人造式神を体に移植されたからこそ、魂を認識できましたけど……」
まほちゃん先輩が一瞬チラリと視線を向けた先の人物。
瞳を閉じながら腕を組み、黙って話を聞いている、天賦の才の持ち主――――古賀京香。
「『北斗』は皆、この阿頼耶識を開き、末那識を使用できます。
でも、京香様は……正直異常です。
一から阿頼耶識を開くなんて……、一体どんな……」
そう。
加えて古賀先輩は、同じ末那識を以て、『北斗』を凌駕した。
それ即ち、末那識の中でも練度のようなものがあると、ウチは仮定――――。
「……京香様は、何%、縮減していますか?」
「……」
それまで目を閉じていた古賀先輩が、ゆっくりと目を開き、そして――――「30%」と呟いた。
「っ……嘘!!!
一体、何で……!!?
どうしてですかっ!!?」
まほちゃん先輩は顔色を目に見えて青ざめさせ、古賀先輩に詰め寄る。
縮減――――それは言葉から察するに、どれだけの魂を削り取っているかの割合。
――――魂を削る。
それが何を意味するかは、ウチでも予想できる。
人の身に余る霊力を得るために、指す出す「魂」という対価。
それは言い換えれば、術者の「生命力」。
有り体に言えば……「命」とも言える。
まほちゃん先輩の余りの形相。
それで、古賀先輩が以下に異常なことをしているかが理解できる。
「一体、何で……!
どうしてそこまでっ!?」
「……別に、そうしなければ勝てない相手がいるってだけです」
ただ、それだけ。
古賀先輩は言う。
――――そうしなければ、勝てない相手。
ウチの脳裏に浮かぶのは、一体の甲冑姿の妖。
後に判明したのは、その個体が伝説に名を連ねる存在だったということ。
一瞬たりとも相対したウチは分かる。
伝説は、人智を越えているからこその伝説。
だからこそ。
人はそれを畏れ、それを信仰するという手段でしか、すり寄る術を持たない。
それを、この人は――――。
「――――!!」
まほちゃん先輩は既に両の手を組みながら、それこそ信仰の対象として古賀先輩へ視線を向けている。
――――自ら、伝説へ並ぼうとしている。
何てこと無い――――ただただ当たり前。
勝てない存在に近づくのは、当然。
古賀先輩は全身を纏う雰囲気で、そう語っていた。
***
「……俺、あんな話聞いていないんだけど」
「誰にも喋っていないもの」
修練を終え、「破吏魔」の待機室に戻る道すがら、虎ノ介は京香へと何気なく言葉を投げかけた。
まほちゃん先輩は今夜の出撃の準備、まゆりは技術開発班へと寄ってから戻るそうで、廊下には虎ノ介と京香の歩く音が響くのみ。
「……新太にも、言っていないのか」
「誰にも、って言ったでしょ?
新太はもちろん、親父にも言っていないわ」
こちらを見ることなく、ただ真っ直ぐに前だけ見ながら歩みを進める幼馴染みの姿を、虎ノ介は溜め息をつきながら視界に収めていた。
――――お前も、新太のことを悪く言えねぇよ。
目的の部屋の到着し、虎ノ介の前を歩く京香がドアを開ける。
「……!」
すると。
部屋の中の様子を見て、京香の動きが目に見えて止まるのが分かった。
「……?」
不思議に思った虎ノ介は、後に続き部屋の中を覗き込んだ。
「……んだよ?
一体どうし……」
虎ノ介の視界の中へと飛び込んできた、一人の人物。
その人物が、この待機室にいるのは何ら不自然なことではない。
しかし。
「破吏魔」発足以降、この部屋に顔を出すことはおろか、虎達と関わりを明確に絶とうとしているのが分かっていたからこそ。
虎ノ介も、京香同様に言葉を失っていた。
だからこそ。
虎ノ介は努めて冷静に、何てこと無い風を装って言葉を紡いだ。
「――――よう、新太」
名を呼ばれた人物は、今しがた部屋へと入ってきた二人へと冷たい瞳で以て静観していた。