第172話『されど、戦姫は悠然と佇む。』
「『破吏魔』、古賀京香。
『北斗』、工藤春臣、前へ」
無言で前へと歩みを進める、支部長に名を呼ばれた二人。
古賀先輩は黒い手袋を取り出し、両の手に嵌める。
あんなもの、してたっけ……?
一瞬脳裏をよぎったそのとりとめのない疑問に答えが出る間もなく――――二人の距離は、既に互いの間合いの中。
「結界班、準備」
支部長の声と同時に、眼前に展開されるドーム状の結界。
詰めかけた大勢の観衆に、戦闘の影響が及ばないようにするための配慮だとは思うけれど、対峙している一方は現清桜会最高戦力である『北斗』。
複数人で結界を維持していて万全を喫しているのは分かる。
でも、果たして効果があるのかどうか。
既に臨戦態勢の様相を呈している工藤春臣に対し、古賀先輩は訝しげにある人物へと視線を送っていた。
「……アンタも、メガネと同時に相手してあげる」
――――その人物。
結界外に佇む、美波有栖。
「……はぁ?」
信じられない、というような表情を浮かべ、有栖は堰を切ったように笑い出した。
「アハハハハハハハっ!!
春君、コイツ死にたいみたいだよっ!!!」
「……」
腹を抱えて笑う有栖と、呆れたような表情を浮かべている明智流星。
しかし。
工藤春臣だけは、未だに古賀先輩に怨嗟を込めた目線を向けていた。
「……美波の言っていることはハッタリじゃない。
本当に死ぬよ?」
「別に死なないから安心して。
めんどくさいから同時に相手してあげるって言ってんの」
「……」
―――――コイツには何を言ってもダメだ。
徹底的に分からせないとならない。
「……美波、十秒で片す」
「……!!
……おっけーい」
春臣の発言の真意に気付いているのは、この場で有栖だけだった――――。
「……古賀京香、本当に良いのですか?」
「大丈夫ですよ、支部長。
……この程度の連中、何人いても変わりません」
「随分、強気ですね。
……結界班」
合図と共に生じた結界に開く空間、そこから有栖が中へと入る。
そして。
春臣の隣へ――――。
「継戦判断は私が行います。
それでは、――――――始め」
「「「……!!!」」」
かけ声と共に、結界内の三名は同時に霊力を解放。
それだけでも、修練場内は大きなざわめきに包まれた。
「……!!」
清桜会の技術が投入されている修練施設であるが故に、並の耐久力ではないこの修練場。
しかし、壁や中の空気を大きく振動させるだけでなく、結界外にいるはずのウチ達が圧迫されているこの圧力。
『北斗』は最高戦力の名に恥じない霊力の充填。
高密度、高出力の霊力なのは見るだけで分かった。
でも、ウチが一番目を奪われていたのは……古賀先輩。
何て、練度。
そもそも古賀先輩の戦闘を見るのは久々だけど、あの『北斗』を相手に全く見劣りしていない……!!
「古賀……」
「?」
「―――――終わりにするぞ」
先ほど春臣が呟いた「十秒で片す」という発言は、二人のとある連携を行う上での合図に他ならなかった。
対妖戦で、並々ならぬ戦果を生み出した――――――その連携。
「……『夢現』」
「……っ!!」
転瞬。
古賀京香の肉体が、その活動を停止する。
一点を見つめたまま、次第にその身に纏った霊力すらも宙に霧散してゆく―――――。
対妖戦で並々ならぬ戦果積み上げた、二人の連携。
工藤春臣の内蔵式神『月読』による陰陽術、『夢現』。
その奇跡は、効果対象に都合の良い幻を見せる幻夢。
……しかし。
その真価は、効果発動対象の完全武装解除。
つまりは。
発現事象を受けた相手、その肉体が数刻完全な無防備状態になる、ということ。
「美波っ!!!」
「分かってるよ~~~~~!!!!」
肉迫する有栖、その手には既に水で形作られた『罔象女神』が握られている。
補助的な式神を内蔵する春臣は、突破力に欠ける。
それを補うがための、美波有栖内蔵式神、『水天』。
戦闘が開始されてから、僅か数秒足らず。
見ている観衆の頭に浮かんだのは、『北斗』の桁違いの実力に対する、諦観に似た感情。
終わった、と。
あまりにもあっけない……、と。
演習を見ている誰しもがそう思った。
―――――しかし。
今しがた、その肉体へ手に形成した水槍を貫かんとしている有栖だけが、ことの異常さに気付いてた。
「……っ!!」
『夢現』発動下にも関わらず、古賀京香の瞳が―――――僅かに動いた。
―――――轟音を轟かせながら炸裂する水槍。
結界部隊は歯を食いしばり、汗を滴らせながら、中の霊力を封じ込めようとしている。
「……!!」
上がった水しぶきで中の様子が分からない。
まゆりは固唾を呑み、次第に鮮明さを取り戻してゆく結界内を凝視する。
―――――先輩は?
古賀先輩……!
不意に、修練場内に響き渡る、晴臣の嬌声。
「っ……何で!!!」
「……!!」
結界内では、信じられないモノを見る目を向けている『北斗』。
その先に佇んでいるのは。
「……」
無言で両手の手袋を嵌め直している――――古賀先輩。
無傷――――。
途中までは完全に、『北斗』の発現事象を受けていたように見えた。
無防備に晒された肉体に、迫る莫大な霊力の込められた葬槍。
慈悲すらない一撃。
――――――あの状態から回避したってこと……?
周りで一部始終を見ていた観衆から聞こえる息の呑む音。
「何で避けられる……!!?
発現事象を食らっていたはず!!!」
「……」
「いや、ちょっとマジで有り得ないんだけど……!」
『北斗』の霊力が目に見えて乱れている。
「動揺」が生体光子として発され、霊力充填に影響を与えている証拠。
「……別に。
振りほどいた、ただそれだけよ」
何てことない、という風に呟く古賀京香を目の前にして工藤春臣は言葉を失った。
――――有り得ない。
仮に、「振りほどく」なんて芸当を行うためには、俺と同等、いや……それ以上の霊力出力が必要。
俺らを凌駕する霊力出力を発揮できる陰陽師なんて……!!
「……っ!」
乱れた霊力の出力を元に戻しつつ、再度仇敵の姿を凝視する―――――晴臣。
「第三世代」として調整を受けた春臣達に施された術式。
それと引き替えにして得た、「新型」としては規格外の霊力。
古賀京香が「新型」の使用する人造式神と、自身の相伝式神である「特別」の両刀であることは有名な話。
「旧型」すら手を焼く妖。
その妖に届きうる牙をもつ第三世代だぞ……!?
「……まさか、アンタも……!!?」
「……!!」
独りごちる有栖の言葉で、晴臣の頭に浮かんだ一つの仮説。
――――――そんなことが。
第三世代関係者以外には完全な秘匿事項扱いの重要機密であるはず。
もしそうだとするならば――――――。
「……お前も、『末那識』をっ……!!!?」
「……」
京香はその問いかけに、黙ったままだった。
――――災厄である妖や「旧型」の陰陽師達に対抗する上で、「新型」に圧倒的に欠けていたモノ。
それは――――霊力。
「個」としての霊力が根本から異なるため、清桜会は当然の結果として苦戦を強いられた。
それを打破するために編み出された「第三世代」に搭載された、とある術式。
それが――――末那識。
自身の魂を削り霊力へと昇華する、まさに禁忌。
「っ……できるはずがないっ!!!
『魂の知覚』なんて……!!」
京香はゆっくりと取り乱している春臣を睨めつけた。
「――――それができたから、今ここに立っているんだけど?」
ただ事も無げに、『戦姫』はそこに屹立す。
自身に仇成す無礼の輩を、見下しながら――――――。
「っ……美波、水だ!!!
コイツの式神は炎の発現事象……!
消し飛ばせ!!!」
「言われなくてもっ……!!」
転瞬。
修練場の床を割き、溢れ出る水流。
それは言うまでもない、『水天』の発現事象。
絶え間ない霊力と眼前で展開される大瀑布を横目に、京香は小さく溜息をついた。
―――――呆れた。
本当にこの程度の実力で、私に喧嘩を売ってくるなんて。
現在進行形、焦り顔で霊力を滾らせている眼前の同級の姿は、京香の目には映っていない。
そう、最初から―――――。
自分自身が手も足も出ない存在を、京香は知っていた。
――――――思い出すたびに、自分の不甲斐ないに腹が立つ。
そして、今も。
多分、私はアイツには敵わない。
あの、鎧の妖には―――――。
「……私を超えた、だっけ?」
「……!!」
それは。
数日前、屋上にて晴臣が京香に言い放った文言に他ならなかった。
「目指すのが「私」である以上、――――――アンタの天井はそこまでよ」
そして。
その手に結ばれる―――――刀印。
転瞬、爆発的に膨れ上がる京香の霊力、その熾り―――――。
―――――私は、更なる高みを目指す。
「『赤竜』、―――――反転」




