第169話『黒白零度』
再び、同刻――――――。
空を仰ぐと、秋晴れの空が一面に広がっていた。
未だに汗ばむような、しかし秋の匂いを内包する大気を吸い込み、泉堂学園の制服にその身を包んだ一人の少年は、ある古びた屋敷の前に立っていた。
新都南区の最奥に位置する古民家。
住宅街の外れにありながらも、その立地はお世辞にも良いとは言えない。
清桜会新都支部からバスや電車といった公共交通機関を乗り継ぎ、徒歩の移動を余儀なくされ……ようやくそのみすぼらしい外観が見えてきた。
向こうの世界の記憶を頼りに、たどりついたこの場所。
古びた表札には「近衛」と書いてあるのを確認し、少年―――――宮本新太は、ゆっくりと中へ足を踏み入れた。
「……」
中の風化具合は酷いものだった。
人が住まなくなって数年が経っているからか、はたまた経年劣化なのか、誰かが立ち入った形跡すらない。
畳は黒ずんでいて見る影もないほどにささくれ立っている。
天井からは上階の床が崩れ落ちてきていて、安全上の問題もありそうだった。
その様相は……廃墟と呼ぶに相応しい。
色々な部屋を見て回ったが、結局新太の心が揺さぶられるものは一つとしてなかった。
既視感も何もない。
そこにはただ……初めて見る景色だけが存在していた。
屋敷内に残存している霊力にも真新しい発見はない。
近衛奏多を呼び覚ますために、わざわざ足を運んだはずだったのだが、取り越し苦労だったと悟り、新太は踵を返した。
帰る道すがら、縁側を通った。
そこは雨戸も何もなく開け放たれたままになっており、手入れもされていない庭が広がっている。
汚水が張られた池らしき一角もあり、かつてはかなりの栄華を誇った家であることが伺えた。
しかし、今は――――――。
「……」
記憶を辿る欠片を求めての行為ではない。
それは、単なる気まぐれだった。
新太は草木の生い茂る庭へと降り立ち、何気なく周囲を見回した。
向こうの世界では、恐らく『暁月』によるものと思われる爆発で、吹き飛んでしまっていた。
しかし、現存しているからといって、別に何があるわけでもない。
ここにも、何もない――――――そう確信したところで、新太の視界に僅かに揺れ動く微光を捉えた。
「……?」
雑草の間に、何かが落ちている。
石かとも思ったが、明らかに違う。
自然界に存在するものの輝き方じゃない。
それを新太はほとんど直感的に理解していた。
距離を詰め、雑草をかき分け、ようやく明らかになる正体。
「……日本刀?」
草の中に突如として現れる、一振りの刀。
僅かに霊力を発していることから、新太は本物の日本刀ではなく式神の可能性を疑った。
式神として見ても、日本刀として見ても酷い状態なのは優に伺える。
「……」
持ち上げると、鉄の重厚な重さに付随して年月や風雨に晒された弊害をところかしこに見ることができた。
柄は持ち手として心許ないほどに手に馴染まない。
刀身は全面に錆が広がり、刃こぼれも酷い。
とてもじゃないが、戦闘に使用できるような代物じゃない。
――――――どうしてこんなところに。
こんな刃物を、こんな庭の中に。
まるで。
誰かが庭で遊んでいて、そのまま置きっぱなしにしたかのような。
そもそもこんな日本刀で遊ぶ人間なんていないだろう、と可能性を自分自身で切り捨て、新太はまじまじと発見した刀剣を見やった。
「……?」
色々な角度から見てみて気付いた。
柄の先端、いわゆる頭と呼ばれる部分に何か文字が彫られている。
目を凝らさないと見えないような、そんな微々たる彫痕。
「竜……、笛……?」
―――――いや、竜笛だろうか。
辛うじて読める部分から推察するに、その二文字であることは分かった。
しかし。
これをどうしたものか……、と新太は今しがた手に持った風化した剣を見る。
いや、違う。
――――――近衛奏多なら、どうするだろう。
***
[同日 清桜会新都支部第三修練場 19:34]
「それじゃ……新太、始めようか」
「……お願いします」
新太は制服、秋人は戦闘用―――――電荷状態に対応しうる狩衣に身を包み相対していた。
「起動、――――――『建御雷神』」
『―――――十二天将『六合』×『閃慧虎徹』、同調』
漆黒の霊力が周囲へと溢れ出し修練場内を満たすのも束の間。
秋人からは眩いほどの電圧を伴う白色の霊力で以て、それを抑え込む。
「……よし。
出力を上げるよ」
「……」
放電現象が更に激しさを増し、それに呼応するかのように新太の霊力が深化する――――――。
「「――――――――!」」
転瞬。
修練場内に存在していたはずの二人の姿が、消失する。
互いに加速下においての弱点及び急所。
それは接地点が存在するということ。
『六合』との同調時。
その「加速」の発現事象は術者の思考にまで及び、尚且つ瞬間的な移動を可能にしたからとはいえ、運動の初めには必ず「跳躍」という過程を踏む。
時間的には刹那。
しかし。
唯一の弱点に他ならない。
そして、それは電荷状態の支倉秋人も例外ではない。
つまり、二人の戦闘は――――――。
「跳躍」により生まれる隙の刺し合い。
「――――――!」
加速した思考で、僅かに地面の接地する瞬間の秋人の姿を捉えた。
そこに黒刀を滑らせ、霊力を込めて薙ぐが……。
既に、そこに秋人の姿はない。
――――――残像。
「放電」の発現事象により発生する雷。
それに認知が狂わされる現状。
そして。
新太の背後に迫る拳。
攻撃を繰り出した瞬間こそが、最大の好機。
それを理解していない支倉秋人ではない。
肉迫する拳を目の端で捉える最中、新太は再度霊力を刀身に充填した。
――――――それすらも、利用する。
カウンターを誘発する、大振りの初撃。
それに乗ってくることは分かっていた。
背後の死角へと秋人を誘い込むために、霊力を局所的に放出していた。
故に。
「―――――――!」
――――――殺った。
新太の想像通りに動いてくれた秋人へ、再度刀身を斬り上げる。
しかし―――――――。
新太の黒刀は再度、空をきる。
――――――さすがに、見え見えだったか。
新太の頭があったところを高密度の霊力を纏った拳が突き抜ける。
裏の裏の、そのまた裏。
カウンターに次ぐカウンターの応酬。
その最中、思考を止めてしまうことは自殺行為と同義。
修練場上空。
そこには既に電荷状態の秋人が滞空しているのが見えた。
―――――――もっと速く。
霊力を充填し、それでも尚、出力は上がる――――――。
―――――――速く。
***
「初撃の誘いは良かった。
僕も懐に飛び込んでしまったよ」
「……でも、決まりませんでした」
顔をしかめる新太の表情に、思わず秋人は笑みを漏らさずにはいられなかった。
「……新太は本当にストイックだね」
「……そんなことないです」
笑いを嚙み殺しながら、秋人は修練場の壁にもたれかかっている新太へペットボトルの水を放り投げた。
「元支部長の僕に匹敵……いや、既に凌駕しているかも。
いずれにせよ第三世代にも劣らないだろうね」
「……」
新太は、秋人から渡されたペットボトルを開け、中を一気に煽る。
「君は、第三世代のことを何か聞いているかい?」
「……興味ないです」
新太としては、新都血戦の際にその姿、戦闘を見かけただけ。
以降は何も関わりはなかった。
それこそ、彼らが日々類まれなる戦果を叩きだしていることは日夜の報道などから知っていたが、それこそ一般人が得られるのと同レベルの情報量だと思っていた。
「……彼らの非道な行いも、何も知らないのかい?」
「……え」
新太は目を見開き、思わず秋人の方へと向いてしまった。
そんな話は聞いたこともなかったからだ。
「最近、君は外界との接触を意図的に絶っているから知らないだろうけど。
……酷いものだよ。
第三世代を世に出してしまった僕が、責任を感じてしまうほどに」
「……」
「清桜会は彼らの行いを秘匿し、情報操作で外部へ漏洩しないようにしている。
最も、なかなか秘密なんて隠し通せるものじゃない。
世間がそれを知るのも時間の問題だと思うけどね」
「……彼らは一体、どんなことを」
伏目がちに地面を見ながら、新太は言葉を紡ぐ。
秋人の語る内容に、ほんの僅かばかりの興味が生まれたのは確かだった。
「……度し難いよ」
秋人は表情を曇らせながら、自分の飲料を口に含む。
そして。
一瞬の逡巡の後に、口を開き始めた――――――。




