第168話『擦れ、違い』
同刻。
清桜会新都支部第一尋問室。
薄暗い部屋の中に、二つの人影。
一人は小さな椅子に腰掛ける男性――――支倉秋人。
もう一人は、秋人に背を向け、腕組みをしながらテーブルに寄りかかる白髪のパンツスーツ姿の女性――――清桜会新都支部支部長、佐伯夏鈴。
「今日も、話すつもりはないの?」
「……話す?
僕はもう洗いざらい話したつもりだけど」
「……アンタが、清桜会達を裏切っていたことは分かった。
でも、何で?
何でそんなことをしたの?」
――――――夏鈴の攻めるような目線の中に、すがるような色が見える。
恐らく、僕の返答から、情状酌量の余地を何とか見出そうとしている。
甘さを捨てたようで、まだまだどこまでも甘い。
たかが、僕一人切り捨てられないなんて……。
「……連日の徹夜で寝ぼけてた。
重役だと思って話した相手がたまたま『狐』だったんだ」
「……ふざけないで。
そういうのはいい!」
夏鈴は語気を荒げながら、しばし僕の方を睨めつけていたが、やがて諦めたのか大きな溜息とともに対面の椅子に腰かけた。
「僕の性格を分かっているだろう?
……夏鈴」
「……知ってる。
アンタって意外と頑固だもんね。
それに向こう見ず」
呆れたようにそう言う夏鈴の仏頂面を見ながら、秋人は静かに微笑んだ。
お互いに肩書きが与えられ、どんなに遠くに来てしまっても、二人になればいつでもあの頃へと戻ることができた。
でも、そんな僕らの関係を僅かに邪魔をするモノ。
互いの信念や目指す道は、――――不変ではない。
常に変化が生じ、その過程で秘めなければならないものもある。
「『狐』は敵。
どうしたってもう……それは変わらない」
「……」
もはや遠い過去の話のような気がする。
支部長室で、『狐』へ清桜会への協力を懇願した、あの日あの時。
『狐』は……いや、黛仁は清桜会への情報を欲しがっていた。
僕も、この「旧型」との戦争を何とかしてくれるのではないかと思い、仁の願いに極力協力の姿勢を見せた。
「『狐』はあの時、清桜会の指揮権を欲しがっていた。
あれはどうして?
アンタは知らないの?」
「……分からない」
それこそ本人と声を交わすことももう、叶わなくなってしまった。
いや、直接聞いたところで、仁が本音を喋ることはないだろう。
徹底した秘密主義のあの少年のことだ。
「……僕は今でも、仁を信じているけどね」
最初から根拠なんてない。
信用ではなく信頼。
この荒れた世を何とかするのは、僕達じゃない。
次代の陰陽師であると、確信に次ぐ確信――――――。
「……馬鹿じゃないの。
やっぱりね、夢想家に上は勤まらないわ」
「……元々、そんな気質でもないしね」
ハハハ……と情けなく漏れる笑みを、夏鈴は鼻で笑う。
そして―――――部屋中に訪れる静寂。
頬をつきながら、こちらへと意識を向けているのは分かるけど、それでも言葉をかけてくることは無い居心地の悪さ。
「……第三世代は達者かい?」
「……アンタが期待している、もう一人の陰陽師はどう?」
二人とも、ほとんど同時。
……レディーファーストかなと一瞬頭をよぎったが、こういう時夏鈴は必ず後手を選ぶ。
現に、お前が先に言えと言わんばかりに顎でこちらを指している。
「首尾はどうだい?」
「上々」
目線を逸らしながら、ただそれだけを呟く夏鈴。
謙遜や強がりなどではなく、ただただ心の底からそう思っていることが秋人には伺えた。
「対妖としては、破格の性能を発揮しているようだね」
「……間違いなく、彼ら彼女らは新世代の戦力足りうる存在よ」
「……そうか」
第三世代の配備に直接的に関わっていた秋人は、身柄の更迭と共にその任を解かれ、別の者へと引き継いだ。
人体を式神の生体ユニットとして運用する故に、定期的なメンテや健康状態の把握が常。
しかし、今秋人の心中を占めている気がかりは……。
「僕も囚われの身でありながら、風の噂が聞こえてくることがある」
夏鈴の眉根が、僅かに動いた気がした。
「第三世代の――――――増長」
「……」
「救える部隊を見殺しにした。
他の陰陽師を盾にした。
そして―――――救う一般人の意図的な選別。
その他、権力にものを言わせた犯罪行為等々……」
「……何のこと?」
「……大方、君が揉み消しているんだろうけどね」
「……」
「君が目指す究極の個……。
その先にあるのは暴力による圧政、畏怖の対象が『暁月』から『第三世代』に代わるだけだ。
それがどんな……「私は」
最後まで、秋人は言葉を紡ぐことができなかった。
「私は、間違っていない」
視線を逸らすことで感情を逃がしていた今の今までとは異なり、真っすぐに秋人を見据え、一つ一つ言葉を噛みしめるその様はどこか鬼気迫るものがあった。
「……」
「邪知暴虐の輩を殲滅できるのなら、その人間性なんてどこへでも捨て置けばいい」
――――――……。
それが今の、夏鈴を支える哲学。
今も彼女を支え得る希望。
不意に、無音の部屋に鳴り響く機械音。
電子機器の類を押収されている秋人のものではない。
この部屋にいるもう一人。
夏鈴はポケットから清桜会連絡専用のスマホを取り出し、通話口を耳に当てた。
「はい、私です。
はい……修練場の演習使用?
『破吏魔』の人間と?
……分かりました、日取りを抑えて手配します」
俄かに騒がしくなる電話口。
『破吏魔』。
それは現在秋人が籍を置いている部隊の名。
演習……とその名の通り生易しいものであればいいが、恐らくそうではないだろう。
秋人たちと戦闘を行いたい者など限られている。
察するに『北斗』のメンバー……。
「しかし、忘れないでください。
貴方達の行動は妖の現界によって左右され……」
そこで通話を切られたのだろう。
憎々しげにスマホを見ながら、小さく舌打ちをするのを秋人は聞き逃さなかった。
「……アンタが期待する、もう一人の陰陽師はどうなの?
アタシは彼に期待するのはもう、辞めたけど」
唐突な話題転換。
夏鈴的にもあまり突っ込まれたくないことが伺えた。
「……」
―――――僕が期待を寄せている、もう一人の陰陽師。
転瞬、脳裏に浮かんだのは、虚ろな目をした一人の少年。
血戦前よりも格段に式神躁演、十二天将との同調において別次元の段階に達した宮本新太。
血戦以降更迭処分となった秋人は、宮本新太の指導者として共に修練を積んでいた。
「……彼は間違いなく、我々にとって貴重な戦力だよ。
後世に名を轟かす術者になると思う」
秋人はほんの少し躊躇った後に、「……普段の新太ならば、ね」と付け加えた。
「痛々しいよ。
とてもじゃないけど、見ていられない。
修練に打ち込むことで、思考を閉ざそうとしている」
「……失った記憶、のこと?」
「多分。
僕らが想像もし得ないものを、新太は抱えている。
そして、それは僕らじゃどうにもならないことだ」
「……」
「彼自身が、何とかするしかない。
自分で乗り越えるしか、先へは進めない――――」
「僕達と同じようにね」と秋人は少し哀し気に笑った。




