第153話『終式』
所謂『旧型』の陰陽師達は古来より陰陽道を極めるべく、己の式神と向き合い研究と研鑽を積み重ねてきた。
十二柱の式神を使役した安倍晴明や、秘術『成神』を提唱した蘆屋道満のように、陰陽師としての極みに到達する者は稀であり、その大多数は代替わりごとに式神を次代へと繋ぐことで、陰陽師として更なる高みを目指そうとした―――――。
【終式】。
それは、陰陽師としての一つの到達点である。
式神を継承した陰陽師が研究を重ねた結果得られる、自身の成せる陰陽術の最終形。
相伝の十二天将『太裳』と並ぶ、一条家の秘術『鬼人降魔』。
纏える呪いには身体許容上限がある、という制約を抱えていたことから、『鬼人降魔』の研究は寧々の曽祖父の代から停滞を始める。
しかし。
およそ八十年ぶりに、止まっていた歯車が廻りだす――――――。
***
仁は無意識のうちに、『成神』の解放率を上げていた。
その額からは、一筋の汗が滴る。
『縺雁燕繧峨?∫嚀谿コ縺励□縺ゅ≠縺ゅ≠縺ゅ≠縺!!!!!』
咆哮と共に、夜の新都の大気が震える。
その醜悪な声は、既に人のモノではない。
般若の面は既に少女の顔に同化し、伸びた牙の間からは涎が垂れ、両目は赤く血走り爛々と輝かせている。
両の手は異質なまでに膨張し、主爪は鉤爪のように発達。
それはまさしく、命を刈り取る形。
全身を覆う霊力は寧々自身、そして背後の少年の『呪怨』の性質をはらみ、禍々しさを更に深化させる――――――。
新太は、その変容に釘付けになっていた。
不意打ちすら狙える大きな隙、それをみすみす見逃すのは愚の骨頂。
しかし。
相対する少女の霊力が、これまでに感じたことのない質の変化を見せている。
人ならざるモノ。
例えるならば、……そう。
―――――あの時の鎧。
脳裏に浮かぶ、二階から見た禍々しい霊力を携えた鎧姿。
結果的に『大嶽丸』という伝説上の妖だったが、その時と遜色ない類の霊力の奔流。
「っ……!」
――――――寧々は自身だけではなく、あの白髪の少年の「呪怨」もその身に纏っている。
つまり、今俺が狙うべきは……。
発現事象、加速――――――。
皆一様に寧々へと意識を向けている中の、完全なる不意打ち。
白髪にとっては意識の外からの一撃になるはずだった。
――――――しかし。
『縺輔○繧九°』
刀身を寝かせ、発現事象を発動――――――跳躍した俺の耳元で、掠れたような声が響いた。
そして。
視界が、明滅した。
***
『縺ッ縺ッ縺ッ縺」縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ縺ッ!!!!』
今しがた自身が蹴り飛ばした新太の方――――――今は砂煙が立ち込め、電気がショートしている商業ビルを見ながら、愉し気に嗤う鬼が一匹。
――――――早すぎる。
天后は今しがたの一幕を見ていた。
それでも尚、視認しきれなかった。
白髪へと肉迫しようとした瞬間、新太は異形と化した一条寧々に……。
『呪怨』の供給源である白髪を狙うのは、術者として当然の判断。
発現事象、『加速』。
十二天将である『六合』を発動し、能力の底上げを図っていたはず。
なのに、それすらも凌駕する――――――。
「うわ、寧々強ーい。
こりゃ『貴人』使って正解だったね」
顎に手を当て、何度か頷く泰影。
ここまでの急速な寧々の戦闘力上昇。
察するに『貴人』で脳制御系統……、それに準ずる何かを弄った。
しかし十二天将術者とはいえ、そんなことをして後々無事でいられるはずがない。
『……可哀そうに。
命を代償に……』
「本人の意志だよ。
俺はそれを尊重しただけにすぎない」
『……』
―――――尊重、か。
泰影、お前は。
仲間がこんな姿になることを、本当に許容したのか?
『ケ谿コ縺呎ョコ縺呎ョコ縺呎ョコ縺!!!!!』
「……うんうん、そうだね。
寧々、仁を殺したいんだね。
そうかそうか、もう我慢はしなくてもいいんだよ」
なだめるような、小さい子どもをあやすような、そんな言葉の羅列。
そして、泰影は寧々の宿願である目的の人物の方を睨みつけた。
「――――――存分に、暴れろ」
《……!!!!》
転瞬。
仁の目の前に、鬼の姿があった。
そして、腹部に深々と寧々の足が突き刺さる。
寧々は当然ながら十二天将『太裳』を発動させている。
『太裳』の発現事象は『累乗』。
術者の膂力はもちろんのこと、霊力も身体限界まで累乗倍することが可能。
『鬼人降魔』【終式】発動により、刹那的ではありながら、寧々の肉体は人外のモノと化した現状。
『太裳』により可能とする累乗倍、その数およそ十六乗――――――。
《っ……!!》
激痛に苦悶の表情を浮かべている仁の顔面を、膂力も、霊力も十六乗倍された一撃が――――――襲った。
20:09。
黛仁により展開されていた非術者の侵入を拒む結界が、内側から破られる。
『騾?£繧薙↑繧医?∽サ?シ?シ!!!!』
結界外に殴りだされたのも束の間、人としてのフォルムを大きく逸脱した寧々の健脚が仁に迫る。
《……っ!!!》
結界外は混乱状態にあった。
眼下には多くの人が蠢き、仁と寧々の出現に嬌声を上げながらスマホを向けている。
カメラマンらしきリポーターがこちらへと指を指しながら興奮したように何かを喋り、数多のヘリによって仁と寧々の姿が照らされる。
《逃げ―――――》
『繧医◎隕九r、……ヨソミスルノ、ダメ』
群衆へと呼びかけようとした仁の全身を再度衝撃が襲う。
その威力を抑えられないまま、背後のビル群へと寧々諸共突っ込んでいく―――――。
崩壊を始めるビル群。
物理的に距離を取ろうと我先に逃走する人々。
瓦礫に押しつぶされる、渋滞に巻き込まれている乗用車の数々。
辺りにけたたましく響き渡るクラクションの音――――――。
『ニゲテンジャネェッ!!!!』
先鋭な凶爪で行く手を阻むコンクリートを砕き、執拗に仁との距離を詰める。
―――――マダダ。
寧々は薄れゆく人間性の中で、確信していた。
コイツはまだ何か、手を隠している。
その証拠に、コイツは反撃する気配がない。
それは恐らく。
「急いでっ!
ここから離れないと!!」
「何なんだよ、アレ!!」
――――――こいつらのため。
眼下の有象無象に、被害が最小限になるように回避行動を続けている。
下にいる連中のために、私に瓦礫を破壊するように誘導してまで。
こんな奴ら、別にどうなってもいいのに。
私は命を懸けているのに。
命を懸けて、お前と……。
食いしばるための歯も、既に牙へと変質してしまった。
絶え間ない激痛が拍動と共に全身を駆け巡る。
筋線維が焼き切れ、骨が砕ける――――――。
そんな思いをしてまで、こうしてお前と向き合っているのに。
なのに、どうして?
『縺ゥ縺?@縺ヲ遘√→蜷代″蜷医▲縺ヲ縺上l縺ェ縺???』
一瞬理性を取り戻したかのように思われた寧々だったが、再度禍々しい霊力が充填され、全身の穴という穴から鮮血が溢れ出す。
寧々は自身の終焉の刻を理解していた。
あのどのくらいで自身の命が尽きるのかを。
逆算し、命を削る。
それで黛仁を殺せるのであれば、それで寧々は満足だった。
しかし、寧々はその考えを改めた。
――――――今、殺す。
閻羅王――――――。
それは冥府の王であり、咎人をその手で裁く閻魔の化身。
誰かが仁を殺さなきゃならない。
蘆屋の薄汚い血をその身に宿しながら、のうのうと十二家紋を名乗る。
そんな罪が許されるはずがない。
私は絶対、許さない。
昨日、やっすんにそんなことを話した。
そしたら、やっすんはただ笑っていた。
『寧々が一番許せないのは、仁に負けたことでしょ?』と。
その通り過ぎて、私も一緒になって笑った。
***
『新太!
大事はないか!?』
「……ごめん。
不意を突かれた……!」
俺が寧々に一撃をもらい、時間にして一分もない間だったはず。
しかし、外へと這い出ると、既にそこに仁と寧々の姿はなかった。
依然そこには泰影と白髪が佇み、相対するは天后と奏多。
場の様子を伺うに戦闘状態、というわけでもない。
俺が吹っ飛ばされて生まれた隙を生かせなかったわけでもないだろう。
となると。
泰影と白髪には戦闘の意志が、本当にないのか……?
「まぁまぁ、荒事は寧々と仁に任せてさ。
俺たちはおしゃべりでもしてよーかね」
『……お前と話すことなんて何もない』
「君にはなくても、俺にはあるんだよ。
ねぇ、六合」
「……!!」
黒刀を正中線で構え、泰影に向き直る。
先ほどのような隙はもう与えない。
この人のペースに呑まれちゃだめだ。
そうだ、一条寧々がいない現状、コイツらを倒せる最大の――――――。
「――――――椿はね。
君が殺した恩師の弟君なんだよね」
殺した恩師の、弟。
思考が止まる。
まともに取り合ってはいけないと、天后から言われていた。
俺が殺した恩師。
そんなの、たった一人しかいない。
――――――――服部、先生。
不意に。
脳裏に浮かんだのは、夕刻の一幕だった。
紫煙が夏の夜空へと吸い込まれてゆき、不敵な笑みを俺へと向けていた。
先生の、弟……?
誰が。
泰影は自身の隣に立っている白髪を指さして、「笑っちゃうよね」と馬鹿にしたように笑った。
「英雄視される人間はね、往々にして自身の行いを善と信じて疑わないんだ。
……そりゃそうだよね。
君達も新都を救った、一人の陰陽師の暴走を止めた、くらいにしか思っていないだろう?」
「何、言って……」
「自分たちを、良い側の陰陽師と思っていただろう。
風の式神を使っていた弥生瑞紀を覚えているかい?」
「風……の……」
咄嗟に目線を下に落とす。
それは、右腕に残る斬撃痕。
絶対に忘れてはいけない、俺自身の罰の象徴―――――――。
「彼ね、子供がいたんだ。
去年生まれたばかりの」
「っ……!!」
「ってことは奥さんももちろんいるじゃん?
奥さんにさ、瑞紀が殺されたことを伝えるのは、なかなかしんどかったよ~~~」
手が震えていた。
泰影の話が真実だという根拠など、どこにもないのに。
しかし。
泰影の隣に佇む白髪の少年。
その瞳だけが、真実を物語っていた。
あの時と、同じ目。
熱海の海岸で、『暁月』の男を燃やした時と同じ。
純粋なまでの怨嗟。
寧々は今、白髪の「呪い」をも纏っている。
では、その「呪い」は誰に向けてのモノなのか。
答えは、明白だった。
「よくも……、姉さんを」
呪いを込めた瞳で、睨みつけている相手。
―――――――俺。




