第150話『紫煙』
足元も見えない竹林の中、仁は泰影の数歩後を歩く。
辺りには竹が風で揺れる音、そして二人の足音だけが響き渡っている。
「……そんなに警戒しないでよ、仁」
「……」
不意に。
前を歩いていた泰影が、仁の方を振り返った。
「霊力が臨戦態勢そのものじゃないか。
俺に闘う意思はないのに……」
歩みを進めながら額に手を当て、仁を一瞥する泰影。
その表情は悲しげに歪んでいるが、いつもの演技じみたものに他ならない。
内心では他人を嘲り、嗤っているのは容易に想像がつく。
それが、―――――『土御門泰影』という人間。
故に、仁はまともに取り合う気はなかった。
「……お前のことは信用していない。
いつ不意打ちがきてもいいように警戒するのは当然だろ」
仁の返答を聞いて、泰影は愉しそうに表情を崩す。
「その信用していない俺の誘いに乗るなんて。
……君は本当に面白いね」
「……」
黙る仁の様子を見て、泰影はまた口の端に笑みを浮かべた。
「――――――御琴ちゃんのこと、よっぽど気になるんだね」
「……!」
――――――声には出さないものの、霊力が揺れている。
動揺しているのがバレバレ。
「……別に。
嘘だったらお前を殺すだけ」
「言うねぇ……。
まぁ、実際俺は非力だからね」
『明後日、18時に、あの場所で―――――――』
仁と寧々との戦闘終結時、引き際に泰影が残した言葉。
御琴、という人物が、この狐面の陰陽師にとってどんな意味を持つか泰影には分かりきっていた。
だからこそ。
あのタイミングで泰影はカードを切った――――――。
「……きっと」
泰影は、敵方であるはずの自身の後を黙ってついてくる仁への笑いかけた。
「御琴ちゃんも、喜ぶよ」
***
[8月25日 私立泉堂学園屋上 16:09]
この世界の泉堂学園では屋上は一般開放していないらしく、人気もないどころか、コンクリートは剥げ放題。
汚れているのではなく、人が使っていないことによる「風化」、という表現が正しいように思われる。
「……」
ほんの少しだけ、陽が落ちる時間が早まった気がする。
あくまでも気がするだけ。
太陽は以前真夏の様相を呈しているし、肌を焦がすような暑さは健在。
九月になったら過ごしやすくなればいいな、と。
眼下の光景、そして傾いた西日を横目に、新太はふとそんな益体のないことを思った。
――――――屋上から見える景色は、こちらの世界でも変わらない。
住宅街が広がる中に、中央区や各地に点在するビル群が夕日に照らされて反射している。
俺はただ、そんなありふれた日常の光景を視界に収めていた。
人目を気にしてまで、人知れず壁をよじ登り、屋上に来たのには理由があった。
この光景だけは、見ておきたかった。
――――――およそ三時間後である19:30、新都中央区中央駅前にて作戦行動を開始する。
『暁月』の術者をおびき出す――――――という作戦の特性上、人目につきやすく、街の中心部で事を起こした方が良いという仁の提案。
実際に『暁月』の十二天将術者と戦闘を行う俺や奏多は、その提案に賛同した。
……ただ。
天后だけは、最後まで反対していた。
いたずらに巻き込む者を増やすのはどうか、と。
十二天将同士の霊力の衝突を考慮するべきである、と。
結局、人払い、そして一般人の侵入を阻む結界の展開を仁が行うという条件で、天后はこの条件を呑んだ。
敵の術者は三名、内戦闘要員は二名。
それぞれを俺と奏多、仁で分担し叩く――――――。
叩く。
叩くって……、何だ?
『暁月』のリーダー格である十二天将術者をここで倒すことができれば、安寧が訪れるのは明白。
倒す。
倒すって、どうすればいい?
目につくもの全てに質問してくる幼児のような自問自答。
答えなんか、とっくに分かっていた。
分かっていて尚、俺はその現実に目を背けたかった。
「……」
ふと目に入ったのは、右手にできた斬撃痕。
そして、フラッシュバックするあの目。
怨嗟、憎悪、呪怨に塗れたあの、瞳――――――。
また。
また俺は。
人を、殺すのか?
「っ……」
殺さなきゃ、いけないんだ。
「お、不良がいるな」
「……!」
唐突に、屋上に響き渡る声。
それは屋上へと繋がるドアの方からだった。
聞き覚えのある声に目線を送ると、そこには見覚えのあるシルエットが西日に照らされていた。
「屋上は立ち入り禁止だ。
どうやって入った?」
ツカツカとこちらへと歩みを進め、眉根を潜めている一人の女教師。
「……先生」
――――――服部楓。
服部先生はポケットから煙草とライターを取り出し、見慣れた動作でおもむろに火をつける。
そして。
さぞかし美味しいのか、目を閉じながら紫煙を中空へと吐き出す。
「ここは絶好の喫煙スポットなんだ。
鍵は必要だし、階段は上らなければならないが……」
「この光景を見ながら吸う煙草は格別だ」と、手すりの方へと歩みを進め、俺と同じ景色を見据えた。
「……先生とは、久々に会う気がしますね」
「全くだ。
どこかの誰かのせいで、連日職員室では電話の音がひっきりなしに鳴っている。
自分の仕事はコールセンター勤めだったか?と、思い始めた頃合いだ。
当の渦中の人物は、学園に来ないしな」
「……」
そう言いながら憎々し気な視線をこちらへと向けてくる先生。
それに関してはもう……「申し訳ない」、以外の言葉が出てこない。
自分自身の行いのせいでどれほどの迷惑をかけたのかは分かっているつもりだった。
否、つもりになっていただけ。
近衛奏多という一人の人間の今後の身の振り方を、これほどまでに変えてしまうということを俺は理解していなかった。
「……本当に、先生方には迷惑をかけています」
「うん、迷惑だ」
トントンと指で煙草を叩き、灰を落とす。
灰は風に運ばれ、茜色に染まりつつある空へと消えてゆく―――――。
「でもまぁ……、それはどうでもいい」
「……え?」
先生は被りを振り、俺から背を向ける。
非喫煙者への配慮だとしたら、……大分遅い。
「子供は大人に迷惑をかけるものだ。
ましてや教師なんて、その尻拭いが主な仕事と言ってもいい」
「……」
「だから……」と、先生は続ける。
「君たちはまだ守られる存在でなければならない。
迷惑上等、大いにかけるといい」
そう言いながら、先生は恐らく最後の一口を思い切り吸い、そして吐き出した。
「……先生」
「そんなことよりも……、結論は出たか?」
「……!」
――――――結論。
それが意味するのは、五日前の先生との会話。
五日前、であるはずなのに昔のことのように思う。
あの時の俺は自身の身に何が起こったのか理解しておらず、ただただ世界の異変に混乱していた。
あれから、俺は境遇を同じにする同士の存在に気付いたし、自身の置かれている状況を把握した。
しかし。
「自分が何をするべきかは……何となく分かりました。
そして、その重要性も」
「……ほう」
「……でも。
それが正しいのどうかが、俺には分かりません。
そして、俺にそれが可能なのかも」
誰かが、明確な答えをくれればこんなに苦しむことはない。
俺自身言われたまま行動する機械のようなメンタルの持ち主であれば、こんな余計なことを考えずに済んだはず。
「……」
先生は、俺の言葉を静かに聞いていた。
万が一に、先生の口から聞こえの良い答えが返ってくると、俺は期待してしまっていた。
しかし。
その展望は数秒後にいとも容易く砕かれることになる。
――――――この人は、そんな甘えを許さない。
「お前が葛藤していることは、お前しか答えを出せない。
他人に救いを求めるな、馬鹿者」
「……」
先生は携帯灰皿に自身の煙草の吸殻を押し付けると、それをポケットへとしまった。
「答えを出すまでの過程が大切、などということは私は言わない。
むしろ嫌いと言ってもいい。
答えや結論が全てに決まっている」
「……」
「お前だけの答えを見つけるしかないんだよ。
そしてそれを自分自身で正解にするしかない」
ヤニ休憩は終わりと言わんばかりに、屋上入口へと歩いていく先生。
「じゃあな、――――――新太」
「っ!!」
俺の名前を呼ばれたような気がした。
そして、即座にそれを否定する。
奏多を聞き間違えた、ただそれだけだ―――――。
ドアが軋んだ音を立てて閉まる。
そして、屋上に聞こえてくるのは部活動に勤しむ生徒の声。
楽器の音、セミの反響――――――。
先生のいなくなった屋上で俺は一人、空を仰ぐ。




